今日のセンセイ
総集編・その1

お話するときに「ショ」を
「ひょ」といってしまう
センセイだったらしいのですが、
ある時
言葉尻をとらえて、
生徒がくすくす笑っているとセンセイは、
ぷんぷんして
「ひょうぼうひょって言ったでひょ」
とおっしゃったそうです。
(消防署っていったでしょ?)
その場で、生徒が
「うひょひょひょひょ」と
笑ったという事は、
想像にかたくありません。

先生との距離:?

観察人(廿日市・かのん・38歳)



高校のときの数学の教師の口癖、
「明らかに〜‥‥ですよね。」
この口癖にはまいった。
何しろ数学で分からないことがあって
質問に行っても、
「ここまでは明らかですよね。」で
かなりの部分が
省略されてしまうのだから。
そんなこといわれたら
わからないなんていえない‥‥。
明らかな部分から
分からんのだっちゅうねん。

先生との距離:宿題1日分

観察人(長野県・ノーク・23歳)



高校のときの科学の先生は、
実験の説明をしながら
試験管に入れた指が抜けなくなり、
20分くらい授業を
中断したことがありました。
五十過ぎの、
雑誌の『クロワッサン』を
小脇に抱えている、
かわいいセーターを着た先生でした。

先生との距離:20分

観察人(たれ)



大学のある助教授は
非常に物静かな先生でした。
生物学と数学が入り交じった
難しい講義を淡々と
説明されていました。
「両辺を二乗してあげて‥‥」
「ここで積分してあげて‥‥。」
〜してあげて、というのが口癖で、
なにをするにも「してあげる」と
付くのです。あげくには、
「ショウジョウバエを
 すり潰してあげて、
 遺伝子を抽出してあげて‥‥」
おそらくショウジョウバエは
すり潰して欲しくなかったでしょう。
皆笑いをこらえて
必死に講義に付いていったのでした。

先生との距離:ショウジョウバエ1匹分

観察人(京都市・かずら・27歳)



学校に雷が落ちたので、
避雷針にいちばん近い職員室に
見に行ったら、
たまたまひとりでいた女の先生が、
停電した部屋の中にしゃがみ込んで
シクシクと泣いていた。
な、何も泣かなくても‥‥!

先生との距離:停電30分

観察人(東京都・ジョン・34歳)



理科の実験のときのことです。
ビーカーの水を温めるのに
ガスバーナーを使っていました。
と、どこかのチームのガスホースが
抜けてしまい、
ザワッとなった瞬間、
先生が飛んできて
元栓のところを手で押さえ、
「みんなーっ、
 俺のことはいいから逃げろーっ!」
と叫んだ先生の顔は、
ヒーローの喜びに満ちて
ギラギラと輝いていました。

先生との距離:事件の火の粉がかからない距離

観察人(世田谷区・あさこ・35歳)



小学校5年生の時の担任の先生は、
今から思えば、まだ学生みたいな人でした。
課外授業が好きで、
学校に無許可で私たちを外へ連れ出しては
校長に叱られていたし、
生徒が言うことをきかないと
怒るというより「スネる」感じ。

一番の思い出は、
私たちの修学旅行のお小遣いを
自宅に忘れて来ちゃったこと。
宿泊先の部屋をこっそり覗いたら
校長の前で、コメツキバッタみたいに
頭を下げていたっけ。
大人がお金を借りる瞬間を
生まれて初めて目の当たりにしました。

先生との距離:ふすまの向こう

観察人(さいたま市・満月・26歳)



高校の英語の先生。
英語を発音するときだけ低音になり、
声だけ聞いていると、
とってもかっこいい。
なんでも小林克也さんの大ファンで、
克也さんの声と発音の「ものまね」で
授業をやっていたらしい。
言われてみれば似てる!

‥‥けど、言われなきゃ、わかんないなぁ。

先生との距離:気持ちだけ、テレビの向こう

観察人(木更津市・星・32歳)



うちの学校の化学の先生は
阪神タイガースの大ファンだ。
「優勝したら学校休む」
とまで断言していた。
先日テストを返した後の
残りの時間に
中日戦の12、13、14日の
チケットを持っていると
自慢していた。
その姿は実に実に嬉しそうだった。
だが、優勝しそうな13日が
土曜日だと知ると
「あ、やばい‥‥
 どないしよう‥‥」
とボソッとつぶやき
そのまま黙り込んでしまった。

一体先生にとって
阪神より大切な用事って
なんなんだーーー!!
すごく気になる3連休。

先生との距離:18年分?

