「ひと目みて心を奪われる」といわれる、
色彩あふれる絵を描くジミー大西さんは、
数年前までは「お笑い」のタレントさんでした。
2002年12月より日本全国を巡回している展覧会に
足を運んだ人の数は
いまや、ゆうに30万人を超えるといいます。
ジミー大西さんが
タレントから画家に転向したきっかけには、
晩年のTAROがかかわっていたとか。
darlingがお話をうかがいましたよ。


第6回
いつもいっしょにいた、紫の絵の具。


糸井 インドで描いたマンダラの絵を
岡本太郎に捧げようと思っていたら、
亡くなってしまって、
岡本太郎本人とはもう
会えなくなっちゃったわけですよね。
それで、その絵は、どうしたの?
大西 はい。岡本太郎先生が亡くなってしまったから、
そのマンダラの絵を奉納したんです。
糸井 なるほど。
大西 奉納したら、
敏子さんが、それを受け取ってくれて。
糸井 うんうん。
大西 ほんで、敏子さんに声をかけていただいて、
記念館になる前の、
青山のあの、アトリエをみせてもらった。
僕はそのときはじめて
先生のアトリエをみたんですよ。
そうしたら、1枚の絵がそこに飾ってあって、
はじめて「太陽の塔」をみた、
そのときと同じような感動を覚えたんですよ。
力強いな。
こんな大っきいキャンバスで、
こんだけ力強く描いてはる。
その、自由さが伝わってきた。
敏子さんに訊いたら、
「筆を持って、タッタッタッタッて
 走ってバーン!」

そうやって描いたって。
あ、なるほど、
こういうことも爆発や、と思った。
糸井 うん。
大西 そういうことも、
「キャンバスからはみ出す」ことなんですね、
とか、敏子さんにまた、いろいろ訊いて。
そしたら、敏子さんが、
岡本太郎先生が使ってた絵の具、
好きなの1個持っていっていいよ、って
言ってくれはって。
糸井 ああ、うれしいねぇ。
大西 はい。「なんでもええよ」って言われて
パッてつかんだんが、
紫の絵の具やったんですよ。
糸井 紫ですか。
大西 つかんでもおたんですよ、
紫の絵の具を。
これはあとで、スペインに行ったりしたときも
ずーっと一緒に持って歩いたんです。
これをはげみにしていました。
糸井 お守りみたいなもんだね。
大西 いつもそばに置いて、
太郎先生の画風とか、
いろんなんを思い出しながら、
「大胆に」「爆発」「キャンバスからはみ出す」
「かしこまらないで」っていう、
先生のひと言ひと言を、
考えもって、いつも描いてたんです。
ほんで、描いてるうちに、
紫使うのが、ものすごい
むずかしくなってきたんですよ。
糸井 ああ、それ、
以前大西さんと雑誌で鼎談をしたときに
ちょっとおっしゃってましたね。
紫色はむずかしい、って。
大西 そうなんですよ、そうなんですよ。
先生の紫の絵の具がそうさせたんか、
むずかしくなる色を僕がつかんでしまったのか。
糸井 その「絵の具」に、
そんな意味があったんだね。
で、いまはもう乗り越えられたんですか、紫は。
大西 いや、まだです。
どうしても克服しよう思て、
たまに、紫は使うんですけども。
糸井 縁が深いねぇ。
大西 なんか知らないですけども。
こんだけ考えさしてくれる、
先生て、憎いな、思いますもん(笑)。


糸井 絵だけじゃなく、絵の具で、言葉で。
すごいね。
大西 ほんとに「先生の言葉の答えを聞きたいな」
と思うときがあるんですよ。
爆発はどういうことですか?
先生「キャンバスからはみ出せ」ということは、
いったいどういうことなんですか?って。
糸井 でもその答えを聞いちゃったら、
それはそれで終わりなのかもしれない。
でも、大西さんが
聞きたくてしょうがないっていうのは、
もしかしたら、いま、
自分がいちばん苦しんでるとき
なのかもしれないですね。
大西 そうなんだろうと思います。
それで、みんなから
「もっと昔のように大胆に描いたら?」とか
言われたりするんです。
糸井 ううーん、そうなんだ。
大西 やっぱり言われる時期があるんですよね。
糸井 そうだよ。
大西 大胆に描くことは描けるんですよ。
でも‥‥。
糸井 ただ大胆であるのは、
だめなんですか?
大西 はい。
「ただ大胆」っていうのが、
自分のなかでは
ものすごい許せないんです。
糸井 なるほど。
大西 「キャンバスからはみ出せ」っていうことは、
おそらく大胆であることだろうと、
最初は思ってたんです。
要するに、魚なりなんなりを描いて
キャンバスからボーンはみ出る、
それが大胆なことやと思てたんです。
けども、そうではないと思て。
糸井 例えば、やけっぱちなだけの冒険であっても、
「大胆」って言われそうだもんね。
大西 そうなんですよ。
糸井 「はみ出す」っていうのは、
きっと、もっと
自信持ってなくちゃだめなんだろうし。
大西 はい。でも、太郎先生は
フランスとかに行かれて。
糸井 インテリですからね、
あの人はもともと。
あの時代にフランスに渡って。
大西 ええ。フランスで、先生は
やっぱり悩んでたわけなんですよね。
ほんで、あるとき電車のなかで
先生はピカソの絵に出会ったそうなんです。
ピカソに出会ったあと、
電車のなかで涙が出てきて、
震えが止まらなかった‥‥って。
なんかで読んだことあるんですけど。
糸井 うん、うん。
大西 ほんで、それから先生は日本に帰ってきて、
今度は沖縄の土器とか、あんなんをみて、
ものすごいヒントを得たり。
糸井 うん。きっと、
自分より大胆なものにぶつかっては、
「オレはまだまだだ」って思って、

「もっと大胆に」というようなことを
くり返してきたんでしょうね。
大西 そうなんですよね。
糸井 「TAROのコトダマ。」で、
敏子さんとお話ししたときも言ったんですけど、
太郎さんは、坊ちゃんですからね。
大西 はい。
糸井 もっとひ弱だったんです、きっと。
その意味で、大西さんのほうが、
もともとの「芋みたいな力」は持ってる。
そこは自信持っていいんじゃないでしょうか。
大西 そうですかねぇ。
でも、太郎先生のデッサン力とか、
力強さとか、あの生き方って、
すごいですよ。
先生の生き方がもう、
「キャンバスからはみ出」てんのちゃうかな?
糸井 うん、そうだろうね。
大西 自分の生き方もはみ出ていかないかんのかな。
でも、それは世間が許してくれるのかな(笑)?
糸井 昔は世間が、岡本太郎だからって許したものが
たくさんあったと思うんだけど。
でも「ジミー大西」だったら、
けっこう許されるんじゃないですか?
大西 いやー、許されると思うけども、どうかな‥‥。
ピカソでも、
奥さんとの喧嘩を、
あえて仕組んでたとかいいますから。
糸井 自分に難しい問題を与えるようにね。
大西 自分をひたすら「刺激集」のようにしていた。
太郎先生は生き方で、
やっぱり刺激がいっぱいだし。
糸井 飛び込んでって、
事件をつくってくみたいな、ね。
大西 もう火のなかでも、ウワァ行く。
やりだしたら、そこへ入ってしまう。
先生の、その生き方がはみ出てんねやろな、
と、思ってるんですけどもね。

(つづきます!)

2004-02-20-FRI

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