今日のセンセイ 総集編・その9 |
先日、友人の結婚式で 高校の時、購買がない学校で、 英語の先生が、 ねずみの単数形(mouse)と、 複数形(mice)の使い分けを 話していて、 「単数だと、あれですね。 ミッキーねずみ、とか」 そこって訳すんだなぁ‥‥と しみじみ思ってしまいました。 センセイとの距離:ねずみ1匹ぶん 観察人(まいこ・20歳) 日本史の先生は、 板書が好きな先生でした。 授業が始まる5分前に 教室に来て板書を書き始め、 前の大黒板も後ろの中黒板も 右の小黒板も埋まると、今度は 前の大黒板の板書を消して、 さらに続きを書いていました。 わたし達も必死で追いかけて ノートに写すのですが、 授業中に写し終わらず、 次の休み時間まで写し続けてました。 それでも終わらない場合は、 後ろや右の黒板は消さずに残しておき、 昼休みや放課後に写していました。 戦いでした。 センセイとの距離:黒板のはじからはじ 観察人(東京都・けい・26歳) 女子高だったので、 男の先生は3人くらいしかおらず、 どの先生も肩身が狭そうでした。 体育の授業の後が 男の先生の場合は、 着替えが終わり次第、 クラスの代表が 職員室に呼びに行くのですが、 みんなおしゃべりに夢中で 先生を呼びに行くのを忘れ、 気づいたら30分経っていたことが ありました。 それからというもの、 体育の授業の後は、 男の先生は、女の先生に連れられて 教室に入ってくるようになりました。 センセイとの距離:教室と職員室の間 観察人(東京都・パンダ・27歳) 息子のクラスの水槽には 「キン」と「ぎょ!」がいるらしい。 「キン」はうろこピカピカ金色の金魚。 「ぎょ!」はびっくりするほど 大きくて白い尾びれをもつ金魚。 「キン」と「ぎょ!」の名付け親は 他ならぬ息子の担任です。 センセイとの距離:驚くほど 観察人(ぬばたまの) 高校の時の先生のあだなは 「せみ」だった。 理由は、スキーに行って滑れなくて、 ずーっと木につかまってたからだ。 なさけなっ。 センセイとの距離:木の下と上 観察人(デビル) 小学校の先生になってから約1ヶ月。 4月の終わりに 「希望懇談」がありました。 (家庭訪問は夏休み。) 「新任やし、保護者さんも不安やろなぁ。 こどもも家で愚痴ってたりして」 と緊張していったけど、 「子どもが、 学校が楽しいっていうんですよ〜」 なんて言われてしまいました。 早くも先生辞めたいモード 全開だった私も、この一言で 「まだ2、3年はやってもいいかな」 なんて気になりました。 今日のセンセイ、 うれしすぎてにやにやしています。 センセイとの距離:? 観察人(きょうこ) 息子の学年の担任陣には 「史上最強の雨女」と 「天下無敵の晴男」が いらっしゃる。 先日、修学旅行説明会があったが、 これまで参加した宿泊行事すべてに 雨を降らせた「雨女」先生は 「嵐を呼ぶ女○○です」と名乗り 保護者一同を爆笑させたあと 日程の説明をなさった。 続いて「晴男」先生は 「大雨洪水警報をひっくり返した男 △△です」と名乗り 保護者一同の拍手を受けたあと 持ち物の説明をなさった。 ちなみに、下見に出かけたときには 晴れなかったが降らなかったらしい。 修学旅行本番はどうなることやら。 センセイとの距離:晴男に一票 観察人(ぬばたまの) 数年前に通っていた パソコン教室のセンセイ、 私たち「おばさん生徒」が あまりにも初心者だったためか、 いつもつまらなそうに 授業をしていました。 なんだか感じの悪い人だなぁと 思い始めたころのこと。 彼が手順を説明したのち、 「じゃぁ、ここまで やってみてくださいね」 と言って、 ちょっとした自習時間になりました。 しばらくしてふと、 教室の前にある大画面 (センセイのパソコンのモニタを 映し出すもの)に、 お絵かきソフトで描いたと 思われるへたくそな魚の絵が。 しかも、魚の横にはマウスで描いた字で さかな(正面) と書かれていました。 