観察人(愛知県・ソーザンス・16歳)



高校時代の地理のセンセイ。
特徴もあんまり思い出せないくらいの
人だったのですが、
とにかく「レマン湖」という地名が
出てきたときには、
青く燃える鬼火のようなエネルギーを
放出するのです。
「レマン湖、ですね。レ マン湖」
とつぶやき、
さらに「レマン湖」と板書して、
その文字のところを
コンコンと叩きながら、再び小声で
「レマン湖ですね」と言うのです。
これ、毎年やる儀式のようなものらしく、
先輩から
「まだやってないのか、レマン湖」と、
あらかじめ予告されていました。
私も、後輩に予告してやりました。
そのとき、クラスのみんなが
「あんがいあのK先生は
 おもしろい人かもしれない」と
ロングホームルームの講演に
お招きしたのですが、
『私の世界観人生観』というタイトルの、
おもしろくもなんともない講演でした。
毎年、たった数秒の「レマン湖」に
命を燃やしていたんだなぁ。

先生との距離:数光年くらい

観察人(群馬・皆川タンゴ・46歳)



「明らかに」が口癖の
センセイのお話が出ていましたが
私の高校時代の担任の先生(数学)は
「はっきり言って‥‥」が口癖でした。
ホームルーム、授業は勿論、
くだらない雑談にも
「はっきり言って‥‥」 と
言ってから話が続きました。

卒業する時、同級生の男の子が
文集みたいなものに
「数学のA先生は『はっきり言って‥‥』
 と話を続けるが、そんな時ほど
 はっきりものが言えてない。」
と書いており、
家でその一言を読んでいた私は
一人大爆笑したのを憶えております。
数年後、同級会で再会した先生は
相変わらずで、私の
「先生が結婚しなきゃ、
 教え子の私たちは
 結婚できないですよ(笑)」
と言う一言にも
「はっきり言ってお前ね(以下説教)」
とはっきりしない返事をして下さいました。
今はもう結婚されていますが、
いまでもどこかの学校の教壇で
「はっきり言って‥‥」と数学を
教えておられるのかと思うと
当時のことが懐かしく思い出されて
少し切なくなってしまいました。

先生との距離:思い出数年分

観察人(新潟・あとか・26歳)



高校の時の生物の先生の話。
普段は物静かな感じの
先生でした。
三学期の最後の授業の日に
なぜかスライドショーを
見ることになりました。
内容は、先生の登山日記。
そう、先生は山男だったんです。
そして冬山登山で
親指が凍傷にかかった時に
自分のお腹を切って
その指を傷口に
1ヶ月入れてくっついた肉で
親指を復元させるという
嘘のような治療話も
披露してくれました。
「だから先生の親指には
 爪がありません」
と私たちの前に
ズイッと掲げた親指には
確かに爪がありませんでした。
おそるべし、山男。

先生との距離:親指1本分

観察人(はぅ)



高校時代の担任は
通称・ジミー(30代・男)。
結構人気者の体育の先生。
5月のある日、
帰りのHRに来ないので
私達がジミーを呼びに行くと
その日の朝、
クラスのA子が遅刻をして、
その第一発見者の先生がA子に
「誰のクラスや?」と聞いたところ、
A子が「(担任の)名前知りません」
と答えたというのを小耳に挟み、
それにショックを受けたらしく

「おまえら全員が
 俺の名前を憶えてくれるまで
 HR行ったらへんねん!」

と体育教官室で拗ねていた。

先生との距離:学食のカレー1皿分。

観察人(ぴゃ〜)



体育大会が終わった後の事。
この学校での最後の大会だっただけに、
マスゲーム後、閉会式にも、
帰りの会にも出ずに
一人で泣いていた体育の先生。
トモダチと一緒に職員室にいったら
「お前らに泣いてるところなんて
 見せられるか」
と、必死に涙をこらえていました。
僕らも一緒に泣きたかったのに。

先に生きると書いて先生、
んなこたぁないと思いました。
追いかけるほど遠くなく、
手が届くほど近くない、と思います。

先生との距離:職員室から校庭まで。

観察人(滋賀県彦根市・こず・15歳)



