おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(三冊目のノート)

テーブルマナーの授業、受けたことがありますか?
たいてい、そんな授業の一番最初は
テーブルの上にズラッと並んだナイフ・フォークを、
どういう具合に使って食事を進めればいいのか、
ということをまず習います。
お箸ひとつでほとんどの食事が終わってしまう
日本人には、ああ、大変。
フランス料理は肩がこって仕方ない‥‥、
って敬遠してしまう一番の理由が、
「食べる道具」の操り方をマスターしなくちゃいけない、
と思う部分じゃないか、と思います。

負けん気の強いオトコの子でした。
小さい頃から。
しかもボクだけが負けん気が強いわけじゃなく、
父親、母親、そうして子供たちもみんな、
何故だか人一倍、負けん気が強く出来ていて、
だから小さい頃から
いろんなレストランに連れていかれて、
ご飯の食べ方、道具の操り方を教わり、
大人の入り口に入った頃には、
まあ、西洋料理の食べ方に関しては一人前。
そう自分で認めるほどに、
生意気なオトコの子になっていた。
そんな頃の失敗です。

高級中国料理店、
というところに始めて連れていかれました。
それまで、高級な料理は西洋料理。
大衆的でワイワイできるのが中国料理、
のような区別がボクの中にはなぜかあって、
だから「高級な」中国料理というものが、
まず一番最初にわからなかった。
ドキドキです。

店に行きます‥‥、ビックリです。
円卓。
その上には煌々と輝くシャンデリア。
あらかじめ用意されたお皿の上には
きれいに折りたたまれたナプキン。
右手にはナイフとフォークと、
お箸が縦に並んでおいてあり、左手に大きなスプーン。
そしてお皿の上の方にはレンゲがポツンと置かれてた。

場違いであります。
フランス料理のテーブルマナーなら知っている。
ズラッと並んでいるシルバー類を、
両端から一つずつ手にとって、食べれば良い。
でも中国料理。
わからない。
しかも横にもある、上にもあるようなこの状況。
どうすればいいのかわからず、
緊張の頂点で、会食スタート。
中国料理のコース料理で、まあおいしいこと。
食べ始めるとスッカリ、
最初のドキドキのこと、忘れてしまって、もう夢中。

そうしてフカヒレ。
トロンとしたスープの中に
沈んだフカヒレを何で食べるのか?
ボクは迷わずスプーンを使って食べ始めた。
おいしかった。
ああ、フカヒレってこんな味がするんだ‥‥、
って思いながら、他の人たちを見ると、
なんとみんなスプーンじゃなくて
レンゲを使ってそれを食べてました。
同じテーブルを囲んでいる人、8人。
隣のテーブルの人、7人。
ボクともう一人を除いてみんなレンゲで、
しかもスプーンを使って食べている人っていうのが、
なんとも頼りなくてオドオドしてて、
ああ、この人と同じじゃあ、
こりゃ間違いに違いない‥‥、と思わせるような人。

ああ、どうしよう。

しかもそのとき、かたわらに置いてあった
「本日のお献立」なるコース料理の
全容を書いた紙っぺらを確認すると、
このあと、数品が出た後、
なんと冬瓜のスープが出ることになっている。
スプーンはそっちでつかうんだったんだ。
コレはレンゲで食べるべきだったんだ‥‥、
とボクはパニック。
フカヒレスープを急いで全部、たいらげて、
ビクビクしながらナプキンを使って
そのスプーンをキレイにぬぐいました。
とはいえ、ゼラチン質をたっぷり吸った
濃厚スープであります。
ボクのナプキンはたちまちベトベト。
汚れた唇をぬぐったり、
不意の落下物から大切な膝をまもるように出来ている、
その役割を果たさぬほどに
ベタベタのナプキンが手元に残り、
それでもコチンと、
スプーンをもとある場所にソッと戻しました。

それに気づかぬもう一人。
スプーンをフカヒレの入っていた
食器の中に置いたまま。
当然、残っているべきスプーンも一緒に下げられて、
それでも気づかぬ、もう一人。
ああ、どうなるんだろう?
ボクは気が気じゃありませんでした。
でも内心、ボクはセーフ、彼はアウト。
そんな気分で、それでもドキドキハラハラしていたのです。

そうしたら‥‥。
なんともアッサリ、お皿が片付いて
きれいになったその人の横に、
再び新しいスプーンが一つ、ポンと置かれました。
逆にレンゲを使って食べた人には、
再びレンゲが一個づつ。
そのどちらも必要としない(ように見えますよネ、
スプーンはまるで使ってないかのごとく奇麗でしたから)
ボクのところで、給仕係のおじさんは小首をかしげて、
どうやってあんた食べたの? って表情をする。
恥ずかしかった。
そのときのボクに必要なのは、
スプーンでもなくレンゲでもなく、
新しいナプキンなんです、
‥‥って言えるほど、ボクは大人じゃなかった。

今、思い出すと笑っちゃうけど、
そのときはかなり深刻なエピソード。

さてレッスンです。

ナイフ、フォークを使う順番。
実はそんなに気にしなくても良い、というコトです。
並べられている順番や、
今、用意されているお箸やレンゲ。
それは作り手のこういう風に食べて欲しいんですヨ、
という提案の一つであって、
その提案以外にあなたがあなたらしく
食事する仕方をイメージしたなら、
その直感にしたがって食べても良い。
お金を払っているのはあなたです。
そのくらいのワガママは許されている。
ボクはそう思います。
それがときおり、面白おかしい
間違いになっちゃうこともあるのでしょうけど、
それはそれ。

だって、レストランの厨房の中には
驚くほどたくさんのナイフやフォークや、
スプーンやお箸が置いてある。
今、あなたの目の前におかれてあるシルバー類は、
その中のたった一部でしかない、ということ。
だから使い順番を間違えたり、
あるいは一度に2つのフォークやナイフを使って
食事をしても、足りない分は
いつの間にか補充されて、目の前にある。
というのがレストランの中に息づいているマジックだ、
というコトです。
そして時にはそのマジックを試すために、
ちょっとした間違い。
それまた楽しいことで、
そう思うとずらりと並んだ食べる道具も、
お茶目ないたずらのための
遊び道具のように見えたりする。
それこそシアワセなことであります。
いかがでしょう?

(つづきます)


Illustration:Poh-Wang


2006-03-02-THU

BACK
戻る