おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(三冊目のノート)

楽しい食事をするのに、
ワインが果たす役割は非常に大きいものです。
ただ単に酒の力を借りるのとは違う、
人の気持ちをもみほぐしてくれるような、
どことなくマジカルなワインのパワー。
楽しい食事をする、
とてもよい助けになってくれるからです。

ただどのようなワインを選べばいいのか。
どのようにワインを飲めばいいのか。
ワインに関するさまざまなルールのことを考えると、
面倒くさくなってしまう。
何かルールがあるといいんだけどなぁ‥‥、
という人をとりこにする、ある通説がひとつあります。

「この上もなく贅沢な気持ちの食事を楽しみたいときには、
 料理代金とほぼ同じくらいのワインを選べばよい。
 例えば1人で1万円の食事をしたら、
 1万円前後のワイン。
 ちょっとした程度に贅沢な食事であれば、
 料理代金の半分程度。
 2人で8000円ほどになるなぁ‥‥、
 と思ったら5000円を超えない程度のワインで
 十分に楽しめる。
 そうすると、ワインと料理の
 バランスもとれていいんですヨ」

‥‥というようなルールであります。
確かに間違いではないでしょう。
迷ったときの目安としては悪くは無い。
でも、このルールに縛られしまう必要はない、と思います。
ボクが思うばかりじゃなくて、
心あるすばらしいレストランはみんな、
これは数あるレストランの楽しみ方のひとつの例であって、
お手本から外れることもまた魅力的な楽しみ方なんだ、
ということを知っています。


◆ほんとうにがんばったときには、
 こんなワインの飲みかたを。


仕事をものすごくがんばって、がんばって、
そのがんばった以上に良い結果がでたようなとき。
お祝いです。
会社のお金を使って、
一緒にがんばった人たちと
ココロおきなき贅沢を分かち合いたいようなそんなとき、
ボクが選ぶステーキレストランがひとつ、あります。
恐ろしく高価な店です。
どんなに料理がおいしくて、
どんなにその素材が稀少で見事なものであったとしても、
たかが料理くんだりに払うことができる
お金の限界ギリギリ。
そこで食事をして、
最後にクレジットカードの請求書にサインをした瞬間、
また稼がなくちゃ、と気が引き締まるような、
そんな値段のレストラン。
しかもこの店には基本的にメニューがない。
ウェイターの説明を聞きながら、
あれを頂戴、これをこうして‥‥、
とワガママ言うのがこれまた楽しい店なんですね。
とはいえメニューが無い、というコトは
今、頼んだ料理がいったいいくらであるのか、
というコトもわからないスリリングな店でもあって、
しかしどんなに食べても絶対、
いくら以上になることはない、
という暗黙の了解ができてるお店。
かなり大人の店、であります。

で、この店、ワインも料理に負けず劣らずすばらしい。
ワインリストがあるにはあるのですけれど、
料理を注文し終わると
お店の人がその料理と
ボクの好みに合わせたワインを持ってきてくれるのですネ。
だからボクはこの店でワインリストを見たことがないし、
他のお客様でワインリストを眺めているところを
見たこともない。
今日は2本飲めると思います‥‥、と言うと、
10本ほどのワインがセラーの中から選ばれて、
パパッとテーブルの上に並びます。
それぞれのワインの性格などを聞きながら、
じゃあ、アレとコレをいただきましょうか‥‥、
というようなたのみ方。
これまたいったい自分が幾らくらいの
ワインをたのんだのか、まったくわからない。
ところが会計をするとき、
たのんだものの明細を丁寧に仕分けると、
見事に料理とワインの金額がほぼ同額になるんですね。
絶対にバカ高いワインを選んだりはしない、
見事なプロの仕事ぶりにまずはビックリさせられました。

