おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(三冊目のノート)

アメリカで生活し始めたころ、一番戸惑った習慣。
それは「チップ」というモノでした。
なにしろ日本にはない習慣で、
ボクはどう、この習慣を使いこなせばいいのか、
最初はわからず右往左往。
よいサービスを受けることが出来たとき、
その感謝の気持ちをあらわすためのエチケットである。
‥‥、くらいのことはわかるのだけど、
でも本当はそれ以上のなにか
特別な役割をもっているのではないか、
と考えるようになったのです。
アメリカに来て、しばらくしてのことでした。

そもそもアジア系の若いオトコの子が
よいサービスを自然に受けることが出来る確率。
アメリカではとても少ない。
別に人種的偏見主義者と言うワケではなく、
やはり白人が作った町のレストランというのは、
白人が一番最初によいサービスを受ける資格をもっている。
‥‥、と思います。
そのレストランがおしゃれで素敵であればあるほど、
サービスの優先順位は厳格に守られる傾向があるようで、
だから人一倍、新しくて面白いレストランに対して
関心の強かったボクは、
ちょっとつまらない思いをする場面に出くわす確率も
高かった、というコトでしょう。
いったん、そのように思い始めると、
多分、そんなに深刻でないはずの場面でも、やっぱりね。
ボクはアジア系だからネ‥‥、
なんてひねくれてモノを考えるようになる。
サカキシンイチロウ青年のアメリカ上陸は、
決して成功に満ちたものではなかったのでありました。

どうすればボクもよいサービスを
受けることが出来るようになるんだろう?
一生懸命、考えました。
考えるだけでなく、レストランに来る人たちが
どういう風にしてよいサービスをしてもらっているのか?
‥‥、というコトを観察するようになったのです。



◆サービスを受ける前に渡すチップって?


あるレストランのレセプションでの出来事です。
ある男性が女性をともなってやってきて、
出迎えにきた支配人然とした人といきなり握手をします。
男性の手の中にはお札が一枚。
そのお札は一瞬のうちに
彼の手から支配人の手に移動するのを、ボクは見たっ!
‥‥、なんてまあそれほど大げさな出来事ではなく、
つまり、握手をする姿を借りたチップのやり取りですね。
手の中を瞬間移動したお札が、
いったい、何ドル紙幣だったのかは
わかりませんでしたけれど、
彼らは景色の良いテーブルに案内された。
ということを考えれば
かなりの額のチップを渡したんでしょう。
テーブルに案内された後も、担当のウェイターと握手。
しばらくしてやってきたソムリエとも握手。
‥‥、つまり何度も何度も、
かなりの回数のチップを手渡す
儀式を繰り返したのでありました。

サービスを受ける前に手渡すチップもある。
‥‥、というコトをそのとき、
初めて学んだのでありました。
それからのボク、レストランに出かける前には、
まず10ドル紙幣を全部1ドルに両替することを
準備にするようになりました。
何枚もの1ドル紙幣を小さく四つに折って、
手のひらの中にすっぽり入るサイズにして
ズボンのポケットの中に入れて準備しておく。
それから出発‥‥、という具合です。

レストランにつくと、まずドアを開けてくれる人と
握手をはじめ、出会う人、出会う人、次々、握手。
つまりチップを渡し続けたのであります。
なんとなく一目置かれるようになった気がしました。
それなりに良いサービスを
受けることが出来るようになったような気もしました。
なによりも自分が払っているチップの威力に、
一人酔いしれて悦にいっている‥‥、
ような状態であった、というのが
正直なところかもしれません。
しかもそれだけでなく、
しっかりサービスを受けたあとのチップも
当然のように払って帰っていましたから、
食事するたびにかなりの出費を
強いられるようになっていました。
考えてみれば、大バカ者です。



◆とんでもなくカッコワルイことだったのかも!


友人にある日、こういわれました。

「サービスをお金で買うようなチップの使い方って、
 かっこ良くないんじゃないか?」
それはお金を燃やしても惜しくないくらいの
お金をもっている人か、
それか下品な人間がすることのように思うよ‥‥、
そうもいうのです。

サービスをお金で買う。
そういわれてボクはココロが凍るような気がしました。
そんな気は決してなかったのに。
ただただ良いサービスを誰よりも優先して、
ボクに対してしてほしかっただけなのに。
でも確かに、そういわれればボクがそれまでしていたコトは、
結局、サービスをお金で買うようなコトに違いなかった。

悩んだボクは、仲の良いレストランの支配人に、
ボクがしていたことは果たして
レストランの人たちにとって、
失礼なことであったのかどうか、
聞いてみることにしたのです。

彼は簡潔にこういいます。

どうしても良いサービスをしてほしい、
と情熱をチップという形にかえて最初に渡す。
決して失礼にはならないことでしょう。
多額である必要はありません。
しかもそれは一度きり。
レストランの中に招き入れてくれた直後、
一番最初にあなたに微笑みかけてくれた人に一度きり。
それでおしまい。
会う人、会う人にチップを差し出すのは、
あまりに浮き足立っていて見苦しく思えますから。

でも、そんなことより、
「この人はサービスの価値がわかる人に違いない」
と思わせてくれる人。
その人は得をする、と思います。
どんなにサービスが良くてもたくさんの
チップをいただけるとは限らない。
自分達のサービスを喜んでくれるからこそ
チップがいただける。
チップはサービスの質に比例するのじゃなくて、
喜んでいただけた分量で決まるのですから。
だからニコニコ。
何かサービスをしてもらったら、
かならず感謝の表情なり、感謝のココロを表すこと。
そして最後に、納得できるだけのお金をチップとして渡す。
それでいいのじゃないですか?

その通りと思いました。
ボクがココまで書いてきた、
さまざまな事柄のほとんどすべては、
彼のこの一言からスタートしている。
そういっても過言ではありません。

ところで良いサービスってどういうものなのでしょう。
そしてそのよいサービスを楽しむって
どういうことなんでしょう。
次回からは、そのコトをしばらく考えてみよう、と思います。

(つづきます)


Illustration:Poh-Wang


2006-06-22-THU

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