虚実1:99 総武線猿紀行 |
総武線猿紀行第215回 「え、その場面ホント? 『ラストサムライ』を2倍楽しもう!」 〜佐伯先生と新春・武士の勉強〜その2 そろそろお屠蘇気分も抜けてきましたか? 巷では学校なども5日始まり? 冬休みも変わって参りました。 歴史的な目で「ラストサムライ」を読む! いかがでしょうか? 日本と西洋の間で屈折していた何かが開けるような‥‥。 新春、新しいジャパネスクなひとときを貴方に‥‥。 先生、こんにちわ。 「こんにちわ」 え〜、「ラストサムライ」を引き続き見ましょう。 皇居での天皇陛下の接見シーンが、前半の見所のひとつ。 まるで映画「ラストエンペラー」の場面を見るように、 「そうか、昔の日本の王室って、こうなっていたのか?」 と豪華きわまりない皇家の部屋のセットを 楽しめる場面です。 しかし、この場面で、 明治新政府側で軍隊の訓練係に雇われた ネイサン・オールグレン(トム・クルーズ)は、 ごく自然に明治天皇陛下(中村七之助)に フェイスTOフェイスで会えてしまうのが、 ちょっとひっかかる。 天皇陛下は外人にそんな簡単に会っていたのですか? 「天皇陛下は、いきなりお雇い外国人には会わないね。 それと天皇陛下は顔は見せない。 スダレのようなものが必ず前にあるはず」 なるほど。そうか! スダレですか? そういうところは、中国最後の王朝の華麗な廟を描いた 「ラストエンペラー」に重なるところもありますね。 「『ラストサムライ』では明治政府を代表する高官が、 大村(原田眞人)という人物で、 名前は日本軍建設の体系を確立した先覚者である 長州出身の大村益次郎を思わせるけど、 行動を見ていると、明らかに大村益次郎とは違う。 設定上のモデルは、伊藤博文か大久保利通ですね。 後に紙幣になった伊藤博文でも、 現実には滅多に天皇陛下には会えなかったはずです。 通常は側近を通じてしか話さないんですよ。 身分の高い人には会う。 徳川慶喜ぐらいなら会うかもしれない。 天皇陛下は代々、 古代からずっと直接には人に対面しなかったんです。 それがこの明治になってからじょじょに変わる。 ヨーロッパの王制や元首の風習を 取り入れて変わるのですね。 でも、明治維新の頃には まだまだそれほど会ってないはず」 ある意味では和気あいあい? と、 政治家みんなが天皇陛下に会っている様子は、 ヨーロッパの王室と政治家たちの関係に似た 風景ともいえるわけでしょうか?? さて、オルグレンは、この天皇陛下との接見で 「日本の武士は、銃を使うのは恥とするような 高潔さを持っている」といっています。 「前回もいったように、 武士は戦国時代から銃は使っているんです。 銃を使うのを恥だといっているが、それはむしろ、 ヨーロッパの騎士道のことです。 ヨーロッパの騎士は、飛び道具を使わず、剣で戦う。 ヨーロッパでは飛び道具は傭兵が使うもの。 日本の武士は昔から弓矢が中心です。 刀剣は実際の戦の中心ではなかったのです。」 え? すると「刀は武士の魂」的なことは どこから出てきたんですか? 「江戸時代には剣術が盛んになるから、 刀が武士の魂っぽくなるのです。 もともとは、「弓馬のわざ」というように、 日本の戦いの中心は飛び道具で、 そこがヨーロッパとは違うところなんですね。 弓矢や石つぶてで戦っていたのが、鉄砲に代わる。 いずれにしても、基本は飛び道具なんです。」 ということになると、この「ラストサムライ」の 刀を中心においた武士のイメージというのは、 どうなるのでしょうか? 「たしかに江戸時代の武士になると、 刀が重視されるようになる。 それはなぜかというと、実戦やらないからなんですね。 そこで刀が武士の魂というような言説が出てくる。 実戦は、なんどもいうけど、 戦国時代には鉄砲が盛んに使われていたわけです。 『ラストサムライ』の舞台となる明治維新における いくつかの大規模な戦闘でも、 実際に武士は鉄砲中心で戦っているのです。 『武士にとって飛び道具が卑怯』というような言い方は、 いつ頃から出てくるのか、よくわかりません。 武士は本来飛び道具で戦ってきたのです。 幕末から明治には、 刀だけで戦おうとした集団もいましたが、 全体から見ればわずかでしょうし、 それは、大村益次郎のような合理的な戦法に 粉砕されてしまうわけですね。 『ラストサムライ』のように 極端な「飛び道具が卑怯」という観念には、 実戦を離れた江戸の武士の剣術好みに加えて、 ヨーロッパの騎士のイメージが 入ってきているのでしょう。 つまり『ラストサムライ』の刀で戦う武士のイメージは、 実はヨーロッパ的武術文化の翻訳なんですよ。」 うわ、僕らが「チャンバラ映画」で普通に信じてきた、 「刀は武士の魂」というイメージは江戸に発生し、 明治に発達したものなんですね。 さらに飛び道具は卑怯なり! という考え方は 「騎士道」のものだったのか? そういわれてみれば、西洋の決闘ってそうですよね。 ということは、この刀での戦いを 大きくフィーチャーしたこの映画の戦い方の考え方自体、 映画を作っている西洋人達が自分達の伝統の影を 「武士道」に映したともいえるわけですね? 「まあ、そうもいえますね。」 第二回のまとめ 武士は古来より、飛び道具を中心にした戦を展開した。 「飛び道具は卑怯なり」とは、西洋騎士道の考え方である。 オルグレンが讃えていたのは、 実は西洋の騎士道の精神だった! 残念! ギリ! それでは佐伯先生の著書 「戦場の精神史」を読んでみましょう。 225ページ 「北条氏長に兵法を学んだ山鹿素行(1622〜85)は (中略) 戦国武士道とは明らかに異質な「士道」を体系化した。 (中略) 「士」の役割は、ついに戦闘の専門家ではなく、 忠・信・義といった儒教的徳目を守ること とされるようになったのである。」 武士の哲学は、江戸時代に練られていったのですね。 食うか食われるか、の戦国時代以前の、「戦国武士道」は、 儒教的な倫理感覚の(僕らが親しんでいる)武士道とは 違った、「だまし討ち」の論理も含む 豪放なものだったようです。 この本で中世の日本の武士の いろんな意味で豪快なイメージに触れてみるのは 面白いです。
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2005-01-06-THU
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