今日のセンセイ
総集編・その3

カエルの解剖を終えたセンセイ、
率先してビーカーに油を満たし、
アルコールランプで
カエルの唐揚げをつくって、
自ら食べた‥‥らしい。
わたしは解剖が嫌で
学校を休んだので、
あとから友だちに
聞いた話しです‥‥。

先生との距離:遠のくばかり

観察人(宇都宮市・のん・32歳)



高校のときの数学のセンセイ。
ひとの名前を呼ぶときに
なぜか有名人の名前をつけて呼ぶ。
‥‥呼ぶっていうか、
意味もなくいちいち怒鳴る。

たとえば、
大竹、大竹しのぶ!
元木、元木大介!
矢沢、矢沢永吉!

女優や野球選手、
永ちゃんは、いいよ。
でも女子高生つかまえて、

志村、志村けん!

は、あんまりだよ。

先生との距離:つい返事をしてしまう

観察人(埼玉県・めぐみ・31歳)



夏休みとか春休みとか
休みに入る前の終業式で
必ず生活指導の
先生が言ってた「禁止の<3ト>」
(1)アルバイ「ト」
(2)パーマネン「ト」
(3)オールナイ「ト」

先生との距離:
 今聞いても、爆笑せずにいられない

観察人(宇都宮市・瑠璃・35歳)



私の数学の教師が、
まだ中学生の頃の話を
してくださいました。
その頃は戦争中で、
学校に兵隊に志願する人を
募集しに来ました。

その募集は、
学校ごとに何人という感じで
半ば強制の空気があったようです。

教室で、先生が
「兵隊に志願する生徒は、
 手を上げて欲しい」
と言いました。
ですが、すでに日本の敗戦が濃厚な頃で
生徒は誰も、手を上げませんでした。
すると、先生は「わかった」と言って
次の日には、
先生自身が生徒の身代わりになって
兵隊に志願したそうです。

先生との距離:?

観察人(佐野幸治)



大学の数学で、
本当にわからなかったんです。
自分でも
「これはもう自分の手に負えない」
とは思いました。
でも、最後の最後に、
聞いておこう! と思って聞きました。
「ここからどうしてこうなるんですか?」
先生は

「えっ、これは、その、
 自然の流れで‥‥」

その言葉で、
授業に見切りをつけました
(諦めたとも言う)。

先生との距離:自然の摂理を守れないほど

観察人(山梨県・きょうへい・19歳)



私の通った高校では、
修学旅行の行き先は
生徒の希望によって前年の内に
何カ所かの候補地から
選ばれていました。
私達はその候補地の中から
余り行くことのないであろう
小笠原に決定し、
自分達で決めた行き先に
翌年を楽しみにしていたんですが、
大変だったのは先生達。

担任の先生は
翌年も基本的に変わることがないので
のほほんとしていましたが、
副担任というポストは
年によって変わるので、
修学旅行の行き先が決まってから
行われた副担任選出会議
(と言うのかは知りませんが)では
小笠原に行きたい先生が多数集まり
かなりの倍率だったとか。

翌年行った小笠原で
勝ち抜いた副担任の先生にその話を聞いて、
事務的に決まっていると思われた副担任も
実際そんなモンで決まってたのかと
驚きました。

先生との距離:小笠原の海と砂浜

観察人(横浜市・ぐりこ・25歳)



高3の担任の先生のはなしです。
卒業を前にクラス新聞に
こんなことを書いてくれました。

「人生すべてが仮の宿」

生まれた家も、
今住んでいる家も
人生の通過点にすぎない。
物事に固執しすぎたり、
新しくなにかを始めるとき、
怖気づいてしまったとき、
いつもこの言葉を思い出しています。

先生との距離:いまも思い出す

観察人
 (東村山よんちょうめ・日月・30歳)



わたしの中学校1年生のときの
社会の先生、テストが毎回変でした。
あるときは、問題が100問以上あって、
1問の配点が0.5点。
またあるときの問題は
「発明将軍ダウンタウン
 (昔やっていたダウンタウンの番組)に
 出ていた発明品をひとつ答えなさい。」
普段はものすごーく怖い先生だったのに、
ちょっといいかげんでした。

先生との距離:?

観察人(りょん)



中学生の時の数学のセンセイは
キリリとしたおばあちゃまだった。
口癖は
「昔は娘は15になると嫁に行った!
 あなた達、もっとしっかりしなさい!」
分かるような、分からないような。
複雑な気持ちでいつも聞いてました。

先生との距離:?

観察人(宇都宮市・瑠璃・35歳)



高校のときの数学の先生が、
「なんで年を取るにつれて
 一年たつのがはやく感じるかというと、
 三歳の時は人生の三分の一、
 二十歳の時は人生の二十分の一だからだ」
とおっしっていました。
じゃあ八十歳になったら‥‥??
ひえ〜! なんて思いつつ、
数学の先生だけに
妙に説得力があったのを覚えています。

先生との距離:?

