親鸞 Shinran 吉本隆明、糸井重里。




4 まず、法然や親鸞は、人びとを救済しなければならない時代にいた。

吉本 親鸞のいた時代は、
後鳥羽天皇の頃です。
武家思想が興隆してきていて、
王朝と武家が両方で
権力争いしている時代でした。

そのときに、普通の人はどうしていたかというと、
やっぱり、飢えたりしてた。
あっちこっちで戦争がはじまるし、
生活していくような場所はない。
どうやって食っていいかわからないんです。

内戦だから、どんな場所でも
合戦がおこります。
農家だけは王朝におさえられて、
動かなかったんですが、
あとの職業は移動職業になって、
漁業でも何でも、
みんな荷物持って移動していました。
農業の人でもたぶん、
内緒で農産物をどこかへ売って、
お金をかせいだりして
動いていたでしょう。

とにかく、そういう時代です。
王朝と武家の間で挟まれた、
何でもない普通の人たちは、
それはもう、大変なことでした。

飢えてる人を誰が助けるんだ、
ということになったら、
そりゃ、坊さんしかいないでしょう。
だから、法然なんかは、山(比叡山)を
下りちゃったわけです。
糸井 そこで法然や親鸞の浄土宗が
生まれていったわけですが、
何かが動くときって、
いいほうに向かっていくエネルギーじゃなくて、
悪いほうから逃げ出すエネルギーが
中心になるんじゃないかな、と思うんです。

人間の欲望というものにも限りがあるし、
ポジティブな計画で
大きな何かが動いたことは、
歴史のなかでは
一切なかったんじゃないかという気さえ
するんです。

生物の歴史で
「もっといいところに行きたいぞ」じゃなくて、
「ここにいたら死んじゃうぞ」という生物が
陸に上がって、進化していったことと同じです。
戦国の世の中では、
「もっとよくしよう」という考え方は、
おそらく生まれなかったんじゃないかな。

追い出されて、追い出されて、
その中で、
効率よく大勢を救う方法を
政治的に考える人がいる。
あるいは気休めのような‥‥
法然の役目なんか、いわば介護士ですよね。

吉本 そうですね。
法然は宗教家だから
「死んだら必ず
 もっといいところへ行けるぜ」
「いまみたいな苦労をしなくても、
 みんな、行けるんだぜ」

と、そういう教えをしたんです。
ただ、念仏だけは唱えなさい、
自分たちのことは
自分で助けるよりしょうがないんだけど、
結局、宗教に頼りなさい、と教える。

けれど、親鸞は
それじゃお話にならないと
思ったと、
僕は思います。


親鸞が言ったことは非常に明瞭なことで、
やろうとしたことも明瞭です。
日本独特の浄土教というのを
作ろうとしたんです。


(つづきます)

2007-10-17-WED



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