今日のセンセイ 総集編・その1 |
お話するときに「ショ」を 高校のときの科学の先生は、 実験の説明をしながら 試験管に入れた指が抜けなくなり、 20分くらい授業を 中断したことがありました。 五十過ぎの、 雑誌の『クロワッサン』を 小脇に抱えている、 かわいいセーターを着た先生でした。 先生との距離:20分 観察人(たれ) 大学のある助教授は 非常に物静かな先生でした。 生物学と数学が入り交じった 難しい講義を淡々と 説明されていました。 「両辺を二乗してあげて‥‥」 「ここで積分してあげて‥‥。」 〜してあげて、というのが口癖で、 なにをするにも「してあげる」と 付くのです。あげくには、 「ショウジョウバエを すり潰してあげて、 遺伝子を抽出してあげて‥‥」 おそらくショウジョウバエは すり潰して欲しくなかったでしょう。 皆笑いをこらえて 必死に講義に付いていったのでした。 先生との距離:ショウジョウバエ1匹分 観察人(京都市・かずら・27歳) 学校に雷が落ちたので、 避雷針にいちばん近い職員室に 見に行ったら、 たまたまひとりでいた女の先生が、 停電した部屋の中にしゃがみ込んで シクシクと泣いていた。 な、何も泣かなくても‥‥! 先生との距離:停電30分 観察人(東京都・ジョン・34歳) 理科の実験のときのことです。 ビーカーの水を温めるのに ガスバーナーを使っていました。 と、どこかのチームのガスホースが 抜けてしまい、 ザワッとなった瞬間、 先生が飛んできて 元栓のところを手で押さえ、 「みんなーっ、 俺のことはいいから逃げろーっ!」 と叫んだ先生の顔は、 ヒーローの喜びに満ちて ギラギラと輝いていました。 先生との距離:事件の火の粉がかからない距離 観察人(世田谷区・あさこ・35歳) 小学校5年生の時の担任の先生は、 今から思えば、まだ学生みたいな人でした。 課外授業が好きで、 学校に無許可で私たちを外へ連れ出しては 校長に叱られていたし、 生徒が言うことをきかないと 怒るというより「スネる」感じ。 一番の思い出は、 私たちの修学旅行のお小遣いを 自宅に忘れて来ちゃったこと。 宿泊先の部屋をこっそり覗いたら 校長の前で、コメツキバッタみたいに 頭を下げていたっけ。 大人がお金を借りる瞬間を 生まれて初めて目の当たりにしました。 先生との距離:ふすまの向こう 観察人(さいたま市・満月・26歳) 高校の英語の先生。 英語を発音するときだけ低音になり、 声だけ聞いていると、 とってもかっこいい。 なんでも小林克也さんの大ファンで、 克也さんの声と発音の「ものまね」で 授業をやっていたらしい。 言われてみれば似てる! ‥‥けど、言われなきゃ、わかんないなぁ。 先生との距離:気持ちだけ、テレビの向こう 観察人(木更津市・星・32歳) うちの学校の化学の先生は 阪神タイガースの大ファンだ。 「優勝したら学校休む」 とまで断言していた。 先日テストを返した後の 残りの時間に 中日戦の12、13、14日の チケットを持っていると 自慢していた。 その姿は実に実に嬉しそうだった。 だが、優勝しそうな13日が 土曜日だと知ると 「あ、やばい‥‥ どないしよう‥‥」 とボソッとつぶやき そのまま黙り込んでしまった。 一体先生にとって 阪神より大切な用事って なんなんだーーー!! すごく気になる3連休。 先生との距離:18年分? 観察人(愛知県・ソーザンス・16歳) 高校時代の地理のセンセイ。 特徴もあんまり思い出せないくらいの 人だったのですが、 とにかく「レマン湖」という地名が 出てきたときには、 青く燃える鬼火のようなエネルギーを 放出するのです。 「レマン湖、ですね。レ マン湖」 とつぶやき、 さらに「レマン湖」と板書して、 その文字のところを コンコンと叩きながら、再び小声で 「レマン湖ですね」と言うのです。 