鈴木敏夫さんと
深夜の映画館で。
「ダークブルー」の時の
トークを文字で読む。


女の人は、
もともと料理をしていない



控室でバナナをほおばる鈴木さん

鈴木 ぼくが宮さんと
そういう状況を確認しあった時に思ったのは、
「ジブリが女性を主人公にして作り続けて来たのは、
 偶然じゃないなぁ」ということなんです。
糸井 ほんっとに、そうですねぇ‥‥。
鈴木 ちょうど、
『おもひでぽろぽろ』なんていうのを
吉祥寺で作っていた時に気づいたんです。

ぼくらが気づいたのは、
遅かったかもしれないけど‥‥
「女の子たちが、全部ズボンを履くようになった」
「後ろから見ると、歩き方が男か女かわからない」
「カップルで、一歩前を歩いているのは女の子だ」
そういうことを、ぼくらは、
当時の制作過程で、いろいろ話しあっていたんです。
だから、絵として見せるのにも、
女の人が一歩さがってついていくなんていうのは、
リアリズムに反している、だとか‥‥。

そのころ、大林(宣彦)監督の
『転校生』という映画で、
男と女が入れかわったでしょう?
あれは非常におもしろくて、
女の子が男の子になった時、
演技は、まったく変わってないんです。
ところが、男の子が女の子になった時には、
必要以上にナヨナヨするんです‥‥。
ぼくは、大林さんが
女性にそうあってほしいと思っているんだな、
というふうに見てましたけれど。
糸井 ああ、そうですね。
大林さんは、自然観も含めて、
梶原一騎的ですね。
「尾道って街は、イイぞー。
 都会は、ツラいぞぉ?」
みたいな‥‥。
鈴木 (笑)
糸井 その「男女」のテーマっていうのは、
すごくおもしろいなぁ。

最近ぼくが知ったことなんですけど、
ぼく、食品まわりをやっているので、
ずいぶんそのことについては
考えるんですけど‥‥。

すこし調べてみると、
「お母さん」というものは
ごはんを作るものだ、ということが、
女の人にとっての、義務というか、
どこかでマナーみたいになっていましたよね。

そもそも、世の中には
いろんな料理があるうえに、
ダンナさんは外でいろんなごはんを食べている。
「専門家じゃないお母さんが、いつも
 プロが作っている料理と対決しなければいけない、
 というのは、つらいだろうなぁ」
と、これは、ずっと前から思っていたんです。
鈴木 つらいでしょうねぇ。
糸井 自分が外で働いているお母さんは、
もっとつらいだろうなぁと思うんですよ。
外の味もたくさん知っていて、
自分の味が「あれとは違う」とわかるから。

そういうことをずっと続けていくと、
極端に言うと、性のテクニックまで含めて、
奥さんっていうのは、何かと比べられている。
これは、つらいぞ、と‥‥。
鈴木 食と同じ問題が起きていると。
糸井 外で買えるものがおいしかったら、
うちの中にあるものは、
外にあわせるか、あれはまずいって言うか、
そのどちらかしか、なくなる。
だから、おそらく、
食や性についての家庭内の文化の崩壊と再生って、
きっと、黙っておこなわれていると思うんです。

‥‥そういうような、たいへんなものなのに、
それでも大多数の人が、そんな「奥さん」に、
なれると思っているのは、なんでだろう?
このことは、ずっと思っていたんです。

それが下敷きにあったうえで、
食について調べていたら、家で何品目も、
栄養のバランスを考えるお母さんが登場したのは、
戦後の婦人雑誌が出て以降のことなんです。

それ以前は、奥さんにはお手伝いさんがいて、
奥さんは「おかみさん」としての仕事があった。
当時は、一般の家庭に、家事だけでも
洗濯機はないし、縫い物はしなければいけないし、
掃除はしなければならなかったし、
職人や商人の家だったら、もちろん
仕事の手伝いがあったわけですからね。

下町に行くとお惣菜屋さんがたくさんあるのは、
「昔から、おかみさんは料理をあまりしなかった」
ということのあらわれなんですよ。

だから、
「うちの家内はあんまり料理を作らない」
だとかいう発言は、
まったくの幻想から生まれてるんです。
鈴木 奥さん、かわいそうですねぇ。
糸井 ぼくなんかは、共働きですから、
しょっちゅう、互いが独身になっていますよね。
そうすると、どう大変なのかを
ぼくはわかるから、
「家事、どうでもいいよ」と言うんです。

でも、もし、
ダンナと同じ時間に帰ってくる奥さんが、
子どもを育てているうえに、
「うちのごはんはちゃんとしていない」
なんて言われているとしたら、大変ですよ。
鈴木 酷です。
糸井 酷ですよ‥‥。
あらためて思ったんだけど、
メディアを通じた、
アメリカの家庭の理想像みたいなものを
直輸入した婦人雑誌が、
家庭を、いろいろとがんじがらめにしたんです。
「最近はだめになった」んじゃなくて、
昔から、奥さんは大したことがなかったわけで。
鈴木 ぼくは、いろいろと若い女の人と、
直接の接触はないんですけれども、話を聞くと、
若い夫婦だとか若い男女のカップルの男の方は、
女性にそういうことを、強要するらしいですねぇ。
糸井 しますね‥‥。
決まりがわからなくなっちゃったおかげで、
「かくあるべきだ」という幻想を、
男女共に、妙に強く意識しているように思います。

豊かになっちゃったぶんだけ、
「ぜんぶ豊かにあるべきだ」という幻想に
縛られてしまっているような気がしますねぇ。
鈴木 そのことと、
糸井さんが野菜の仕事をはじめたのは、
どういう関係があるんですか?
糸井 仕事をはじめたほうが先なので、
仕事をきっかけに、
「このじゃがいもを買う人は、どう買うんだろう?」
と考えなければならなかったんです。

レトルトパックされたカレーを食べてもいいのに、
敢えて家で、それよりも
まずいかもしれないカレーを作る‥‥。
「その人たちが、どれぐらいいるのか」を、
仕事としても、知らなければならなかったわけです。

いまも野菜販売をしていると、やはり、
すぐに食べられる果物から売れていくんです。
鈴木 そうですね。
さっきぼくもいただきまして、
みかん、おいしかったです。
糸井 そういうことの中で食品を扱うのは、
これから、どうなっていくんだろうと考えまして。
いくらおいしいお米を作っても、
炊かなければしょうがないので‥‥。

「最低限、誰でもできておいしい」
というところでは、
どういう風に食生活が進むのかを、考えています。
鈴木 なるほどねぇ。

(対談は月曜日につづきます。おたのしみにー!)

2002-12-06-FRI

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