いま習っている物理の先生なのですが、
チョークを使った後に
必ず、チョークの粉が付いた指に
息を「フッ」とかけて
粉を吹き飛ばします。
しかも、癖なのか、
チョークを使わない時にも
ずっと「フッ、フッ」やってます。
その動作が「飛びます、飛びます」の
あのポーズに似てるので冗談かな? って
思うほどのものです。
「力学的エネルギーがね、フッ、
 一定に保たれるからね、フッ、
 これを力学的エネルギー保存則って
 いうんだよね、フッ、フッ」
初めてその先生の授業を受けた時には
もの凄い「フッ」の頻度に爆笑しましたが、
もう慣れました。

先生との距離:「フッ」が届くところ

観察人(宮城県・イマジュン・17歳)



うちの学校の
数学の先生のあだ名は、
「ワッサ」でした。

「和と差が大事なんだ。
 ワッサワッサ!」というのが
口癖だったからです。
「ワッサワッサ」の部分は、
半笑いで力を入れ、
こぶしをきかせるのがポイントです。
当時でも結構お年でしたが、
教えるのが上手で、やさしかったので、
女生徒に人気がありました。
数学がニガテな私も、
ワッサの授業は楽しかった記憶があります。

先生との距離:黒板まで3メートル

観察人(横浜市・にせぱんだ・20代)



中学のときの理科担当のY先生。
地元の訛りが強いせいか
「サ行」の発音が聞き取りにくく、
「さしすせそ」が「さすすせそ」、
「しゃ・しゅ・しょ」が
「ひゃ・ひゅ・ひょ」に
なってしまう先生は、
「朝シャン」が言えず「あひゃひゃん」
になってしまいました。

中学1年の生物のテストにて。
植物の生態についての問題で、
答えが「胚珠(はいしゅ)」となる
問題があったのですが、
Y 先生の受け持ちのクラスから
「はいひゅ」と回答欄に
書いてしまう生徒が続出しました。
もちろん「はいひゅ」と書いた生徒は×。
しかし、これには抗議が殺到しました。
まあ‥‥確かに先生は
「はいひゅ」って言ってましたがね。
教科書にはちゃんとルビも付いてたし、
漢字で書けば正解だったはず、
という先生の言い分は通らず、
今回に限り「はいひゅ」も
○になりました。
その後先生は必ず黒板に読み方を
書くようになりました。

先生との距離:あと2点

観察人(神奈川県・ねぎこ・28歳)



「レ マン湖」に命をかけている
センセイのお話しで思い出しました。

高校時代の世界史のセンセイ。
一橋を出たのにしがない高校教師で、
しかも専門でない世界史を
担当させられたことに
不満を感じてたようで、
ちょっとなげやりな態度での講義でした。
ですが「オクタビアヌス」には
並々ならぬ愛着があるらしく、
いつも仏頂面なのが
「オクタビアヌス」と言うときだけは
心なしか顔が紅潮して
ニヤリとさえするのです。
「オクタビアヌス」とふつうに言ったあと、

「オクタビ アヌス」

と、必要ないところで切って発音し、
その後、
しばし余韻に浸るように黙るのです。
センセイも人間なんだということと、
おとなの悲哀を知りました。

先生との距離:トラック1周分

観察人(東京・はりねずみ・38歳)



高校のときの生活指導の西原先生は
怖〜い先生でした。

ある日の放課後、用があって
職員室の先生のところに行ったら
ちょうど先生が
にこにことアイス(棒の)を
食べていました。
「先生」と声を掛けると、
すごく驚いた様子でビクっとして、
サッと引き出しにアイスを隠して
「なんだ!?」と。
たぶん引出しの中の書類とか
ベトベトになったと思います。
生徒に弱み?を
見せたくない一心だったのかなあ。

先生との距離:かなり遠い

観察人(じん)



高校の数学の授業で
「i(アイ)」について
習った時のこと。
黒板に向かって
とうとうと説明しながら

「アイ、アイがあれば、
 でも僕たちは学生だから‥‥」

と、その先生は
芝居がかった小声で呟きました。
けれど、余りにも声が
ちっさかったので
前の席に座っている生徒にしか聞こえず
先生のいっぱいいっぱいのギャグは
謎の独り言に終わってしまいました。
今でも、ちょっと勿体無い。

