おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(三冊目のノート)

事前にテーブルの上に準備されている
食べるための道具の数々。
それは作り手の
「こういう風に食べて欲しいんですヨ」
という提案の一つであって、
その提案以外にあなたがあなたらしく食事する仕方を
イメージしたなら、その直感にしたがって食べても良い。

──ということを、前回、書きました。

とは言え‥‥、です。
あまりにルールを無視したひとりよがり。
これはやっぱり駄目だと思います。
なぜ駄目か? というと、
おいしさがそこなわれることになるから。
それ本来の味わいを味わうことができなくなるから。

例えばこんなことがありました。


◆背筋を伸ばして40分待った紳士の言葉は‥‥!


ボクの家は昔、ウナギ屋をやっていました。
ボクのおばあ様が威勢よく、
そして美しくウナギを焼いて振舞う名店でありました。
田舎町の専門店には
いろんなお客様が集まってくるもので、
例えばうちのお店の箸袋を握り締めて、
「知人から松山に行ったら
 コノ店に寄ってきなさいと言われました」
と言って有名な俳優が東京からやってくる。
そんな店でありました。

ありがたいお客様もいる。
一方で、ありがたくないお客様も当然いて、
中にはこんなへんてこりんなお客様もやってきました。

大学の教授だ‥‥、という人でした。
英国帰り。
パリッと仕立ての良いスーツを着こなした
紳士然とした人で、
座るなり一番良い蒲焼定食を注文しました。

40分ほどかかります。
注文を受けてからウナギをさばいて、ササッと蒸して
それから丁寧に焼き上げて作るものですから、
時間がかかる。
その旨を伝えると、
当然です、という顔をしながら
背筋をシャンとのばして本を読み読み、
身じろぎもせず40分。
さすが、洋行帰りさんはマナーがいいねぇ‥‥、
なんぞとうちのばあ様は言いながら
渾身の蒲焼定食を作って出したのでありました。

「お待たせしました」
に続いて聞こえてきたその教授の言葉に店の一堂、
おおいに仰天。
自分の耳を疑うとはこういうことである、
という具合におおいに仰天。

「ナイフ&フォークのご用意はございませんか?」。



◆ばあ様激怒!
 鰻重にナイフ&フォークとはこれいかに!


ナイフ&フォーク。ウナギに。
にわかにその意味がわからず、
いえ、ございません。
ございませんし、何にお使いでございますか?
と問い返すと、やおら教授は
カバンの中から筆箱のようなモノを出し、
開くと中にはナイフ&フォークが並んでいました。
マイ・ナイフ&フォーク持参のお客様でございます。

ばあ様、手を握りしめ
「なんとなぁ‥‥」と烈火のごとく怒り出し、
うちのウナギは箸をあてがえば
それだけでホロッと崩れるほどに
柔らかに出来上がっているというのに、
なんでナイフ&フォークが必要なものか、と、
つかみかからんばかりの形相でそのお客様をにらみ返す。
なにかの拍子で取っ組み合いのけんかにならぬよう、
お店の人たちはおばあ様の両手をつかんで、
それでも笑顔で教授の食べる様をじっと見る。

この西洋かぶれさん、
どうやってナイフ&フォークで食べるんだろう?
好奇の瞳‥‥、であります。
それがなんとも器用に、
ウナギを切っては口に運ぶ。
ご飯もフォークの背にきれいにのせてパクパクとやる。
背筋を伸ばして凛とした姿勢で、美しく。
ただその美しさは、ウナギ屋のカウンターには
ふさわしくないうつくしさであって、
そう、ちょうど平服着用の但し書きがついている
カジュアルな結婚披露宴に、ただ一人、
タキシードを着てきてしまった間抜けなおじさん‥‥、
のような場違い感がプンプンとしました。

ただその教授の周辺半径1メートル以内に限定すると、
まるでそれは蒲焼定食ではなく、
グリル・ド・ウナギ・アラ・ジャポネーズ、
(そんな言葉はありませんが)
のように見えさえもして、
その教授の食事は粛々と終わりになったのでありました。
お代を頂戴して、
「またのお越しをお待ちしております」
そうお辞儀をして、送り出しをして
ドアがガラガラ、閉まった途端に、ばあ様。
「塩もってこい!」と大暴れ。
その場にいた常連のお客様ともども、
大笑いになったのでありました。

ただうちのおばあ様、
果たして自分が焼いた蒲焼を
ナイフ&フォークで食べるとどのような味がするのか、
それを確かめたくて仕方なく、
みんなでそれを試してみよう‥‥、
ということになりました。
営業を終えて、何枚かの蒲焼を焼き、皆で食べる。
店にナイフ&フォークがあるわけでなく、
だから走って数分の場所にあった
ボクの家からありったけの
ナイフ&フォークを持ってきて‥‥。
してその味は。

まずいわけではありません。
が、ナイフ&フォークで食べなくちゃいけない理由は
どこにもないと、ボクらは思いました。
むしろ箸で直接、口の中に入れるときに感じる
柔らかさがなくなってしまう。
鉄の味。
あるいは道具の味がするような気がして、
やっぱり蒲焼には箸だよなぁ‥‥、とボクらは思いました。
なによりフォークで持ち上げようとすると、
身がボロボロになり皮から剥げて美しくない。
やっぱり日本料理は日本人のように食べなきゃいけない。
そう思いもしたわけです。

そうして、おばあ様。
まったく西洋人はこんな不便な道具で
よくもまあ食事をするもんだ‥‥、
というような悪態をつき、でも最後にこう言いました。
「ナイフとフォークで食べたいんだったら
 そう言ってくれれば、
 ちょっと皮目をバリッと焼いてやったのに。
 それから皮目を上にしてお皿に置けば、
 ナイフでキレイに切れて食べやすくなろうものを‥‥。
 まったく残念至極じゃわい」と。

本当においしい料理を作ることができる人は、
本当においしい食べ方を知っている。
それと同時に、食べ方にあわせた料理を
作ることができるのも、ステキな料理人の条件である。
‥‥ということでしょう。
楽しさや快適、
あるいは自分らしさだけにこだわるのであれば
自由自在に食べれば良い。
でも、それがそのままおいしさまでも
約束してくれるとは限らない。
楽しさとおいしさのバランス。
うーん、悩ましいことではありますネ。

だから。
置かれている食べる道具のメッセージを
まず耳を澄ませて聞く努力をいたしましょう。
そうしてもしちょっとした疑問があったり、
ちょっとした企みを思いついたりしたときは、
お店の人に相談してみる。
そうしたコミュニケーションが、
楽しさとおいしさの間を
キレイに見事にとりなしてくれるのでありましょう。

あれっ、今日はボクの失敗の話じゃなくなった。
そういえば誰の失敗の話でもない。
‥‥ごめんなさい。

(つづきます)


Illustration:Poh-Wang


2006-03-09-THU

BACK
戻る