書店に平積みされた少女漫画の単行本を
開いてみると、そこには
めくるめく、TAROワンダーランドが
くり広げられていた!
『オッス! トン子ちゃん』は、
TAROを好きな人はもちろん、
これから知ろうとしている人にも、
ぜひ手に取ってほしい一冊です。
「太郎サまで 太郎サまで
 アタスらしさとか言うダスか!」
 主人公にこんな言葉を言わせる作者、
タナカカツキさんのTARO観とは?


第3回
美に出会ったら、お手上げです。


タナカ こないだも、買い物してたら、
黒くてツルッツルしたナスが
山盛に並んでて、
それが魂の扉を開くんだよね。
ギョッとするの。
── 同じものが均等に並んでいるものって、
よーくみると、不気味でこわいです。
タナカ すっごいなこれ!ってなるでしょ?
いっちいちそんなことしてたら
買い物できないから、
いつもはそういう反応を
シャットアウトしてんのよ。
── なるほど。
タナカ おたまを買いにスーパーに行ったときも、
ギョッとなったよ。
売り場につるつるのおたまが
大小グラデーションで吊り下げられていて
視界いちめんおたまなの。
むっちゃきれいのなよ。もう、
誰かー!(助けてー)
って思ったもん。
── ハハハハ!
タナカ けど、いちいち「誰かー!」言うてたら、
もう用事ができないの。
── 用事が暮らしの主軸となっていますものね。
タナカ 社会との折り合いがつかなくなるから、
ガチッて鍵かけて「やめ!」にしてる。
「買いたいおたまは、どの大きさで」
っていう気持ちでやらないと。
── そのモードでいないと、だめですね。
タナカ そう、記号、記号で、
毎日すごしていってるわけでしょ。
その記号みたいなものの最たるものが
スタイル、いうやつですわ。
魂の扉をとにかく閉じてるんです。
おたまをみてギョッとするかんじ、
虫をみて気持ち悪いというかんじ、
夕焼けをみて
なにふりかまわずキレイというかんじ。
そこでは、こまかいウソがなくなって、
絶対正直者の自分
になるんですよ。
その瞬間が、
魂と立ち向かってるときじゃないでしょうか。
── そういうときは、
すっぱだかになるかんじがします。
それは、TAROの絵をみたときの反応と
ちょっと似ているかもしれませんね。
TAROの絵も、形式ではないですから。
タナカ そう、ぜんぜん形式じゃない。
だから、ゾッとしたり
する人がいるんやね。
でね、そんな気分になっているときは、
「誰かを傷つけよう」なんて、
思わないんです。
── そんなことを考えている
隙はありませんからね。
タナカ 「正直の扉をひらく」だの
「ギョッとする瞬間」というのは、
美と出会うということなんです。
人はもっと美を思い出したいんです。
美を思い出したり
美に対面した自分というのは、
本心にたちかえってしまうんです。
それをふだん、合理主義の社会のなかで
忘れてしまっているだけなんですよ。
そのどうしようもない澱んだ膜をね、
太郎はベロッって
剥がしてくれる。
軽快に、わかりやすく
強い言葉で。
── うまく生活をしていくうえでも
美にふれて、正直な感覚を
きちんともてればいいですね。
タナカ じつはみんな
うまいことやっているんだと思うよ。
旅行行ったり、お花見に行ったりね。
「雪がきれいだわー」言うてるやん?
── そうですね!
ときどきは「ウァー」「ギョッ」と
なっています。
タナカ でしょ? そうでないと生きていけないもん。
それが極端に少なくなると、
おかしくなって、
視聴率をお金で買う、とかなってくるのかな?
そういうことって、たぶん
魂からもっとも遠いことなんですよ。
── 正直さから、遠いですね。
タナカ 金魚にエサをやったり、
植物に水やってるときの自分は、
最高なんですよ。
もう、まっしろの、超無条件。
ふだんは条件ばっかり。
まったく、植物とは
ビジネストーク
なさすぎるよ。
こういうことが、日常に
もっといっぱいあればいいのにね。


「海や山に行かなくても、
 日常に美しいものや無条件になれるものが
 いっぱいある。子どもはそういうことを
 よく知っているんですよ」


(つづきます!)

2004-01-16-FRI

このページに関するメッセージをpostman@1101.comまでお寄せ下さい。
このページの全部または一部の無断複製・転載を禁じます。