経済はミステリー。
末永徹が経済記事の謎を解く。

第4回 日銀のトラウマ


速水さんは75歳。
戦後の混乱期に大学を卒業して社会に出た世代の人だ。

戦争は、ものすごく金がかかる。
そのころの日本は、冷害で
餓死者が出る心配をしなければならないほどの貧乏国で、
日本政府は戦費をまかなうために国債を乱発した。

それが一因となり、戦後、日本は
物価が何百倍にもなるインフレに見舞われた。
その後も、バブルが崩壊するまでの数十年間、
日本の物価はほぼ一貫して上昇した。
速水さんは、そういう「インフレの時代」に
日銀でキャリアを積んだ人である。

日銀の仕事は、
理論的には「物価を安定させること」のはずなのだが、
速水さんにとっては、それが、すなわち、
「物価の上昇を食い止めること」だったのだ。

速水さんに限らない。
「物価は上がるもの」という思い込みは、
日銀という組織全体に染み付いている。
日銀は、民間企業の利潤に当るような
明確な経営目標を持っていない。
彼らにとっては「インフレと闘うこと」が
自らのレゾン・デートルであった。
日銀内の評価では、多分、
「在任中に物価が上がらなかった総裁」が名総裁である。

実際は、ここ十年ほど、
日本の物価は下落する傾向にある。
世間では、むしろ、物価が下がり続ける
「デフレ・スパイラル」を心配する人のほうが多い。
この辺り、日銀の人たちの意識は
少し世間からズレてしまっている。

もっと柔軟な考え方をする人も中にはいるだろうが、
速水さんは頑固で知られている。
彼の頭の中では、いつになっても、
「インフレは負け、デフレは勝ち」である。
つまり、円安は負け、円高は勝ち。
世間がデフレで苦しんでいても、速水さん本人は、
案外、「自分は名総裁」と満足していたかもしれない。

その速水さんが「円安もいいんじゃないか」と言った。
前後の文脈があって、
単純に「円安がいい」と言ったわけではない。
しかし、たとえ冗談めかしてであっても、
自分の信念に真っ向から反するセリフは、
なかなか口にできないものである。

彼は、去年の八月に
「日本の景気は良くなった」と言い張って、
周囲の反対を押し切り、
「ゼロ金利解除=金融引締め」に踏み切った。
これが、大ハズレ。
どうも、日本の景気は、
ちょうどその頃から悪くなり始めていた。
株価は、それ以来、下がる一方である。

さすがの速水さんも
「まずかったなあ」と焦っているだろう。
日銀は、不況の責任を一手に負わされることを恐れている。
といっても、速水さん以下日銀の職員は、
どんなにミスを犯しても、
クビを切られたり、給料が下がったりはしない。

ただ、
「やりたくない政策をやらされる」ことは、あり得る。
速水さんが「円安のほうがまだマシ」と
恐れるものがふたつある。

ひとつは、「調整インフレ政策」というもの。
年に2、3パーセントずつ、
物価を上昇させよう、という政策である。
日銀は、その物価上昇率を
自分たちの達成すべき目標
(インフレ・ターゲット)として掲げさせられる。
「インフレは負け」の速水さんにとって、
耐えがたい苦痛であろう。

そして、もうひとつが、「国債の日銀引受」である。
その詳しい説明は次回に譲るが、
戦争中の日銀がこれをやって、
戦後の悪性インフレの種を播いた。
日銀にとって最大のトラウマなのだ。

ところで、現在、
日本の財政赤字の規模は史上最悪という。
つまり、戦争中より酷い。
借金の使い道が、戦争中は消えて無くなる兵器や火薬で、
今は道路や新幹線やダムだという違いを指摘する人もいる。
でも、利用者がいなくても
維持費がかかり続ける道路や新幹線は、
兵器や火薬よりタチが悪いかもしれない。
ダムや水門も、本当に役に立っているのか、
わかったものではないし。

2001-03-18-SUN

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