先生との距離:遠め

観察人(i)



高校に入って早2年。
そろそろ受験勉強という単語が
ちらほら見え始めています。
そんな授業の内容が
難しくなってきた今日この頃、
我らの数学の先生はどんな時でも

「難しく考えないでください」

が口癖です。
1年生の頃から世話になってるのですが、
この口癖はいつの授業でも言います。
もしかして暗示をかけようと
しているのでしょうか?
三角関数の時も
「難しく考えないでください」。
累乗根の計算の時も
「難しく考えないでください」。
関数の絶対値を出す時も
「難しく考えないでください」。
微分・積分を教える時も
「難しく考えないでください」。
正直、問題そのものが難しいのに
そんなこと言われても困ります。
難しく考えないと解けません。
しかし先生は今日も言うことでしょう。
ま、難しく考えないでください。

先生との距離:難しい問題だ。

観察人
(本州で一番大きな県・ブリキ大王
 ・17歳)



高校時代の先生は毒舌で人気者。
進路調査用紙の提出が遅れている生徒に
先生「なんで出さないんだ?」
生徒「まだ悩んでるので‥‥」
先生「へぇ〜そんな顔して悩んでるんだ。」
(一同爆笑)
言われた子には悪いけど、
笑いが止まりませんでした。
もちろん女の子にはそこまで
きつくいわないんですけど。

その先生のことは好きすぎて、
授業中顔をみることができず、
いつもうつむいていました。

先生との距離:照れるくらい

観察人(東京都・歩・19歳)



古い校舎の窓って、
簡単に開くのに
なかなか閉まりませんよね。
僕が通っていた高校もそうでした。
ある日、閉まらない窓を眺めて
友人と「どうしよう」と言っていたら
担任がすかさず窓を指さし、
「いいか、
 こことここのベクトルが‥‥。
 そして、この方向にエネルギーが‥‥」
などと難しい単語を並べて、
「だからこの方向に
 力をかければいいのだ」
と、いとも簡単に
窓を閉めてしまいました。
担任は、最近出世した物理教師でした。

先生との距離:エネルギーは届く

観察人(山梨県・きょうへい・18歳)



高校の世界史の授業の時、
静かにならない生徒に怒り、
黒板の隅っこに
小さく「馬鹿」とだけ書き、
無言で教卓の前に立っていた先生。
生徒は誰も気付かず、
ずっと騒ぎ続けてました。
終業のチャイムと同時に
「お前らはこれだー!!」と怒鳴り
指し棒で「馬鹿」の文字を指し、
出て行きました。
先生、ごめんなさい!!
本当ごめんなさい!!

先生との距離:馬鹿2文字ぶん

観察人(東京都・ちかちゅう。・21歳)<



中学の社会の先生はダジャレが大好きで、
テストにも笑いを欠かさない
(「ガガーリン」を正解とする選択肢の中に
 「マーガリン」が入ってたりした)、
お茶目な人でした。
それは朝鮮戦争の歴史を
学んでいるときのことでした。
「アメリカと北朝鮮が、
 “あわや”第三次世界大戦か!
 というところまでいったんだけどね、
 そのときに淡谷のり子さんがでてきて
 『まあまあ、あなたたち、
  戦争はおやめなさい』と仲介してね、
 戦争は終わったんです」
そんな先生の無茶な説明が
好きだったけれど、
シャイな中学生には
素直なリアクションなんて
できなかったなあ‥‥。

先生との距離:ツッコミたかった。

観察人
(つくば市・
 メッカはめっかり(見つかり)ましたか)



高校の時のK先生。
授業も半ばにさしかかった頃、
おもむろにチョーク箱から白棒を取り出し、
ボリボリと食べ始めた。
それまで騒がしかった教室は
一瞬のうちに静まり返り、
「ウソだ!」
「信じられない!」
「狂ってる!」
などの声・声・声‥‥。
結局、白棒の正体は
『ハッカ棒』だったけど
そこまでして我々を静かにさせたかった
先生の気持ちを察すると、
ちょっぴり申し訳なかった‥‥
とは、誰も思わなかったようだ。

先生との距離:遠いまま

観察人(長岡・SPIKE・39歳)

BACK
戻る