おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(三冊目のノート)

お稽古事をやったことがある人ならば
わかっていただけるんじゃないか、と思います。
あることを一所懸命勉強をして、
ある程度、そのことがわかり始める。
そうするとそのことがどんどん楽しくなって、
もっと知りたくなる。
もっともっと練習して、もっと上手になりたい、
と思うようになる。
そうやってどんどん上達していく。
それがお稽古事の楽しさであるわけですね。

料理の世界もそう。
料理を味わう、ということに関しても
おなじようなことが言え、
ボクは一時期、料理を食べるプロとして、
このトレーニングと上達の道を
驀進していた時期があります。


◆グルメ気取りの駆け出しのボクは。


30歳になるかならないかくらいのことでしょうか、
ボクは結構なグルメ気取りでありました。
仕事柄、おいしいモノを食べる機会に恵まれ、
料理人の方々の話しを聞かせていただく機会にも恵まれ、
ボクはみるみる
専門知識のかたまりのようになっていきました。
人が知らないことを知る。
人が食べないものを味わう。
そうした経験が楽しくて仕方なかったのです。
加えて生来の、いくらでも食べられるという才能が
ボクを助けて、体重は増える、経験も増える。
みんなから一目おかれるようになり、
そんな自分が自分でもかわいらしくなり、誇らしくなる。
そうなると人は調子にのるものです。
もっとおいしいモノを。
もっと経験と知識を。
そうボクは思うようになり、
ますます精進を重ねるようになったのです。

日々、コレ、勉強です。
仕事に役に立つことはないだろうか?
人に聞かれたときに
キチンと説明できるようにしなくちゃいけないしな。
‥‥と、つまり真剣勝負。
気づけば食事するときにはいつもかたわらに手帳を置く。
そしてあれこれメモしながら食事をするのが
日常となってしまっていたのです。
注文した料理の名前。
それぞれの値段から、お店のことで感じたこと。
料理を食べながら、それぞれの料理が
どんな味でどんな感じだったのか。
知らないことはお店の人に質問をして、
それもノートに書き残しつつ食事をしているのか、
メモを取っているのかわからないくらいに、
ボクは一所懸命、ノートをとりました。
メモするだけでなく、料理を前にして
目を凝らしたり香りをかいだり。
一口含んで、目を閉じてしかめっ面で
味を確かめたりと、一所懸命に。

今になってみると馬鹿みたいですけど、
そのときはかなり真剣で真面目に勉強。
若かった‥‥、ということでありましょう。
あるとき、とあるレストランのマダムに
ボクはこう聞かれたことがありました。

「サカキさんはうちに仕事にいらっしゃってるの、
 それとも食べにいらっしゃってるの?」
うーん、そういわれるとちょっとこまるなぁ‥‥、
と思いながら、こう答えました。
「食べる仕事をしてるんです。
 だから食べるもの、なにもかもが勉強で‥‥」


◆お店の人を緊張させていたなんて!


なるほどネ‥‥、とマダムはボクにこう言いました。
若くて好きなお客様だから、
ちょっと厳しいことをいうかもしれないけれど、
ごめんなさいネ、と前置きをして
こういうことを言ってくれました。

──食卓にノートを置かれると
  ワタシ達、お店の人はただそれだけで緊張するの。
  なにか採点されてるみたいな気がして、
  それだけでいいサービスが出来なくなる。
  それに何かにメモをしているときの人の顔って、
  とても厳しくて不機嫌に見えるもので、
  不機嫌なお客様にはどうしても
  不機嫌なサービスや不機嫌な料理を
  提供しがちになっちゃうのネ。

  勿体無いじゃないですか‥‥、
  不機嫌な思い出しか残らないかもしれない、
  こんな食べ方。
  なにより、ワタシ達はお客様の思い出に残るような
  時間や料理を提供して差し上げたいな、
  と思いながらがんばってるの。
  思い出は手帳の中には残らないでしょ?

そう言われながらボクはいちいちもっとも、
と思って聞きました。

「それにネ、一緒にこられている方々を
 ほったらかしにしてメモする殿方って、
 なんだか格好悪いようでハラハラしちゃって。
 ごめんなさいネ、余計なことを」

その一言で目が覚めました。
大失敗であります。
料理を覚えるためにレストランに行っているわけじゃない。
味の旨い、不味いを評価するために
レストランに行くわけでもなく、
ボクらは楽しい時間を料理とともに過ごすために
レストランに行くんです。
レストランという場所で、
素敵な人たちとご機嫌な気分を盛り上げるために
ボクらはワザワザ、お店を選んでゆくわけで、
そこで不機嫌な自分になることは損でもあるし、
申し訳ないことである。
そういうことに気づいたわけです。

ワタシ達は思い出に残る料理を作っている。
そう言われた一言。
それはその後、ボクの座右の銘になりました。
思い出の中には確かに
「おいしい」という部分も含まれている。
でもそれ以上に、楽しい会話や華やかな雰囲気や、
さりげないサービスというものも含まれていて、
それらを味わおうと思ったら、
まず食べ手のボクがご機嫌で笑顔で、
気配りあふれる素敵なお客様に
ならなくちゃいけないんだ‥‥、
ということをそれから心がけるようになったのです。



◆どうしてもメモしたくなったら?


手帳はそれからお蔵入り。
どうしても覚えておきたい何かがあったら、
お店の人にこう言うコトにしています。
「すいません、何かメモできる
 紙とペンを貸していただけませんか?」
「何にお使いになるんですか?」
そう聞かれたら、例えばこういう風に答えます。
「先ほどのスパイスの名前を忘れないように
 メモしたいと思いまして‥‥」
そう言うボクに、厨房の中から
そのスパイスのほぼ空っぽになりつつある瓶をもって
シェフが出てきて、
「これ差し上げましょう」
なんていってくれたりしたことがある。
それこそ素晴らしい思い出です。

覚えたつもりで家に帰って、日記を書くとき、
もし思い出せない料理があったら、
お店にちょっと電話する。
暇な時間を見計らって、
「昨日、お伺いしたサカキですけど、
 前菜でいただいた
 あのキノコの名前ってなんでしたっけ‥‥」
「ああ、あれはオーボリーっていうんですヨ。
 ところで再来週、また変わったキノコが入荷しますが、
 いかがしましょう?」
じゃあ、予約をお願いしましょう‥‥、
なんてちょっとしたお店の秘密を
教えてくれたりもするわけです。

実は楽しい食の思い出は
食べ手であるボク達だけの思い出でなく、
お店の人と分け合っている思い出である。
そういうことなのかもしれません。

ご機嫌はご機嫌が大好き。
ご機嫌な人にはレストランはどんどんご機嫌な場所になる。
今年一年がご機嫌な年になりますように。
そう願いながら、今日はお別れ。

次回からは
「失敗しない店選びの仕方」なんぞをお話しようと思います。
今年もどうぞよろしくお願いいたします!

(つづきます)




2006-01-05-THU

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