経済はミステリー。
末永徹が経済記事の謎を解く。

第25回 社名もブランド


買収や合併で会社の数が減った時に
「どちらの名前を残すか」は、経営的に重要な問題である。

なぜ、トラベラーズは
「ソロモン」という名前を残したか。
「かつてウォールストリートの王と呼ばれた」社名を
ブランドとして評価したからである。
 
といっても、一般のブランドのように
戦略的に作られた製品のイメージではない。
「世界で一番金儲けのうまい証券会社であった」
という事実があり、その事実からは
「その社員はきっと金儲けがうまいのだろう」
という推測が自然に生まれる。その推測が
「業界関係者に共有されていた」ところに、
このブランドの意味があった。
 
今回、その看板を外すのは、
「ソロモンの栄光の時代」
を知る人が業界に少なくなって、
ブランドとして価値がなくなった、
という判断によるものであろう。
実際、その通りだと思う。
 
社名もブランドのひとつ。
価値のなくなったブランドは廃止する。
会社を心の拠り所にする人たちは、
こういう考え方を嫌がるかもしれない。
 
しかし、社名のブランドをおとしめるのは、
経営者と社員である。
経営者が無能で、社員の働きが悪かったから、
会社が儲からなくなって、
ブランドの価値がなくなったのだ。
 
会社を心の拠り所にするのは、かまわない。
でも、その中身は、「社名」ではなくて、
「そこで自分がやっていること、やってきたこと」
に対する誇りであるべきだと思う。
僕は、「自分が働いていた頃のソロモン・ブラザーズ、
そこで自分がやっていたこと」を誇らしく思い出す。
しかし、その社名がどうなろうが、
僕には関係のないことだ。
 
社名に関してこういう考え方をする人は、
日本では、まだ少数派かな。
江戸時代の「お家」のイメージを会社に投影して、
「社名が存続すること」
自体に意味を見出す人のほうが多いだろう。
おそらく、その深層には、
「血の繋がる子孫に
 墓(=死後の魂)を守ってもらいたい」
という原始的で非科学的な迷信が潜んでいる。
 
どんな迷信を信じるのも人の自由で、
それに口を挟む気はない。
しかし、多くの場合、迷信は人を不幸にする。
 
「ブランドとして通用する社名」
を愛することは、決して迷信ではない。
社員は、そのブランドを利用して、
ライバル企業に有利な条件で転職できる。
ちゃんと御利益がある。
でも、ブランドの価値を失った社名に対する執着は、
迷信である。何の御利益もない。
 
「会社が買収される」ことに対する
漠然とした嫌悪感から、
この迷信を取り去った後に残るものは何か。
給料が減ったり、昇進のチャンスが
閉ざされたりすることへの恐れであろう。
それは、心の拠り所の問題ではなく、経済の問題である。
 
経済の問題なら、買収されて資本が強化されることは、
本来、社員にとって悪い話ではないはず。
なぜ、それが嫌がられるのか。
(続く)

2001-05-28-MON

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