これ、毎年やる儀式のようなものらしく、 先輩から 「まだやってないのか、レマン湖」と、 あらかじめ予告されていました。 私も、後輩に予告してやりました。 そのとき、クラスのみんなが 「あんがいあのK先生は おもしろい人かもしれない」と ロングホームルームの講演に お招きしたのですが、 『私の世界観人生観』というタイトルの、 おもしろくもなんともない講演でした。 毎年、たった数秒の「レマン湖」に 命を燃やしていたんだなぁ。 先生との距離:数光年くらい 観察人(群馬・皆川タンゴ・46歳) 「明らかに」が口癖の センセイのお話が出ていましたが 私の高校時代の担任の先生(数学)は 「はっきり言って‥‥」が口癖でした。 ホームルーム、授業は勿論、 くだらない雑談にも 「はっきり言って‥‥」 と 言ってから話が続きました。 卒業する時、同級生の男の子が 文集みたいなものに 「数学のA先生は『はっきり言って‥‥』 と話を続けるが、そんな時ほど はっきりものが言えてない。」 と書いており、 家でその一言を読んでいた私は 一人大爆笑したのを憶えております。 数年後、同級会で再会した先生は 相変わらずで、私の 「先生が結婚しなきゃ、 教え子の私たちは 結婚できないですよ(笑)」 と言う一言にも 「はっきり言ってお前ね(以下説教)」 とはっきりしない返事をして下さいました。 今はもう結婚されていますが、 いまでもどこかの学校の教壇で 「はっきり言って‥‥」と数学を 教えておられるのかと思うと 当時のことが懐かしく思い出されて 少し切なくなってしまいました。 先生との距離:思い出数年分 観察人(新潟・あとか・26歳) 高校の時の生物の先生の話。 普段は物静かな感じの 先生でした。 三学期の最後の授業の日に なぜかスライドショーを 見ることになりました。 内容は、先生の登山日記。 そう、先生は山男だったんです。 そして冬山登山で 親指が凍傷にかかった時に 自分のお腹を切って その指を傷口に 1ヶ月入れてくっついた肉で 親指を復元させるという 嘘のような治療話も 披露してくれました。 「だから先生の親指には 爪がありません」 と私たちの前に ズイッと掲げた親指には 確かに爪がありませんでした。 おそるべし、山男。 先生との距離:親指1本分 観察人(はぅ) 高校時代の担任は 通称・ジミー(30代・男)。 結構人気者の体育の先生。 5月のある日、 帰りのHRに来ないので 私達がジミーを呼びに行くと その日の朝、 クラスのA子が遅刻をして、 その第一発見者の先生がA子に 「誰のクラスや?」と聞いたところ、 A子が「(担任の)名前知りません」 と答えたというのを小耳に挟み、 それにショックを受けたらしく 「おまえら全員が 俺の名前を憶えてくれるまで HR行ったらへんねん!」 と体育教官室で拗ねていた。 先生との距離:学食のカレー1皿分。 観察人(ぴゃ〜) 体育大会が終わった後の事。 この学校での最後の大会だっただけに、 マスゲーム後、閉会式にも、 帰りの会にも出ずに 一人で泣いていた体育の先生。 トモダチと一緒に職員室にいったら 「お前らに泣いてるところなんて 見せられるか」 と、必死に涙をこらえていました。 僕らも一緒に泣きたかったのに。 先に生きると書いて先生、 んなこたぁないと思いました。 追いかけるほど遠くなく、 手が届くほど近くない、と思います。 先生との距離:職員室から校庭まで。 観察人(滋賀県彦根市・こず・15歳) いま習っている物理の先生なのですが、 チョークを使った後に 必ず、チョークの粉が付いた指に 息を「フッ」とかけて 粉を吹き飛ばします。 しかも、癖なのか、 チョークを使わない時にも ずっと「フッ、フッ」やってます。 