ひとりで考えるとき、
ほぼ日手帳を広げている。
この一年は、じぶんがほぼ日手帳の
本気のユーザーになってみようと思った年でした。
ぼくはもともと、
誰よりもライトユーザーの味方でいたかったんです。
ほぼ日手帳のいいところはわかっていましたが、
根を詰めて使っている人ばかりを紹介していると、
「私は使いこなせません」
という人が落ち込んでしまいます。
だからぼくは「そりゃあそうだよね」と
言える立場にいたかったんです。
「すっごいんだよ!」と過剰に勧めるよりも
「気楽に持って歩いてよ。財布がわりにもなるしさ」
みたいな立場でいたほうがバランスも取れますしね。
決まった使い方をしなくてもいいや、
という姿勢をしばらく続けていましたが、
「本気で手帳と取り組んだら、どうなるだろう」
とじぶんに訊いてみたくなって、
今年のお正月から使い方を変えてみました。
しっかり使っているみんなが書くようなことを、
ぼくも毎日書き続けてみて、その上で、
みんなのたのしさが本当なのか確かめたかったんです。
「本当だね!」と言いたくて続けてみたら、
やっぱりおもしろかった。
ぼくがどんな使い方をしているかというと、
手帳に書くスケジュールは、
仕事以外のことをよく書いています。
食べ物屋さんの予約やコンサートの予定、
新幹線の時間なんかを書き写すこともあるかな。
デジタルで管理している仕事の予定よりも、
手帳のずっと先のページに書いたお店の予約の方が、
うんとリアリティがある気がします。
あと、何かを考えるときにはいつも、
手帳をそばに置くようにしています。
間違っていてもいいから手帳に書いて、
文字にして残しておくんです。
コンパスで円を描くときには、
まず中心に針をおろして穴を開けますよね。
あの固定している場所に
ほぼ日手帳がある気がします。
もしも手帳がなかったら、じぶんの考えを
空中に置いたままにしていたんじゃないかな。
手帳があれば一応は文字になるから、
足りないことや余計なことがあっても、
考えを進めるヒントになります。
いい考えって、いつでも浮かぶものじゃないから、
メモしたひとつずつを大事にして、
あとで思いついたことを、
石垣を積むように足していくんです。
手帳と本気で付き合ったら、
また「いのち」を感じられた。
ぼくの友達や、知っている人に嬉しいことがあったら、
そのことを手帳に書くこともあります。
そうすると、じぶんや他人の日常に親しみが増して、
もっと付き合いたくなるんです。
やり取りの数が人生なんだと思うんですよ。
ぜんぶが、ほぼ日手帳のなかに入ってくるのが
すごくおもしろくて、しかも意外に続くんです。
意識して使い続けてみたことで、
ほぼ日手帳がより新鮮に見えました。
じぶんが手帳に書いた考えや出来事を読むことって、
犬と散歩中に撮った写真を見て
思い出すこととそっくりなんです。
ほぼ日手帳のコピーのひとつとして
“This is my LIFE.”という言葉は
じぶんで考えたものだけれど、
「そうそう!」って改めて思います。
ぼくは「ほぼ日手帳」を作った人なのに、
手帳ユーザーのひとりとしては、
みんなの後を追いかけるようになっています。
いままでは歩いて行進に参加していたけれど、
今年のぼくは軽く走りはじめている気がします。
ひと汗かく喜びが出て、
つくづく「LIFE」という言葉の重みが出てきました。
「LIFE」というのは、まさに「いのち」ですよね。
「いのち」を渡したり、「いのち」をとどめたり、
「いのち」の記録をつけたり。
「いのち」を中心に、ぼくらは生きている。
ほぼ日手帳と付き合って、
また「いのち」を感じられるようになったのが、
本当によかったなあ。
「ほぼ日手帳」を使っているみんなのたのしみを、
もっと味わいたかったんですよね。
ぼくも「ほぼ日手帳ミーティングキャラバン」に
積極的に参加するようになって、
みんなのことを羨ましく感じたんです。
ぼくの犬を見て「うちも犬を飼いましたよ」と
言ってくれる人がとても多いのも、
犬が好きというよりは、犬と一緒にいることが
たのしそうに見えたということじゃないかな。
だから、人間の「たのしそう」を
追いかけているんだと思います。
人がたのしそうにしていることは、
やっぱり羨ましいですから。
手間をかけた分だけ
嬉しいものになる。
何かをたのしむためには、
多少のコストをかける必要があります。
ほぼ日手帳をもっとたのしみたいけれど、
ペンを動かす時間を
めんどくさいと感じる人もいるでしょう?
でもそれは、絶対にできないことじゃありません。
ぼくもじぶんに対して
「そのくらい、君もしなよ」と言ったんです。
どうしてもダメなら続けなくてもいいんで、
癖にしようとしました。
今年変えたことといえば、
万年筆を買ったのもよかったなあ。
万年筆にはインクが乾きにくいという
不便なところもあるけれど、それがまたおもしろくて。
ぼくは、その日のことを手帳に書いたあと、
インクが乾くように手帳を開きっぱなしにして
お風呂に入るんです。
そうすると、お風呂に浸かりながら考えたことも、
あとで足しやすいんですよね。
手帳を開いたままにしていたおかげで、
手帳から「ウェルカム」って言われている感じがします。
儀式のように続けることで、助かることがあるんです。
これもまた、じぶんがたのしむためのコストです。
そのコストを払うことが、
ぼくのなかでたのしくなってきたんでしょうね。
ちょっと手間をかけたほうが、嬉しくなるんですよ。
その最たるものが、ほぼ日手帳なんじゃないかな。
写真:川原崎宣喜