経済はミステリー。 末永徹が経済記事の謎を解く。 |
第26回 契約書のない約束 日本では、特に大企業では、 「新卒を採用し、年齢に応じた給料を支払い、 定年まで生活を保証する」 雇用の慣習があった。 そういう「契約」や「法律」があったわけではない。 ただ、「過去、数十年、そうやってきた」 という事実があり、 「今後も、そうである」という暗黙の了解があった。 「若い間は安い給料でこき使われる代わりに、 中高年になったら大して働かなくても 高い給料をもらえる」 という暗黙の了解。 二二、三歳から、六十歳くらいまで、ざっと四十年間。 大雑把にいって、 前半の二十年間は会社に給料を積み立てておいて、 後半の二十年間でそれを引き出す。 ものすごい長期間に渡る「契約書のない」約束である。 「契約書のない約束」は、裏切りに弱い。 「約束があった」ことを証明しにくいからである。 先に裏切ったのは、むしろ、社員のほうだった。 八十年代後半、社内留学制度で アメリカのビジネス・スクールに送られた 日本企業の社員が、卒業後、 アメリカの会社に就職して帰って来ないケースが増えた。 企業にとっては、学費、生活費、その間の給料など、 数千万円がパー。 「契約書のない約束」だから、 裏切られても文句の言いようがない。 これは、企業にとっては大問題なのだが、 社会的な問題にはならなかった。 なんといっても、関係者の数が少ない。 社内留学制度なんて、 ごく一部の幹部候補にしか関係のない制度である。 九十年代、今度は、企業が裏切った。 安い給料でこき使われ、 やっと積み立てておいた給料を引き出そうとしたところで 「中高年リストラ」に遭った方々は、 本当に気の毒だと思う。 でも、終身雇用制が、 私たちにとって好ましい制度であったとは思わない。 かつて、日本では、 多くの企業がこの制度を採用したために、 いったん、そこから出ると元には 戻れないシステムが出来上がってしまっていた。 転職は、不可能ではなかったが、チャンスが少ない上に、 「積み立てておいた給料を捨てる」 という大きな犠牲を強いられた。 そのころ、会社を辞めることを「脱サラ」といった。 「会社を辞める」のではなく、 「サラリーマンという生き方」を辞めるから、 「脱サラ」である。 終身雇用制は、 「新しい上司と気が合わないから、 他の会社に移って同じような仕事をやりたい」 というような、 人間として当り前の感情を認めない制度である。 異動まで我慢するか、一生の決断で「脱サラ」するか、 を選ばされる。 なぜ、こんな制度がもてはやされたか。 要するに、日本は貧しくて、 「一生食いはぐれない」というだけでありがたかったのだ。 もう、そんな時代ではない。 贅沢を望まなければ、ちょこちょこバイトして、 楽しく暮らせる。 終身雇用制の崩壊は、 リストラという企業側の都合が強調されがちである。 しかし、「正社員が減る」ということは、 「バイトの口が増える」ということで、 フリーターにとっては都合がいい。 僕は、「終身雇用型社会」より 「フリーター型社会」のほうが、いいと思う。 (続く) |
2001-05-31-THU
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