その動作が「飛びます、飛びます」の あのポーズに似てるので冗談かな? って 思うほどのものです。 「力学的エネルギーがね、フッ、 一定に保たれるからね、フッ、 これを力学的エネルギー保存則って いうんだよね、フッ、フッ」 初めてその先生の授業を受けた時には もの凄い「フッ」の頻度に爆笑しましたが、 もう慣れました。 先生との距離:「フッ」が届くところ 観察人(宮城県・イマジュン・17歳) うちの学校の 数学の先生のあだ名は、 「ワッサ」でした。 「和と差が大事なんだ。 ワッサワッサ!」というのが 口癖だったからです。 「ワッサワッサ」の部分は、 半笑いで力を入れ、 こぶしをきかせるのがポイントです。 当時でも結構お年でしたが、 教えるのが上手で、やさしかったので、 女生徒に人気がありました。 数学がニガテな私も、 ワッサの授業は楽しかった記憶があります。 先生との距離:黒板まで3メートル 観察人(横浜市・にせぱんだ・20代) 中学のときの理科担当のY先生。 地元の訛りが強いせいか 「サ行」の発音が聞き取りにくく、 「さしすせそ」が「さすすせそ」、 「しゃ・しゅ・しょ」が 「ひゃ・ひゅ・ひょ」に なってしまう先生は、 「朝シャン」が言えず「あひゃひゃん」 になってしまいました。 中学1年の生物のテストにて。 植物の生態についての問題で、 答えが「胚珠(はいしゅ)」となる 問題があったのですが、 Y 先生の受け持ちのクラスから 「はいひゅ」と回答欄に 書いてしまう生徒が続出しました。 もちろん「はいひゅ」と書いた生徒は×。 しかし、これには抗議が殺到しました。 まあ‥‥確かに先生は 「はいひゅ」って言ってましたがね。 教科書にはちゃんとルビも付いてたし、 漢字で書けば正解だったはず、 という先生の言い分は通らず、 今回に限り「はいひゅ」も ○になりました。 その後先生は必ず黒板に読み方を 書くようになりました。 先生との距離:あと2点 観察人(神奈川県・ねぎこ・28歳) 「レ マン湖」に命をかけている センセイのお話しで思い出しました。 高校時代の世界史のセンセイ。 一橋を出たのにしがない高校教師で、 しかも専門でない世界史を 担当させられたことに 不満を感じてたようで、 ちょっとなげやりな態度での講義でした。 ですが「オクタビアヌス」には 並々ならぬ愛着があるらしく、 いつも仏頂面なのが 「オクタビアヌス」と言うときだけは 心なしか顔が紅潮して ニヤリとさえするのです。 「オクタビアヌス」とふつうに言ったあと、 「オクタビ アヌス」 と、必要ないところで切って発音し、 その後、 しばし余韻に浸るように黙るのです。 センセイも人間なんだということと、 おとなの悲哀を知りました。 先生との距離:トラック1周分 観察人(東京・はりねずみ・38歳) 高校のときの生活指導の西原先生は 怖〜い先生でした。 ある日の放課後、用があって 職員室の先生のところに行ったら ちょうど先生が にこにことアイス(棒の)を 食べていました。 「先生」と声を掛けると、 すごく驚いた様子でビクっとして、 サッと引き出しにアイスを隠して 「なんだ!?」と。 たぶん引出しの中の書類とか ベトベトになったと思います。 生徒に弱み?を 見せたくない一心だったのかなあ。 先生との距離:かなり遠い 観察人(じん) 高校の数学の授業で 「i(アイ)」について 習った時のこと。 黒板に向かって とうとうと説明しながら 「アイ、アイがあれば、 でも僕たちは学生だから‥‥」 と、その先生は 芝居がかった小声で呟きました。 けれど、余りにも声が ちっさかったので 前の席に座っている生徒にしか聞こえず 先生のいっぱいいっぱいのギャグは 謎の独り言に終わってしまいました。 今でも、ちょっと勿体無い。 先生との距離:遠め 観察人(i) 高校に入って早2年。 