おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(三冊目のノート)

「日本のレストランを外国人が見て、
 一番怖いものは入り口に下がった暖簾である」
以前、そんなことをお話したことがあった、と思います。
中の様子を見せるようでいて見せようとしない、
やんわりとした拒絶を感じてしまう。
ひらひら揺れる暖簾をみると、
まるで本心をなかなか表に吐き出さない、
礼節正しき日本人の慇懃無礼を連想させる、
からなのかも知れないですネ。

深いです。

で、そんな暖簾に特別なメッセージを
感じはしない日本人が、
暖簾をくぐってお店に入って、一番怖いと思うもの。
それは「時価」という二文字じゃないか、と思うのです。

メニューを開く。
当然、商品名とそれそれぞれの値段が
並んで書かれています。
ふーん、思っていたよりちょっと
高い店なのかもしれないなぁ‥‥、
とかってページをめくる。
料理の名前と値段を交互に見比べながら
何を食べようか考えながら、
最後は値段だけをみつめてしばし戸惑う。
注文を決めるまでの楽しくも悩ましい時間‥‥、
なのでありますけれど、
そのメニューの中にある二文字を発見する。

「時価」

ドッキリします。
伊勢えび‥‥時価。
今日のお刺身の盛り合わせ‥‥時価。
高いんだろうなぁ、ってため息付きます。
メニューの中のたった数品の料理名のあとに
「時価」の二文字を見つけただけで、
この店全部の料理が高く感じてしまう。
頼むの止めて帰ろうか、なんて思ったりまでする。

憂鬱です。
高級な寿司屋さんなんて、
時価の集大成だったりします。
怖いです。

でも「時価」。
本当に怖くて仕方ないものなんでしょうか?


◆思い切って訊ねてみると‥‥!


こんな経験をしたことがあります。
昔住んでいた家の近所にあった居酒屋。
カウンターに小上がりだけの小さな店で、
魚料理に季節の肴がそろった気軽で楽しい店でした。
たいていの料理が500円前後という価格も気軽で、
だから他に行く店が見当たらぬときには、
ほとんどそこで食事をしていました。

で、行く度に気になっていたことが実はあった。
「煮魚 時価」‥‥、という貼紙が
カウンターの後ろに貼ってあったこと。
それを見ながら、高いんだろうなぁ‥‥、と思ってた。
頼んでみよう、と思うのだけど、
でももし高かったらどうしよう、と心配で
だから「下さい」とはなかなか言い出せなかった。

おいしいんだろうなぁ‥‥、って思いながらも手が出ない。
悔しい以上に、情けなかった。

で、ある日、何を食べようかなぁ‥‥、
とカウンターの隅っこで悩んでいたら、
お店のご主人がこう言った。

「魚の煮付けでもどうですか?
 今日はカワハギ。うまいですヨぉ。」

と勧められたのはいつも気になっていた「時価の料理」。
「いやいや、時価ですもんネ‥‥、手が出ないですもん」
というと、
「いや、今日のはお値打ち。
 たった800円ですから、どうですか?」。

へぇ、時価って高いってことじゃないんですネ‥‥、
とボソッといったボクの言葉にご主人、
こう続けていいました。
魚くらい仕入れで値段が変わる食材はない。
だから魚料理の値段をつけるのは、とても難しいんです。
中でもお刺身のような
お値段をちょうだいし易い料理なら、
損をしない値段をつけることもできるのだけど、
煮魚のような料理は本当に値付けがむつかしい。
鯛の煮付けと鯖の煮付けじゃあ全然、値段が違いますよね。
新鮮な魚を使ったときと、そうじゃないときも全然違うし、
でもおいしいことには変わりない。
お客様に損をさせるワケにはいかないですし。
だから「時価」ってしてるんです。
どんな煮魚が今日はあるんですか?
‥‥って聞いてくれれば、ありがたいんですけれどネ。



◆時価は「高い」って意味じゃない!


目からウロコのさてレッスン。
時価=高い料理、と言うコトでは決してない、
と言うコトです。
何日も前から値段が決まっているのではない。
仕入れたそのときの状況で、料理を作って値段を決める、
つまりお客様想いの値段のつけ方、
それが「時価」である、というコト。

ボクは迷わず煮魚を注文して、あまりのおいしさに、
今まで手を出さないで指をくわえていた自分を、
なんて臆病者のいいかっこしいだろう、
と悔しく思いました。
聞かなきゃ損、と言うコトですね。

実は、それからしばらくしてアメリカに行き、
初めて英語で書かれたメニューを見たとき、
ああ、そうか‥‥、と思いました。

シーフードレストラン。
ボストンロブスターが売り物のその店の、
一番の売り物であるフレッシュロブスターの
一尾丸茹でなる料理の横、
本来、値段の数字が書かれているべきその場所に、
こんな文字を発見した。

「ASK」

ああ、なるほど。
そういうことか‥‥、って感じでした。
ASK‥‥、つまり詳しいことは
お店の人にどんどん聞いてくださいネ、ということ。
それが「時価」という値段の意味するところ、
ということでもあるワケです。

勉強です。

それからボクは「時価」という文字を
レストランのメニューやお店の壁に見つけたら、
ワクワクしながらお店の人を探すようになりました。

このお料理の今日の値段はいくらですか?

あるいはこれ、今日はどんなお料理が
いくらで食べることができるんですか?

丁寧な質問を用意して、お店の人を見つけて聞く。

「今日は1500円です、お値打ちですよ」。

なんてとても的確で気持ちの良い答えが
即座に出てくる店がある。
かと思うと、厨房に聞いてきますといったっきり、
うんともすんとも言ってくれない店もある。

お店のお客様を受け入れる心構えが良くわかるんですネ。
厨房とホールが仲がいいのか悪いのか。
お店を開ける前の準備やミーティングが
しっかり行われているのかどうなのか。
そうしたことが「時価」に対する質問で
とても良くわかったりもする。
当然、お得な料理の情報をもらうこともできるのだけど、
こう考えるとお客様の懐具合を調べるように思った時価が、
実は良いお店かどうかの
通知表のような役割も果たしている、
ということがわかるのです。

面白いです。

さてさて時価。
商品全部が時価になる。
あるいはお店全体が
時価になってしまうようなことがあります‥‥、
レストランには。
例えばあと数週間でやってくる、クリスマスという日。
高くて当然、と考えるのがしゃくに障るような
時期であります。
どう考えましょう?
どう対処をすればいいのでしょう?

(つづきます)



2005-12-15-THU

BACK
戻る