大人になってしばらくのこと、でありました。
ある勉強会に参加することになりました。
異業種の人たちが集まっての情報交換会をかねた勉強会。
ほとんどのメンバーは企業経営者の人たちで、
ボクは若輩者でありながら社長代理という立場で
出席させてもらうことになったのです。
朝食会。
それも日本を代表する高級ホテルを会場とした朝食会で、
勉強になるだろうから行ってこいヨ‥‥、
と社長である父に言われて、
ボクはまず胃袋が反応をして行くことにした。
どんなおいしい朝ご飯を食べさせてもらえるんだろう。
講義内容より、朝食メニュー。
それがたのしみで、早起きをして
そのホテルの会議場へと向かいました。
会議場とはいえ、レストランの大きな個室のような
しつらえでした。
テーブルは白いテーブルクロスで覆われている。
その上には等間隔でお水の入ったグラスが並び、
ナイフフォークが何セットか
左右にきれいにセットされてた。
テーブルにつくと、まずウェイターがやってきて、
コーヒーにしますか? 紅茶にしますか?
と、ひとりひとりに聞いてくれる。
そうそう、これを期待してボクはやってきた。
あまりの期待通りに、
朝の早起きをすっかり忘れて、思わず笑顔になりました。
コーヒーをもらって、
ジュースはオレンジジュースにしようかなぁ‥‥、
と思っていたとき、であります。
パン皿ほどの大きさの、
小さなお皿に銀色のボールがのっけられてやってきます。
次から次へと、人数分ほど。
そしてそれらが一直線に
ボクのテーブルの上にそっと置かれる。
ボールの中にはグレープフルーツ。
ハーフカットのグレープフルーツが入ってました。
グレープフルーツのサイズに比べて
二周りほど大きなボールには、
小さく砕かれた氷がギッシリ。
その氷に浮かぶようにグレープフルーツ。
ボールの表面には細かな水滴がギッシリついて、
ちょっと揺らすとその一つ一つが塊になり、
ボトンとお皿に垂れ落ちてしまいそうなほどの、
冷たい景色。
ボクが子供だった頃の、
グレープフルーツに対する特別な気持ち。
贅沢感。
それが戻ってきたような気がそのときしました。
でも、ああ、またあの面倒な味がやってきたんだ、
とも同時に思った。
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さあ、立ち向かいましょう。
と、ギザギザスプーンを探してみるも、
お皿の前には普通のスプーン。
きれいに磨きこまれて、
ズッシリとした銀のスプーンで、
それもひんやり冷えていた。
食べる前に、砂糖をかけなきゃ。
目の前にはコーヒー用のシュガーポット。
なかにはグラニュー糖がタップリ入ってて、
それをかければいいんだよなぁ。
そう思いながらも、念のため、
周りの人たちの様子をまずは観察することにしたのです。
すると‥‥。
なんと、誰一人として砂糖をかけてはいないのですね。
そのままスプーンで実をすくいあげ、
パクッと食べてる。
しかもすっぱそうな表情のひとつもしないで、
悠然として、背筋を伸ばして
グレープフルーツをたのしんでいる。
不思議に思った。
大人ってやせ我慢する生き物なんだなぁ‥‥、
なんて思いもして、それじゃあボクも、大人になろう。
そう思って、砂糖もかけずにスプーンを握り、
皮と実の間を周到に狙ってスプーンをさした。
相当な力を込めて、グサッと‥‥、ですね。
その一撃は、なんとも拍子抜けな
結果を生んだのでありました。
スッとスプーンが狙ったところに入ってゆく。
なめらかに。
ゆるやかに。
スプーンがゆるゆる底の方にまで届くにつれて、
一房分の実が持ち上がる。
事前にナイフで丁寧に、
房、ひとつひとつを切り離しておいてくれてたんですね。
これならギザギザスプーンを必要とすることもない。
家庭の食卓ではありえない、
ホテルならではの贅沢なんだなぁ‥‥、
とまずは感動させられました。
これはこころしていただかなくては、
と背筋を伸ばして、スプーンを運ぶ。
パクッと食べます。
本当の驚きは、その次の瞬間、やってきました。
みずみずしい。
口の中にいれるとジュワッと驚くほどの分量の
ジュースがほとばしり出る。
しかも甘い果汁。
酸味もある。
苦味もある。
けれど、そのどちらもが甘味を引き立てる
適度なアクセントとしての役割を果たす程度の
酸味や苦味で、だから飽きず、食べられる。
飽きぬどころか、一房たべると
次の一房が待ち遠しくなるほどにおいしいのです。
食べやすく事前に準備されているというのが、
むしろ恨めしくなるほど、
みるみる目の前のグレープフルーツは空っぽになる。
食べるにしたがい、目が覚める。
食べるにしたがい、胃袋までも目を覚まし、
次の料理が待ち遠しくなる。
これが、グレープフルーツを朝食べるという
習慣の意味なんだ。
と、惚れ惚れしながら食べ終えました。
その後の勉強会で、一体、どんな勉強をしたのか
ボクはいまだに思い出せない。
それほど強烈な経験であったのでした。 |