「ひと目みて心を奪われる」といわれる、
色彩あふれる絵を描くジミー大西さんは、
数年前までは「お笑い」のタレントさんでした。
2002年12月より日本全国を巡回している展覧会に
足を運んだ人の数は
いまや、ゆうに30万人を超えるといいます。
ジミー大西さんが
タレントから画家に転向したきっかけには、
晩年のTAROがかかわっていたとか。
darlingがお話をうかがいましたよ。


第3回
テレビ出てくるなり「爆発だ!」言うてるぞ。


糸井 小さいころは、
絵を描くことについての夢や興味は
ぜんぜんなかったんですか?
大西 まーったく、なかったです。
絵描きになるなんて、
もうそんなん、
思いつきもしませんでしたし。
糸井 そうなんだ。
大西 小っちゃいとき「何になりたいの?」
って言われたら、
僕は「トラックの運転手」とか
「パイロット」とか、
そんなん言うてました。
絵描きになるなんて、
ほんっっっとに、思わなかったです。
糸井 でも、「太陽の塔」をみたときの
インパクトはすごかったし、
岡本太郎のことは
ずっと気になってたんですよね。
大西 ずーーーっと気になってました。
糸井 じゃあ、もしかしたら、
「岡本太郎を気にしてるタクシーの運転手」に
なってたかもしれないんだ。
大西 きっとそや思いますわ。
タクシーの運転をしながら、
太郎先生のこと、
ずっと気にしてたんやろうと思います。
万博には「太陽の塔」のほかにも
カナダ館とか、メキシコ館とか、
いろんなパビリオンがあったわけです。
いっぱいあったんですけども、
ひとつも憶えてないんですよ。
糸井 「太陽の塔」以外は。
大西 ええ。そんだけインパクトがあった。
だからいま、大人になっても
「太陽の塔」については
たくさんしゃべってしまうんです。
糸井 家は、万博会場から近かったんですか?
大西 いえ、当時の家は八尾市だったので。
糸井 じゃ、ずいぶん遠いですよね。
「太陽の塔」の本物を見る機会は、
そんなには、頻繁ではなかったんですね。
大西 いや、万博の会期が終わっても
エキスポランドに遠足に行ったりとかで、
「太陽の塔」は、常に、
どっかで目にしていたんですよ。
糸井 「太陽の塔」をみると、
そのつど、なんか感じる?
大西 はい。もう、行くたびに。
「塔の下まで行ってみたいな」とか、
「もっと遠く離れてみてみたいな」とか。
生駒山とか信貴山とか、
山がいくつかあるんですけれども、
「あの生駒山からやったら、どうみえるかな?」
とか、しょっちゅう考えていました。
糸井 ひゃー、
そんなに一生懸命やれることなんてないよ、
子どものときなんて。
大西 まったく、そうなんですよ。
なんかしらんけど、
熱心にあれこれ考えてました。

糸井 「太陽の塔」以外のもので
岡本太郎に触れた経験は?
コマーシャルぐらいでしょうか。
大西 コマーシャルですね。
太郎先生はコマーシャルで
「芸術は爆発だ!」って、
言うてはったんですよ。
「芸術は爆発だ!」の、
「爆発」というのは、
いったいなんなんやろ?
なにが爆発なんや?
今度は太郎先生の言葉が
めっちゃ、気になりましてね。
糸井 (笑)いちいち、
岡本太郎のやることが
気になるんですね?
大西 テレビ出てくるなり
「爆発だ!」言うてるし(笑)。
太郎先生のひと言ひと言に、
すっごく敏感に反応してしまったんですよ。
爆発って、ねぇ?
キャンバスがポーンあって、
絵の具をバーンぶちかけたんが、爆発なのか。
それとも、ダイナマイトみたいな、
爆竹みたいななかに絵の具が入ってて、
パーン火つけて、
キャンバスでバーン爆発さすんが、そうなのか。
単純に、子どもの頭で
もういろんなことを‥‥
糸井 想像するんだ(笑)。
ひとつのことを、
ずーっとしつこく考えるタイプなんだね?
大西 気になったら、
なんやしらん、しつこいんですよ。

(つづきます!)

2004-02-10-TUE

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