かっこ、しょうめん‥‥。 それでちょっとわかったんです、 この人、イヤな人なんかじゃなくて、 シャイなだけなんだって。 センセイとの距離: それ以来、話しやすくなった 観察人(杉並区・いろは) 私は高校の教師。 ニックネームは「おっち〜」 名字が「大内」だからなんだなと 思っていたら 昨年教壇から落ちて以来 そう呼ばれていることに 気が付いた今日このごろ‥‥。 生徒ってそういうネタが大好きなのね。 でもちょっと授業が和んでいるので うれしいかも。 センセイとの距離:教壇の高さ分 観察人(翔ちゃん先生) 息子の通う中学に ちょっと変わった先生がいます。 「一度くらいはあの先生が 担任になるとおもしろそうだね」 と言うと息子は少し考えてから 「ついていけんかもしれん」とぽつり。 4月からその先生が 見事担任になりました。 先日、その担任がスキンヘッドに 水泳帽をかぶっているのを見ました。 がんばれ、息子よ。 センセイとの距離:はかりかねる? 観察人(愛知県知多郡・satoko・38歳) お話が短い先生っていうのは、 それだけで尊敬されていました。 朝礼の話が長い校長先生もいましたが、 親しい人でもないのに、 長い話を聞かされても 心に入ってこないんです、子供って。 中学の生活指導のこわもて先生が、 終業式に壇上で挨拶したとき 「お前ら、俺が見てるぞ! 悪いことしないよな!」 と一言だけでしたが、 なぜか不良たちが拍手していました。 センセイとの距離:壇上 観察人(n) 高校の頃休み時間に 友達数人と騒いでいたら 1年の頃の担任の先生が通ったので みんなで 「先生〜!!!」 と呼んだら 「やかましいっっ! 散れっっっ!!!」 と言われた。 センセイとの距離:散りました 観察人(東京都・そめ・18歳) 黒板に書いたチョークの文字を 黒板消しで消していた国語のA先生。 気合いを入れすぎたのか、 「ガッ」という音をたてて 黒板消しの角で黒板をひっかいた。 同時に、黒板消しは手から離れ落下。 「うっ」といううめき声をあげた先生は どうやら器用にもその角度から 突き指をしたみたいだった。 センセイとの距離:助けてあげられない 観察人(Emi) 中学のときの担任は 自他共に認める方向音痴だった。 そんな先生にとって家庭訪問は、 生徒の親に会うという緊張感以上に 道に迷うかもしれない、と不安で、 とてもイヤなものであったらしい。 生徒に送ってもらったり、 迎えに来てもらったりして なんとかクラス全員の家庭訪問を 終えた先生が ほっとした顔で白状したところによると 「方位磁石を持ち歩いてた」とのこと。 小さな町にある 中学校の学区内なんだから、 さすがにそれは必要ないのではないかしら? センセイとの距離:町内1周 観察人(あん) 出勤途中に幼稚園があり、 その前を通っていて はるか昔のことを思い出しました。 厳密に言うと「先生」のお話では ないのですが。 内気だったわたしは幼稚園がきらいで お迎えのバスが来ると 毎日のように泣いて 先生を手こずらせていました。 そんな、ぐずるわたしを叱りもせず、 毎日毎日なにかひとつ 「いいところ」を見つけて ほめてくれたバスの運転手のおじさん‥‥。 そのうち、幼稚園にも慣れてきて 元気に挨拶ができるようになると 今度はそれをほめてくれました。 卒園式の日、担任の先生の横をすり抜けて バスのおじさんに 「さよなら、ありがとう」を 言いに行ったのでした。 センセイとの距離: 登園拒否がなくなるまで 観察人(川口市・射手・31歳) 私のお気に入り先生は、 学生のレポートの中から いくつかを抜粋して プリントにしたものを配るとき、 いちいち言い訳します。 「これに選ばれなかったから 悪いレポートってわけじゃなくて、 選ばれたからって 特別いいってわけじゃなくて、 でも一応何かあったから 選んだんだけど‥‥」 先生の言いたいことは わかりました、ふふ。 