吉本 |
親鸞のいた時代は、
後鳥羽天皇の頃です。
武家思想が興隆してきていて、
王朝と武家が両方で
権力争いしている時代でした。
そのときに、普通の人はどうしていたかというと、
やっぱり、飢えたりしてた。
あっちこっちで戦争がはじまるし、
生活していくような場所はない。
どうやって食っていいかわからないんです。
内戦だから、どんな場所でも
合戦がおこります。
農家だけは王朝におさえられて、
動かなかったんですが、
あとの職業は移動職業になって、
漁業でも何でも、
みんな荷物持って移動していました。
農業の人でもたぶん、
内緒で農産物をどこかへ売って、
お金をかせいだりして
動いていたでしょう。
とにかく、そういう時代です。
王朝と武家の間で挟まれた、
何でもない普通の人たちは、
それはもう、大変なことでした。
飢えてる人を誰が助けるんだ、
ということになったら、
そりゃ、坊さんしかいないでしょう。
だから、法然なんかは、山(比叡山)を
下りちゃったわけです。 |
糸井 |
そこで法然や親鸞の浄土宗が
生まれていったわけですが、
何かが動くときって、
いいほうに向かっていくエネルギーじゃなくて、
悪いほうから逃げ出すエネルギーが
中心になるんじゃないかな、と思うんです。
人間の欲望というものにも限りがあるし、
ポジティブな計画で
大きな何かが動いたことは、
歴史のなかでは
一切なかったんじゃないかという気さえ
するんです。
生物の歴史で
「もっといいところに行きたいぞ」じゃなくて、
「ここにいたら死んじゃうぞ」という生物が
陸に上がって、進化していったことと同じです。
戦国の世の中では、
「もっとよくしよう」という考え方は、
おそらく生まれなかったんじゃないかな。
追い出されて、追い出されて、
その中で、
効率よく大勢を救う方法を
政治的に考える人がいる。
あるいは気休めのような‥‥
法然の役目なんか、いわば介護士ですよね。
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吉本 |
そうですね。
法然は宗教家だから
「死んだら必ず
もっといいところへ行けるぜ」
「いまみたいな苦労をしなくても、
みんな、行けるんだぜ」
と、そういう教えをしたんです。
ただ、念仏だけは唱えなさい、
自分たちのことは
自分で助けるよりしょうがないんだけど、
結局、宗教に頼りなさい、と教える。
けれど、親鸞は
それじゃお話にならないと
思ったと、
僕は思います。
親鸞が言ったことは非常に明瞭なことで、
やろうとしたことも明瞭です。
日本独特の浄土教というのを
作ろうとしたんです。
(つづきます)
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