経済はミステリー。 末永徹が経済記事の謎を解く。 |
第38回 市場の失敗 「地球温暖化」のような現象は、 経済学では「外部不経済」の問題として扱う。 「外部不経済」なんて下手な直訳の見本のようだが、 これが、なかなかよくできた言葉なのである。 「不経済」は、「損害」くらいの意味。 「外部」は、直接の取引相手以外の 「社会全体」という感じ。 つまり、「外部不経済」は、 個人や企業が「社会全体に与える損害」ということ。 昔は、よく、「公害」といったよね。 最近、「公害」という替わりに 「環境破壊」というようになった気がする。 一般に「公害」や「環境破壊」と言われる現象を、 経済学では「外部不経済」と表現する。 僕はわりとこの言葉が気に入っている。 外部不経済という視点は、 環境問題に関する建設的な議論の出発点である。 ときどき「経済」という言葉をラフに (「金儲け主義」というようなニュアンスで)使って、 「環境と経済の対立」とか 「経済では解決できない環境の問題」とか、 言う人がいるでしょう。 あれでは、そこで議論が止まってしまう。 人間は、生きて呼吸をするだけで、 二酸化炭素を排出する。 それを環境破壊といわないのは、 まったく「経済的な損害」が発生しないからである。 環境破壊は、要するに、 人間の活動によって自然環境に何らかの 「経済的な損害」が発生したとみなされる状態。 呼吸で吐き出す二酸化炭素は冗談としても、 たとえば、東京の真中では、 天の川が見られない、蛍が見られない。 僕は、見たい。 でも、それは「経済的な損害」とみなされず、 諦めるしかない。 目の前を自動車が一台通り過ぎたら、 一瞬、イヤな匂いがする。 でも、それをいちいち咎めたてることはできない。 自動車の数が増えて、光化学スモッグが発生したり、 街道沿いの住人にぜんそくが多発したり、 そういう「経済的な損害」が生じて、 初めて、環境破壊とみなされて、対策が打たれる。 何をもって「経済的な損害」が 発生しているとみなすかは、 広い意味で政府の判断にかかっている。 公害訴訟で裁判所が判決を出すことも、 国会やお役所が排気ガスを規制することも、 政府の機能である。 さて、経済学の根本原理は、 「みんなが自分の欲望に したがって行動する自由な市場」が 「社会全体の利益を最大にする」ことであった。 公害はその根本原理に突きつけられた反証で、 それに対する経済学の解答が「外部不経済」なのだ。 以前、 「課金コストがかかり過ぎて商売になりにくい」 公共財について書いた(第35回参照)。 外部不経済や公共財のように、 自由な市場が社会全体の利益を最大にできない状況が 現れることを「市場の失敗」という。 他には、競争相手がいないために 言い値で商売ができる 「独占企業」が、市場の失敗の例である。 (続く) |
2001-07-13-FRI
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