糸井 |
インドで描いたマンダラの絵を
岡本太郎に捧げようと思っていたら、
亡くなってしまって、
岡本太郎本人とはもう
会えなくなっちゃったわけですよね。
それで、その絵は、どうしたの? |
大西 |
はい。岡本太郎先生が亡くなってしまったから、
そのマンダラの絵を奉納したんです。 |
糸井 |
なるほど。 |
大西 |
奉納したら、
敏子さんが、それを受け取ってくれて。 |
糸井 |
うんうん。 |
大西 |
ほんで、敏子さんに声をかけていただいて、
記念館になる前の、
青山のあの、アトリエをみせてもらった。
僕はそのときはじめて
先生のアトリエをみたんですよ。
そうしたら、1枚の絵がそこに飾ってあって、
はじめて「太陽の塔」をみた、
そのときと同じような感動を覚えたんですよ。
力強いな。
こんな大っきいキャンバスで、
こんだけ力強く描いてはる。
その、自由さが伝わってきた。
敏子さんに訊いたら、
「筆を持って、タッタッタッタッて
走ってバーン!」
そうやって描いたって。
あ、なるほど、
こういうことも爆発や、と思った。 |
糸井 |
うん。 |
大西 |
そういうことも、
「キャンバスからはみ出す」ことなんですね、
とか、敏子さんにまた、いろいろ訊いて。
そしたら、敏子さんが、
岡本太郎先生が使ってた絵の具、
好きなの1個持っていっていいよ、って
言ってくれはって。 |
糸井 |
ああ、うれしいねぇ。 |
大西 |
はい。「なんでもええよ」って言われて
パッてつかんだんが、
紫の絵の具やったんですよ。 |
糸井 |
紫ですか。 |
大西 |
つかんでもおたんですよ、
紫の絵の具を。
これはあとで、スペインに行ったりしたときも
ずーっと一緒に持って歩いたんです。
これをはげみにしていました。 |
糸井 |
お守りみたいなもんだね。 |
大西 |
いつもそばに置いて、
太郎先生の画風とか、
いろんなんを思い出しながら、
「大胆に」「爆発」「キャンバスからはみ出す」
「かしこまらないで」っていう、
先生のひと言ひと言を、
考えもって、いつも描いてたんです。
ほんで、描いてるうちに、
紫使うのが、ものすごい
むずかしくなってきたんですよ。 |
糸井 |
ああ、それ、
以前大西さんと雑誌で鼎談をしたときに
ちょっとおっしゃってましたね。
紫色はむずかしい、って。 |
大西 |
そうなんですよ、そうなんですよ。
先生の紫の絵の具がそうさせたんか、
むずかしくなる色を僕がつかんでしまったのか。 |
糸井 |
その「絵の具」に、
そんな意味があったんだね。
で、いまはもう乗り越えられたんですか、紫は。 |
大西 |
いや、まだです。
どうしても克服しよう思て、
たまに、紫は使うんですけども。 |
糸井 |
縁が深いねぇ。 |
大西 |
なんか知らないですけども。
こんだけ考えさしてくれる、
先生て、憎いな、思いますもん(笑)。
|
糸井 |
絵だけじゃなく、絵の具で、言葉で。
すごいね。 |
大西 |
ほんとに「先生の言葉の答えを聞きたいな」
と思うときがあるんですよ。
爆発はどういうことですか?
先生「キャンバスからはみ出せ」ということは、
いったいどういうことなんですか?って。 |
糸井 |
でもその答えを聞いちゃったら、
それはそれで終わりなのかもしれない。
でも、大西さんが
聞きたくてしょうがないっていうのは、
もしかしたら、いま、
自分がいちばん苦しんでるとき
なのかもしれないですね。 |
大西 |
そうなんだろうと思います。
それで、みんなから
「もっと昔のように大胆に描いたら?」とか
言われたりするんです。 |
糸井 |
ううーん、そうなんだ。 |
大西 |
やっぱり言われる時期があるんですよね。 |
糸井 |
そうだよ。 |
大西 |
大胆に描くことは描けるんですよ。
でも‥‥。 |
糸井 |
ただ大胆であるのは、
だめなんですか? |
大西 |
はい。
「ただ大胆」っていうのが、
自分のなかでは
ものすごい許せないんです。 |
糸井 |
なるほど。 |
大西 |
「キャンバスからはみ出せ」っていうことは、
おそらく大胆であることだろうと、
最初は思ってたんです。
要するに、魚なりなんなりを描いて
キャンバスからボーンはみ出る、
それが大胆なことやと思てたんです。
けども、そうではないと思て。 |
糸井 |
例えば、やけっぱちなだけの冒険であっても、
「大胆」って言われそうだもんね。 |
大西 |
そうなんですよ。 |
糸井 |
「はみ出す」っていうのは、
きっと、もっと
自信持ってなくちゃだめなんだろうし。 |
大西 |
はい。でも、太郎先生は
フランスとかに行かれて。 |
糸井 |
インテリですからね、
あの人はもともと。
あの時代にフランスに渡って。 |
大西 |
ええ。フランスで、先生は
やっぱり悩んでたわけなんですよね。
ほんで、あるとき電車のなかで
先生はピカソの絵に出会ったそうなんです。
ピカソに出会ったあと、
電車のなかで涙が出てきて、
震えが止まらなかった‥‥って。
なんかで読んだことあるんですけど。 |
糸井 |
うん、うん。 |
大西 |
ほんで、それから先生は日本に帰ってきて、
今度は沖縄の土器とか、あんなんをみて、
ものすごいヒントを得たり。 |
糸井 |
うん。きっと、
自分より大胆なものにぶつかっては、
「オレはまだまだだ」って思って、
「もっと大胆に」というようなことを
くり返してきたんでしょうね。 |
大西 |
そうなんですよね。 |
糸井 |
「TAROのコトダマ。」で、
敏子さんとお話ししたときも言ったんですけど、
太郎さんは、坊ちゃんですからね。 |
大西 |
はい。 |
糸井 |
もっとひ弱だったんです、きっと。
その意味で、大西さんのほうが、
もともとの「芋みたいな力」は持ってる。
そこは自信持っていいんじゃないでしょうか。 |
大西 |
そうですかねぇ。
でも、太郎先生のデッサン力とか、
力強さとか、あの生き方って、
すごいですよ。
先生の生き方がもう、
「キャンバスからはみ出」てんのちゃうかな? |
糸井 |
うん、そうだろうね。 |
大西 |
自分の生き方もはみ出ていかないかんのかな。
でも、それは世間が許してくれるのかな(笑)? |
糸井 |
昔は世間が、岡本太郎だからって許したものが
たくさんあったと思うんだけど。
でも「ジミー大西」だったら、
けっこう許されるんじゃないですか? |
大西 |
いやー、許されると思うけども、どうかな‥‥。
ピカソでも、
奥さんとの喧嘩を、
あえて仕組んでたとかいいますから。 |
糸井 |
自分に難しい問題を与えるようにね。 |
大西 |
自分をひたすら「刺激集」のようにしていた。
太郎先生は生き方で、
やっぱり刺激がいっぱいだし。 |
糸井 |
飛び込んでって、
事件をつくってくみたいな、ね。 |
大西 |
もう火のなかでも、ウワァ行く。
やりだしたら、そこへ入ってしまう。
先生の、その生き方がはみ出てんねやろな、
と、思ってるんですけどもね。
(つづきます!)
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