シリコンの谷は、いま。
雑誌の記事とはずいぶんちがうみたいです。

第42回
なぜ、シリコンバレーに来たか?



今まで書いたものを振り返ってみて、大事なことを
書き忘れていたことに気づきました。
それは、

「なぜ僕がシリコンバレーに来たのか?」

ということです。どうやってシリコンバレーに
やってきたのかは書いておきながら、
肝心な動機を書いていませんでした。

シリコンバレーという言葉を知ったのは、
多分高校生の頃のことでした。
当時読んでいたパソコン雑誌には
シリコンバレーから発信されるコラムが毎月載っていて、
そこには一風変わったコンピューターを作る企業や、
その会社のCEOがどんな人物なのかなど、
毎号毎号興味をそそる記事が載っていました。
それを読んでシリコンバレーは
新しいものが日々登場する
凄いところなんだなという思いが
少しずつ生まれてきました。

その後、大学に入った頃にNHKの番組で、
「電子立国 日本の自叙伝」という番組がありました。
覚えている方も多いと思いますが、今で言う
「プロジェクトX」に似た番組で、日本の半導体産業が
ゼロから世界を席捲するに至るまで、どのように
先行するアメリカに挑戦していったかを
描いた番組で、理系の学生には堪らない内容でした。

その「電子立国 日本の自叙伝」で、
多くの技術の生まれた場所として、
また日本企業の前に立ちはだかる
ライバル企業の本拠地として、
頻繁に登場したのがここシリコンバレーでした。

月並みな例えですが、
野球少年がメジャーリーグに憧れるように、
また、
サッカー少年が、
ヨーロッパのプロリーグに憧れるように、
エンジニアになろうとしていた僕にとって、
シリコンバレーは憧れの場所となっていったのでした。

その後、半導体からコンピューターへ、
そしてコンピューターからインターネットへと
時代は進んでいきましたが、
そのいずれの時代もシリコンバレーはその中心地で
ありつづけました。

コンピューターのシステム開発を
仕事としてするようになって働いていくうち、
漠然とした憧れは、
本場へ行ってみて、自分の腕がどれほどのものなのか、
腕試しをしてみたいという考えになっていきました。

日本の市場では、自分の技術がどれぐらい通用するのかは
判っていても、果たしてシリコンバレーで通用するもの
なのだろうか?海の向こうにはもっと凄い人が山ほどいて、
自分はお山の大将になっているんではないだろうか?
などと考えるとあまり自信を持つことができませんでした。

世界のトップレベルのエンジニアの中に飛び込んでみて、
そこで自分はどんなレベルなのかを知れば、
自分の技術力を客観的に知ることができる。そうすれば、
それがどうであれ、自分の力に自信が持てる
と思ったのです。

そこから実際にシリコンバレーにやってくる過程は、
以前書いた通りなのですが、その行動のきっかけとして、
憧れと自分の腕試しをしてみたいという気持ちがあったのは
今考えてみても間違いありません。

しかし、シリコンバレーに来たいと思った理由は
それだけではありませんでした。
それは一体何だったか?
それはまた次回。

上田ガク

2004-04-20-TUE


戻る