MUSIC
虚実1:99
総武線猿紀行

第13回
「ライブハウスがやってきた! ヤアヤアヤア!」
(その2)

天文少年をやめ、グループサウンズを媒介に、
本格ロックに夢中になっていた僕にとっては、
将来の夢は天文台職員になるという優等生的なことから、
職業はどうでも、なんとかしてオヤジになっても
ロック音楽を聞き続ける方法はないか? という、
社会的には消極的なものにかわっていった。
というのは、当時、ロックミュージッシャン
という職業はなかったのである。
ないものにはあこがれられない。
新しい分野を作ろうという創造力を持てる青年や大人と
違い、頭脳と行動力に限界がある小学生は、
すでにあるものにしかあこがれることができない。
だからヤツラに「なりたいものは?」と聞くと、
判でおしたように「パイロット」だの「医者」だの
「サッカー選手」としか答えられないのだ。
「環境リサイクルみみず農業」だの、
「空に雲で絵を描く広告芸術家」だのといった
想像力あふれる職業は意外と考えつかない
(考えつかれたら親は困るだろうが)。
「詩人」、「ダンサー」など
本当は職業として成立してないような分野が、
あたかも成立しているかのように報道されるのは、
実は子どもにとってはすごい害毒なのだ。
子どもがそれらにあこがれることは、
ギャルが、職業詐称の業界おじさんに、
悪友から借りたスポーツカーでさらわれるのに似ている。
それはそれでスリルがあっていいが。
子供には、その時に成立している業種の、
できれば労働現場を見せたいものである。

ロックミュージッシャンという職種がないと
思っていた僕は、せめてロックを一生聞き続けられる
職業を選ぼうと思った。
ロックを流す花屋、ロックをかけるパン屋などが
その候補だったが、
一般的ではない激しい音楽を街路に流すのは
どうかと思った。
いつも通っている歯医者はどうだろう?
密室性があるではないか?
患者にもヘッドホンをして聞かせよう!
ジミヘン、ツエッペリンなどのハードロックなら
削り音を紛らわせることができるのでは。
ロックの花屋で
街頭に迷惑をかけることをはばかった僕だったが、
目の前の患者がヘッドホンをつけられて
ロバートプラントの雄叫びを聞かされる事が
迷惑かどうかなどと、なぜか眼中になかったのだ。
きっと1対1だから勝てると思ってたのだろう。
というわけで、歯科医を目指し始めたわけだ。
さて1970年にはいってまもなく、ミュージックライフ誌で、
ソウル不良のためのディスコでも、
グループサウンズ不良のためのジャズ喫茶でもない
本物の「ライブハウス」が都内にできたという報を聞いた。
僕にとって、目付きがコワく、
異性のことにしか眼中にないようなディスコの不良の
お兄さん、お姉さんと違って、ロック兄さん姉さんたちは
「トラフィック」、「ジョン・セバスチャン」など
アーティストの名前さえ知ってれば一目おいてくれて
優しくしてくれる、理想の先輩だったのだ。
そこが、自らも不良化しなければ現場への出入りを
許されない、ディスコなど不良系の文化と、
子供や優等生もなだれこむことができたロック文化の
大きな違いである。
自由な雰囲気に満ちあふれたロックは、
例えば日比谷野音のコンサートや、
ヤマハ主催のレコードコンサートでは、
ガキでもカッパでも(僕はカッパそっくりの子供だった)
現場での出入りを許された。情報さえ持ってれば。
そこが、現在に至るロック隆盛の原因で、
不良文化(現在ではクラブ文化が少し近い)が
伸び悩む原因だ。

そんな優しい現場、ライブハウスと言う
素晴らしいものができたので、目標が加わった。
「歯科医院の地下をライブハウスにしよう!」
なぜか自分がライブハウスのマスターになろうとは
思わなかった。
ヒゲで長髪のマスターに自分がなれるとは
思わなかったのである。
自分の町にライブハウスができること、
それは僕にとって夢だったのだ。

(つづく)

1998-11-23-MON

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