センセイとの距離:レポート10枚ぶん 観察人(sa*・20歳) 高校の校長先生のお話は 長かったです。とっても。 あまりに長いので、 わたしはいつも時間を計っていました。 時間を計ってみて気が付いたのですが、 いつもピッタリ17分で終わる! 校長先生はお話の後で、 何故か歌を1曲披露するのが 常でした。アカペラで。 むずかしくて長い話と、 アカペラで歌う姿のギャップが 妙に印象的でした。 センセイとの距離:ぜんぶで20分? 観察人(マヨエ) 大学3年生のときの 学部長の退官記念講演。 先生は稲の品種改良の研究を 長年されて来た方でした。 「いろんな品種を掛け合わせて できたもののなかから 目的の性質を持ったものを 選んでいくわけですが どちらを選ぶか迷う時があります。 そんな時は、結局、 両方とも捨てた方が良い。 迷うという事は、 どちらもたいして良くないからです」 先生の授業は1コマくらいしか 受講してませんでしたが 迷いの多かった21歳の私には 目からうろこの発言でした。 人生の選択で迷ったときには よく思い出す言葉です。 センセイとの距離:うろこ数枚ぶん 観察人(福岡県・ハビ) 小学校1、2年の担任のセンセイは、 よく本の読み聞かせをしてくれました。 そのお話の時間が、皆大好きでした。 どんな本があったかは もうすっかり忘れているのに、 ひとつだけ覚えているものがあります。 たぶん落語だと思うのですが、 記憶している内容は (実際の話とは違うかも。 あくまでも私の記憶です)、 江戸の長屋である男が、 死のうかどうしようか悩んでいた。 そこへ貝売りがやってきた。 その売り声は、 「あっさり〜しんじめぇ (=アサリ・シジミ)」。 それが「あっさり死んじめぇ」と 聞こえたので、その男は 死んでしまいましたとさ。 ‥‥ 低学年に聞かせる話としては、 どうよ? センセイの売り声が面白くて ウケていましたが、 展開にはビックリしました。 センセイとの距離:オチまで数分 観察人(神奈川・漆花・36歳) まるでタモリさんのように 女子生徒に向かって 「髪切った?」と聞くMセンセイ。 たいがいその生徒は 1ミリも切っていないし、 ヘアスタイルが変わったわけでもない。 で、ほんとうに髪を切ったときは 気づかない。 まぁ、気づいてほしくもないけど。 センセイとの距離: 教師と教え子 (それ以上でもそれ以下でもなし) 観察人(ちえ・17歳) 大河ドラマを見ていて、 中学のときの 歴史の先生を思い出しました。 その先生は大の幕末好きで、 「新選組」びいきの「長州嫌い」。 先生がそんなに偏ってていいのかと こっちが心配になるくらいの 説明っぷりでした。 ちょっと寒かったのは、 「近藤」っていう生徒を とにかく「勇」と呼ぶこと。 でも、この熱い先生のおかげで 授業中は、激動の時代へ 思いをはせることができました。 センセイとの距離:江戸から京都まで 観察人(R) 高校1年の時の校長先生は とっても素敵な先生でした。 朝礼や何かの式での校長先生の第一声は、 いつも朗々と、 「親愛なる紳士淑女諸君!」 というものでした。 規則、規則で ウンザリした中学校生活から、 一気に大人として認められたようで、 初めてそれを聞いた時の感動は 今でも忘れません。 恐らくこれを読んだら、 その頃の卒業生は分かると思います。 残念ながら、校長先生は 私が2年生になる時に 他校へ行かれましたが、 そこでも同じ事を言って、 生徒達を感動させているのだろうなあ、 と思いました。 センセイとの距離:ほどよい 観察人(タランチン2世) 小学校の頃の話です。 朝礼の時間になにやら先生(男性)が、 カセットデッキを持って登場。 「せんせい何すんだろ〜?」 と、思っていましたら、 先生、 「今日は先生の好きないい曲を みんなに聴かせたいと思う」 と、かけてくれた曲は 私(達?)には、初耳な曲でした。 それは、長渕剛の『乾杯』でした。 本当にいい歌だな〜と思いました。 熱心で、人気者の先生でした。 