そろそろ受験勉強という単語が ちらほら見え始めています。 そんな授業の内容が 難しくなってきた今日この頃、 我らの数学の先生はどんな時でも 「難しく考えないでください」 が口癖です。 1年生の頃から世話になってるのですが、 この口癖はいつの授業でも言います。 もしかして暗示をかけようと しているのでしょうか? 三角関数の時も 「難しく考えないでください」。 累乗根の計算の時も 「難しく考えないでください」。 関数の絶対値を出す時も 「難しく考えないでください」。 微分・積分を教える時も 「難しく考えないでください」。 正直、問題そのものが難しいのに そんなこと言われても困ります。 難しく考えないと解けません。 しかし先生は今日も言うことでしょう。 ま、難しく考えないでください。 先生との距離:難しい問題だ。 観察人 (本州で一番大きな県・ブリキ大王 ・17歳) 高校時代の先生は毒舌で人気者。 進路調査用紙の提出が遅れている生徒に 先生「なんで出さないんだ?」 生徒「まだ悩んでるので‥‥」 先生「へぇ〜そんな顔して悩んでるんだ。」 (一同爆笑) 言われた子には悪いけど、 笑いが止まりませんでした。 もちろん女の子にはそこまで きつくいわないんですけど。 その先生のことは好きすぎて、 授業中顔をみることができず、 いつもうつむいていました。 先生との距離:照れるくらい 観察人(東京都・歩・19歳) 古い校舎の窓って、 簡単に開くのに なかなか閉まりませんよね。 僕が通っていた高校もそうでした。 ある日、閉まらない窓を眺めて 友人と「どうしよう」と言っていたら 担任がすかさず窓を指さし、 「いいか、 こことここのベクトルが‥‥。 そして、この方向にエネルギーが‥‥」 などと難しい単語を並べて、 「だからこの方向に 力をかければいいのだ」 と、いとも簡単に 窓を閉めてしまいました。 担任は、最近出世した物理教師でした。 先生との距離:エネルギーは届く 観察人(山梨県・きょうへい・18歳) 高校の世界史の授業の時、 静かにならない生徒に怒り、 黒板の隅っこに 小さく「馬鹿」とだけ書き、 無言で教卓の前に立っていた先生。 生徒は誰も気付かず、 ずっと騒ぎ続けてました。 終業のチャイムと同時に 「お前らはこれだー!!」と怒鳴り 指し棒で「馬鹿」の文字を指し、 出て行きました。 先生、ごめんなさい!! 本当ごめんなさい!! 先生との距離:馬鹿2文字ぶん 観察人(東京都・ちかちゅう。・21歳)< 中学の社会の先生はダジャレが大好きで、 テストにも笑いを欠かさない (「ガガーリン」を正解とする選択肢の中に 「マーガリン」が入ってたりした)、 お茶目な人でした。 それは朝鮮戦争の歴史を 学んでいるときのことでした。 「アメリカと北朝鮮が、 “あわや”第三次世界大戦か! というところまでいったんだけどね、 そのときに淡谷のり子さんがでてきて 『まあまあ、あなたたち、 戦争はおやめなさい』と仲介してね、 戦争は終わったんです」 そんな先生の無茶な説明が 好きだったけれど、 シャイな中学生には 素直なリアクションなんて できなかったなあ‥‥。 先生との距離:ツッコミたかった。 観察人 (つくば市・ メッカはめっかり(見つかり)ましたか) 高校の時のK先生。 授業も半ばにさしかかった頃、 おもむろにチョーク箱から白棒を取り出し、 ボリボリと食べ始めた。 それまで騒がしかった教室は 一瞬のうちに静まり返り、 「ウソだ!」 「信じられない!」 「狂ってる!」 などの声・声・声‥‥。 結局、白棒の正体は 『ハッカ棒』だったけど そこまでして我々を静かにさせたかった 先生の気持ちを察すると、 ちょっぴり申し訳なかった‥‥ とは、誰も思わなかったようだ。 先生との距離:遠いまま 観察人(長岡・SPIKE・39歳) |
戻る |