経済はミステリー。
末永徹が経済記事の謎を解く。

第39回 経済学が仮定する人間とは?


僕はタバコを吸ったことがない
(葉巻は何度かあるけど)。
僕にとってタバコの価値はゼロで、
タバコの値段がいくらであろうが、買わない。

そういう特殊な例もあるが、
普通、モノやサービスは
値段が安くなればなるほど
買いたい欲求(需要)が高まる。
安ければたくさん売れ、高ければあまり売れない、
まあ、当り前の現象である。

一方、あるモノやサービスの値段が高くなったら、
他の商売から
そちらに鞍替えする欲求(供給)が高まる。
逆に、値段があまり安くなったら、
廃業して他の商売をやろうと思う。
普通の人間は。

この需要と供給のバランスで、
世の中全体で売買されるモノやサービスの
「量」と「値段」が決まる。
 
いまどき、タバコが
健康に悪いことを知らない人はいない。
それでもタバコをやめないのは、
それを上回る満足感が得られるからである。
つまり、タバコに対する需要は
「タバコを吸うことによって
 得られる満足感マイナス本人の健康に対する懸念」
で決まる。だから、もし、
「満足感が同じで健康に対する懸念が少ない」
タバコが開発されたら、
多少、値段が高くても売れる(はずである)。
 
ここから先が問題で、
タバコは、吸っている本人だけではなく、
周囲の人の健康も害する。
この損害は、世の中全体で売買される
タバコの「量」と「値段」の決定に反映されない。
タバコの生産者は、苦労して(研究にお金をかけて)
周囲の人に害を与えないタバコを開発しても、
その分だけタバコの値段を引き上げることができない
(引き上げたら、売上が減って損をする)。
 
「そんなことはない」
という愛煙家の反論が聞えてきそうだ。
僕も、実際は、そういうタバコがあったら、
多少高い値段でも売れると思う。
しかし、経済学は、
「すべての人間は、
 自分の欲望のみにしたがって、合理的に行動する」
ことを仮定した学問なんです。
 
実際は、「思いやりのある人」も
「合理的に行動しない人」も大勢いる。
経済学は、仮定に基づく
「ひとつのものの見方」に過ぎない。
ただ、現実の社会を理解する上で、
割と有効な「ものの見方」だからこそ、
これだけ普及したのでしょう。
 
経済学という「ものの見方」では、
タバコ、自動車の排気ガス、工場の廃液は、
タバコや自動車や工場で造られる製品を
「お金を出して買う人」以外に損害を与えるから、
問題を引き起こす。
その損害が価格の決定に反映されないから、
その分「値段」が安くなり過ぎて、
多過ぎる「量」が取引されてしまう。
「市場の失敗」である。
 
「他人に迷惑がかかるから、控えよう」
という良心の欠如が問題なのではないか? 
その通りである。
しかし、「良心」や「思いやり」は、
経済学の対象外なのだ。
そして、悲しいことながら、人間は
それほど思いやりに満ちた動物ではないのである。 
 
人間が経済的に合理的に行動すると、
外部不経済が発生して、
社会全体の利益を最大にしない。
どうすればいいのだろう?

2001-07-17-TUE

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