観察人(神奈川県・よよよ・21歳)



高校の頃の数学の先生は、
なまっていて
「イ」と「エ」の区別ができませんでした。
例:「えび」→「いび」
ある日、sign、cos、tanの
記号が出てきた時のこと。
先生は
「これはサエン、コサエン、
 タンゼントと読みます」
と言いました。私は何の疑いもなく
それをノートに書き止め、
後で他の先生が担当してるクラスの子の前で
「サエンのシータがさあ」
と言って爆笑されました。
先生はその後も、授業でずっと
「サエンのシータを‥‥」
と言い続けていました。

先生との距離:イとエの間

観察人(北海道・ぎょもこ・29歳)



小学校4〜6年を担当していただいたのは、
怒ると怖いけれどとても熱い先生。
修学旅行ではバスの中、
全員で歌いまくり、笑いまくりました。
2日目の朝。
最初の見学地は新日鉄の君津製鉄所。
見学が終わった後バスに乗り込むと、
少々トラブルがあり先生が怒りました。
みんなはシ〜ンとうつむき加減。
それでも先生は(怒ったまま)言いました。
「『てつのうた』を歌うぞ!」
先生が(機嫌が悪いまま)
勇壮に歌う後につづいて、
皆意気消沈、
私も涙目でよく分からない歌を
ぼそぼそと歌い(歌わされ)ました。
でもね、先生。
この日初めて聞いた歌なんですけど‥‥。

先生との距離:(E)と書いてかっこいい

観察人(中部地方・じゃっしぃー・23歳)



わたしは1972年生まれの30歳ですが、
1960年代〜70年代前半に
流行ったと思われる
フォークソングをけっこう
いろいろと歌えます。
なぜなら中学の時の音楽のセンセイが
大のフォークソング好きで
教科書そっちのけで
たくさん教えてくださったからです。
『あの素晴らしい愛をもう一度』とか
『虹と雪のバラード』とか。
いい歌が多いですよね。
教えてもらえて、よかったです。

先生との距離:年齢差は15歳くらいかなぁ

観察人(埼玉県・やまみど・30歳)



高校3年のときの担任は
怒ると顔をまっ赤にして大声で怒鳴る、
こわいセンセイでした。
ときには「パーン」と
横っ面をひっぱたかれる男子生徒もいて、
敬遠しているクラスメイトも
少なくありませんでした。
でも私たちの卒業式の日、
センセイはとても静かな口調で、
「これから先の人生では、
 毎日同じ事を繰り返しているような
 気分になって
 いきづまりを感じることが
 あるかもしれない。
 でも、そんなことは
 『よくあること』くらいに思えばいい。
 人生はらせん階段を昇るようなもので
 一周高いところに昇っているのに
 見える景色が同じように
 感じるものなんだ。
 でも、ちゃんとひとつ
 経験を積んでいるんです」
とおっしゃいました。
某航空会社のエリート街道を蹴って
県立高校の教師になり、
毎日あっつくるしいくらいに積極的に
生徒に向かってきてくれた
そのセンセイの言葉を
今もときどき思い出しています。

先生との距離:じんわりしみこんだ

観察人(神奈川県・ルート・33歳)



私は「小沢」という
とても簡単な名前なんですが、
高校のとき
体育の教育実習に来たセンセイは
出席をとるとき、私のことを
「オオサワ」と呼び続けました。
最初の授業のとき
出席簿がまちがっているのかと思い、
ちらっと覗きにいきましたが、
そこにはちゃんと「小沢」の文字が。

でも考えてみればセンセイといえども
まだ大学生だったわけで、
生意気な高校生相手に
しゃべらなければいけない彼女の
緊張の大きさを知りました。

先生との距離:大と小

観察人
 (北区・2週間限定オオサワ・31歳)



中学の担任の先生は、
自他共に認める馬面でした。
で、合唱コンクールに
担任が選んだ自由曲は『野生の馬』。
それで良いのか? と
思いながらクラス全員歌ってました。

先生との距離:草原の向こう

観察人(福岡県・ぱーる・29歳)



中学1年のときの美術担任だった
ハシヅメ先生(女性)。
あまりに生徒の忘れ物が
多いことに怒り心頭。
ある日、授業の終わりに、
「忘れ物をしたら、取りに帰ること!」と
ビシッと言おうとしたらしいのですが、
テンションが高すぎたのか、
実際に口から出たのは
「忘れ物をしたら、トに帰ること!」
それ以来、生徒のあいだでは
「やべえ、トに帰らなきゃ!」
「トに帰れ!」
などと使い回されることになりました。
ルックス的には
楠田えりこさんに似てました。

先生との距離:自宅まで

観察人(あけがた)



忘れもしない小学校3年生の時、
当時35歳くらいだったセンセイ(男性)、
跳び箱の見本を見せてくれようと
アキレス腱を必要以上に伸ばして準備万端。
もう、おわかりでしょうか。
「しゃっ」のかけ声むなしく
ほんの数歩で見事に転倒。
アキレス腱こそ切らなかったけど、
がっちり、ねんざしてました。
それも、両足。

先生との距離:跳び箱5段分

観察人(杉並区・ドロップ・24歳)