お元気ですか。 センセイとの距離:『乾杯』1曲分 観察人(鳥取 五月晴) 高校時代の恩師(国語)からの 返信メールに 「最近エクセルを 利用できるようになりました」とあった! 80歳を目前にインターネットを 始められた時も驚いたが 今回はもっとびっくり。 還暦までにAccessをモノにしようと 始めたものの、 覚える端からこぼれていくのに 腹を立てて 逃げ腰になっていた自分を反省。 40年前の授業を懐かしく思い出した。 センセイとの距離: 更に高い目標になりました 観察人(蒼・59歳) 超個性的な先生が多い私の学校。 先生の大半が スコットランド人で結構厳しい。 私が取っている文系のクラスは かなり厳しい、いつも怒ってばっかりの 女体育教師が教えています。 ある日、先生がペンを貸して、 というので貸したら 1ヶ月近く返ってこなくて、 ある時先生が、 「ゴメンね、借りたペン無くしちゃった」 と告白。 しかも新しいのを今度買ってくるから それで許して? と言われ、 待っていたら、そのまま今に至り、 夏休みに入ってしまいました。 ちょっとお気にのペンだったけど、 カワイイ先生なんで許せます。 センセイとの距離:1ヶ月弱 観察人(香港・ heather・16歳) 高校の時の音楽の先生は、 大学を出たての、かわいらしい女性でした。 生意気盛りの生徒たちが 先生の言うことを聞くはずもなく、 ぎゃあぎゃあと好き勝手しゃべり始めると いじけてしまって‥‥。 ‥‥。 ということは、まったくなく!! 「ぱたん」と教科書を閉じたかと思ったら、 じぶんの好きな曲を1人で歌い始めました。 演歌からフォークソング、 当時はやっていたアイドルの曲まで そりゃぁもう気持ちよさそうに! じぶんを含む、単純なクラスメイトたちは 「歌うって、たのしいじゃん!?」 と気づき、先生の授業を 楽しみにするようになりましたとさ。 センセイとの距離:ピアノの向こうとこっち 観察人 (北海道・メ〜ル〜シア〜・30歳) 学生の頃、 第2外国語で中国語を取っていました。 担当の中国人の先生は、 私達生徒の名前をおぼえてくれず、 2年間、毎回名簿を見ながら、 出席番号で当てられました。 あるテストのとき、 「次の日本語を中国語に訳しなさい。」 という問題があったのですが、 例文は、 「あなたは毎日復習するですか。」など、 いつも先生が話す日本語そのものでした。 周りを見回しましたが、 「うっそー。」と笑いをこらえているのは 私くらいでした。 センセイとの距離:遠いまま 観察人(claudia) 中学の時、職員室に突然呼び出されて、 「おうちの方は大丈夫か?」 ということを聞かれて、 「???」でした。 どうやら‥‥。 近所(といっても 町も違うだいぶ遠い所でしたけど)の 「××内ヒヨコ店」さんが倒産したとかで、 その先生は、 そこが私の実家かと思って 心配してくださったんだそうです。 私の苗字は「××口」で、 確かに似てはいましたけど 一字違い。住所も全然違うのに ‥‥とビックリしましたが、 まあ、考えてみると、 生徒の家庭の経済状況まで 心配してくださった、 良い先生だったのだなあ、と 今更ながら、ありがたく思います。 お陰で?! 業務内容や その後は全く不明な、 自分と全く縁の無い「××内ヒヨコ店」を 20年以上経っても 未だに忘れることができません(笑)。 センセイとの距離:ご心配おかけしました 観察人(東京・nirena・30代) 私が小学校3年生の時の担任の先生は、 それまでの価値観を 見事にくつがえしてくださった先生でした。 まず、口ぐせが 「この世は銭コ(ゼニコ)よ」 と、夢のないことをいい、 「横着はするほどよい」 と、この世のすべての 便利品は横着をしたいがために 人間が生み出したものだ、 だから横着はすばらしい! と 主張しておられました。 ユニークで、 とても人気の高かった先生でした。 センセイとの距離:理想と現実 観察人(coco) |