おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(四冊目のノート)

「お料理はお気に召していただけましたか?」

給仕長はにこやかに、しかもあふれんがばかりの
自信に満ちた表情でボクに向かってそう聞きます。

すばらしかったです。
こんなおいしいステーキをいただいたら、
もう二度と、他のステーキは食べられなくなりますね。

そういいました。
すると彼はニコリと笑い、こうこたえます。

私共のステーキとはまた違った味わいの、
すばらしくおいしいステーキが
東京の街にはたくさんございます。
ですから、他のステーキが食べられないなぞと
哀しいことはいわず、
どんどんいろんなステーキを食べてください。
そうして、またこのステーキがなつかしくなったら、
お越しください。
そのときには、本日のステーキとまさに同じ、
すばらしいステーキを召し上がっていただけるよう、
努力いたしておりますから。

ううう。
なるほどです。
どんなにすばらしいステーキを作っても、
それを食べたいと思う
ステーキが大好きな人がいなければ、
そのステーキは無駄になる。
ステーキファンが一人でも多くなることが、
ステーキレストランにとっては大切なことで、
だから他のお店のステーキも食べて、
どんどんステーキのファンになってください。
そう言えるこの自信。
こりゃ、やられたな‥‥、と思いました。

「さて、デザートはいかがしましょう。」
本日のフルーツはイチゴと洋ナシ。
それにとびきりに良い状態の
マスクメロンもご用意させていただいてます。
あるいは、バニラアイスクリームもございますが‥‥。

ボクはすかさず、アイスクリームをお願いします、
とそういいました。
凍ったものはたいてい安い。
季節のものは少々たかく、
とびきりのものは値段もとびきり。
抜群の学習能力‥‥、でありました。

ところで、こちらはサカキさん。
師匠はボクを給仕長に紹介し、
名刺を交換するようにうながします。
それから、こちらはどのくらいの予算で
楽しめるものなのか、教えてやっていただけますか?
そう続けます。

私共がぜひに食べていただきたいものをご堪能いただいて、
それにあわせたワインをお飲みいただいて、
お一人5万円ほどでたのしんでいただけるかと、存じます。

なるほど、そうか。
5万円。
ドキドキしながらお勘定書きを師匠と二人で覗き込み、
それぞれが食べたものをチェックする。
ボクが食べた料理には丸印。
師匠が食べた料理のとこには三角印を鉛筆でいれ、
これを、それぞれが払います、
飲んだワインは、キッチリ半分半分で割ってください。
お願いします。
そういいながら、懐の中の五万円を
銀行の封筒のままそっと渡した。
戻ってきたのは、銀の小さなトレー。
上には千円札1枚と、それに硬貨が数個だけ。
なるほど、正しきやりとり、正しきナビゲーションは、
こうした奇跡を生み出すものだ。
‥‥、そう思いました。

ところで‥‥。

ここのメロンって一人前、いくらなのですか?
‥‥、とおそるおそる、聞いてみた。

「1万円でございます。」

少々、反発を覚えました。
どんなにおいしく、
どんなにすばらしい料理を出すお店であっても、
それにしても普通に食べて5万円。
メロンひとつが1万円。
それはあまりに度が過ぎて高いのじゃないのか、
って思ったわけです。
なんともいえぬ違和感を、ボクは師匠にぶつけてみました。

なぜ、こんなにも値段が高くなっちゃうんですか?

このレストランはおそらく一ヶ月のうち、
確実に数日はお客様がいらっしゃらないお店でしょう。
満席になることは絶対にない。
でもそれは、食べたいと思い立ったら
必ずそれを食べなくちゃ気がすまない、
ワガママなお客様の期待にこたえるためには必要なコト。
だから安くして、いつも満席‥‥、
というワケにはいかないのです。
予約がなくとも、毎日、毎日、お店をあける。
毎日、毎日、スモークサーモンを焼いて、
ワイングラスを磨くのです。
焼いてしまったサーモンは、
お客様がこなければ捨ててしまうことになる。
今日は贅沢をしてやろう、とたのんだメロンも、
もしその晩、きっぷのいいお客様が他にいなければ、
残りは結局、捨ててしまわなくちゃいけなくなるんです。

無駄、無駄、無駄、無駄。

無駄をもったいない、と思いながらも、
最高のものをたのしみにやってくるお客様のために
あえて恐れず営業をする。
つまり、このお店は、無駄に値段をつけている、
ということなのです。
その無駄を、本当に無駄にしないため、
ボクらはたまに少々、高いなぁ‥‥、と思いながらも
コノお店で散財をする。
文化を守る。
‥‥、ということなのかもしれませんね。

そう、諭されて、ボクは一生懸命がんばって、
コノお店をたまに使える身分になろう。
と、そう思ったのでありました。

 
2007-05-03-THU