とはいえ、そう何回も気軽に行ける値段でなく、
しかもそうたびたび、
自分を贅沢まみれにしてしまえるほどに
幸運に恵まれるわけでなく、
それでしばらくこの店から遠ざかっていたことがあります。
するとこの店の店長から手紙が来た。
最近、お顔を拝見しておりません。
お体、壊されたのではありませんでしょうか?
と、あまりに丁寧な文面に、ボクは電話で、
「ごめんなさいネ、そうそう、
 頻繁に贅沢なワインを
 抜くわけにはいかないものですから」
と言い訳をしました。
すると店長はこう言います。
「そのときはご予約の際にそうおっしゃってください。
 料理に合わせてワインを選ぶのは誰にでもできること。
 予算に合わせたワインを選べてプロの仕事、
 と私どもは思っておりますので‥‥」
その力強い言葉に、
ボクは思わずその次の週末の予約をしました。
領収書をもらえないプライベートな食事なものですから、
よろしくお願いいたしますネ、と、
そう付け加えての予約です。

いつものようにメニューもつかわず料理を選び、
ワインがならんで、これまたいつもと同じように
その中から数本選んで食事を終えて、お勘定。
彼が電話で約束したように、
お料理の金額の半分ほどのワイン代でありました。
それで粗末なワインだったか?
というとそうではないし、十分、料理との相性もよく、
やっぱりプロの知識はすごいんだな‥‥、と感心しました。
「今度はいいワインを飲みにきますネ」
とそう言ったらば、彼はこう言う。
「今日のワインもいいワインでございましたでしょう?
 高いワインばかりがいいワインではございません。
 なにしろ当店はレストランですから。
 料理を楽しむレストラン。
 ワインを楽しむワインバーではございませんので‥‥」
恐れ入った次第です。


◆高いワインを押し付けられたらどうしよう?


やたら高いワインを押し付けようとするお店の人には、
一言、こう言えばいい。
「ワタシは料理を楽しみにきたのです。
 ワインを飲みに来たのではありません。
 それともココはレストランではなくて、
 ワインバーなんですか?」

良い料理は胃袋にやさしく、
良いワインは懐にやさしい‥‥、
ということでありましょう。

もうひとつ、ワインにまつわる不思議な常識。
安いワインから徐々に高いワインに
飲み変えていかないといけない‥‥、というモノ。
これも変。
例えばボトルを1本、飲みきっちゃって、
それでもまだちょっとだけ飲み足りない。
グラスワイン一杯くらいを飲みたいのだけど、
でも今まで飲んでたワインよりいいものを、
って考えるとグラスワインじゃ力足らず。
やっぱりボトルを一本、開けなきゃいけないのかなぁ‥‥、
なんて思うと億劫になる。

ボクがお気に入りのイタリアンレストランで、
そんなシチュエーションにボクはいました。
空っぽのボトルを眺めながら、
うーん、どうしようかなぁ‥‥。
かなり難しい顔をしていたんでしょう。
ソムリエのチャーミングな女性がやってきて、
こう言いました。
「グラスワインでもお飲みになりますか?」
「えっ、格下ワインになるんじゃないの?」
すると彼女は笑顔でこう答えます。
「今までのワインはお料理をおいしくするためのモノ。
 でも今、サカキさんが飲みたいのは
 会話を弾ませるためのワインでしょう?
 ならグラスワインで十分です」
その通り。
どうせ気持ちよく食事して、
ポワンとほろ酔いの頭と舌には
冷たいグラスが手元にあるだけで、それで十分。
仰せの通りでありました。

そして今日の失敗。
ボクが今日の事例で挙げた、
恐ろしくすばらしくてでも高価に過ぎる店を
知ってしまったというコト。
それが失敗というコトで、ご勘弁。
失敗の無いツルンとしてのっぺりとした人生よりも、
心地よい失敗が作ってくれた
個性的な傷に彩られたボクの人生。
その傷こそがうつくしい。
痛快にしていとおしいともいえましょう。

(つづきます)


Illustration:Poh-Wang


2006-04-27-THU

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