高3の時の担任の先生の話です。
ものすごくマイペースな先生で、
生徒にもこれといってああしろこうしろと
言わない先生だったんですが、
こだわりがひとつ。
「席替えは、私のいる時に」。
そのシステムは、生徒にくじを引かせてから
先生が黒板に書いた座席表に
番号を振るというものだったんですが、
その数字の書き方が、
縦に行ったり横に行ったり
螺旋に行ったり‥‥と
毎回、違う書き方だったのです。
数字が進むにつれて、わきあがる生徒。
ものすごい勢いで書く先生。
月に一度の席替えの度に、
「ああ、これが見たいんだなぁ‥‥」と
思っていました。

先生との距離:月に一度、翻弄されました。

観察人(神奈川県・よよよ・21歳)



先生にいたずらをするのが
たまらなく楽しかった中学時代のある日。
授業中に誰かひとりの子が
「地震だっ!」というのを合図に、
クラス全員で机をガタガタさせて
一斉に机の下にもぐるというのをやった。
アワ食った先生はうろたえながら
「みんな落ち着けっ!!
 今のはだいたい震度1ぐらいだから
 安心しろっ!!」
と言っていた。

先生との距離:チョークを投げて届くくらい

観察人(台東区・ちょんまげ・33歳)



小学校の音楽の先生のことです。
生徒が髪を切って授業に来ると、
めざとく気がついて、
ある儀式をするんです。
キレイに刈られたうなじあたりを
「オハーツ!」という謎の掛け声とともに
パーンと叩くのです。
痛いとかではなくて意味がわからないので、
みんなそれをされるのを怖れていました。

先生との距離:ピアノが置けるぐらい

観察人(横浜市・さまんさ・33歳)



高校の社会科のセンセイのことです。
とにかくものすごーく
板書をするんです。
それもえらいスピードで。
グワァーっと、書いては
あっという間に消してしまい、
どこが重要だとか、
テストに出やすいなどの情報は、一切なし。

ある時、必死でつづった
自分のまっくろいノートと、
ほとんど手を触れられたことのない
きれいなままの教科書の文字が
ほぼ同一であることに
気づいてしまいました。
それならせめて、アンダーラインを
引くべき箇所を教えてよ〜。

先生との距離:追いつかない

観察人(沖縄・エアー・22歳)



高校の音楽のセンセイは
10センチはあろうかという
白いひげをたくわえた、
まるで仙人のような風体の
おじいちゃんでした。
彼の授業は、彼が作詞作曲したという
ある曲のリピートばかり。

ある曲、それは校歌。

おかげで卒業して10年以上経った今も
1番から3番まで
きっちり歌うことができます。

先生との距離:縮まる術がなかった

観察人(都内・インディ・27歳)



センセイへのいたずら。
私たちが高校のときにしていたのは
時間を決めいっせいに
シャープ芯を5回カチカチカチカチカチッと
ならすこと。
地味にみえて意外と大きな音になるんです。

先生との距離:カチカチ5回分

観察人(愛知県三好町・る・31歳)



高校のとき、明らかにカツラを
つけているとわかる先生がいました。
地毛との間に段差があるんです。
授業中、チョークの粉を
もろに頭からかぶった時、
その場ではらわないで
わざわざ中断してトイレに行って
カツラを直してきたので有名でした。
その先生の名は山下(仮名)と
いったのですが、私たちはその名を
「段差」の代名詞として使い、
自転車通学してて段差があると
「あ、ちっちゃい山下」
「この山下おっきい」などと
言っていました。
今思うとちょっとかわいそうでした。
でも生徒にはけっこう好かれていました。

先生との距離:段差分

観察人(北海道・ぎょもこ・29歳)




今では御法度ではありますが、
「愛のムチ」も使った先生。
ゲンコツも怖かったけど、
やっぱり最強は「ビンタ」でした。
ある日、体育の授業に
遅刻した児童5、6人。
先生が怒った後、ビンタをかましました。
よろめく児童、
一人目、二人目、三人目‥‥。
最後のMちゃんの時、
手元が狂ってMちゃんの眼鏡に命中!!
みんなの目は美しく半円の弧を描き
飛んでいく眼鏡に集中!!
‥‥記録、5メートル。
世界記録が出たような
あのちょっと神々しい気持ちは、
何だったんだろう。

先生との距離:今でも仲良し

観察人(中部地方・じゃっしぃ〜・23歳)



音大の作曲科に、デビット・ボウイに
とてもよく似た先生がいました。
受験前から憧れていて、
入学してからは友達と「デビット爺や」と
密かに呼んでいました。
授業を受けると、
憧れの君は靴下を輪ゴムで止め、
シューマンの曲の分析の合間に、
早朝の新宿歌舞伎町の話をされる。
「何でそこにそんな時間にいたか、
 なんて聞かないの!」
と誰も聞いていないのに、
ご自分でフォローにならない事まで仰る。
一度だけ、
お宅まで押しかけたことがありました。
作曲家らしい(?)雑然としたお部屋で
温かく迎えてくださり、
楽しい一時を過ごしました。
センセイは見た目も中身も素敵だった。
亡くなって
5年経つのだなあ‥‥と思い出しました。

先生との距離:輪ゴム2つ分

観察人(練馬・カプメイ・40代)

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