「ほぼ日」あてに
敏子さんへのメールをたくさんいただき、
ありがとうございました。
一部抜粋をさせていただき、
ここにご紹介いたします。


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会社でこのニュースを知り、本当に驚いています。
太郎さんと敏子さんの関係を、
ある種の支えとして、毎日生きています。
イトイ新聞での敏子さんのご活躍も、
とても楽しみにしていました。

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岡本太郎に魅せられた人間は、
誰もが岡本太郎の子だと思っています。
敏子さんの子でもあります。

岡本太郎と岡本敏子を
伝えていきましょう。
受け取るだけでなく、私自身、
伝えていきたいと思っています。

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ご病気だったのでしょうか?
美術館でお会いしないままに
・・・・・。

ご冥福をお祈りいたします。

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つい先程ネットのニュースで
岡本敏子さんが亡くなったって。。。
あまりの衝撃に誰かに何かを言いたくて、
こちらにメールしてしまいました。
間違いだったらいいいいのに。。。

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悲しい・・・
とにかく悲しい・・・
たった今岡本敏子さんのことを知りました
なぜかここに真っ先にメールしてしまいました。。。

敏子さんの笑顔、大好きだったな。

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未だに信じられない思いが・・・
まだまだお元気そうで
お若く見えたんですが、79歳だったんですね。

いつもニコニコ穏やかな笑顔で、
とても楽しそうに太郎さんのことを
私たちに話してくださった敏子さん。

今頃、太郎さんと「おい、遅かったじゃないか」
「お待たせ」
などと会話されているでしょうか・・・

敏子さん、たくさんの情熱をありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。

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大きな仕事をやり遂げて、安心なさったのでしょうか。
心からお悔やみ申し上げます。

太郎さんと同じぐらい敏子さんが好きでした。

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こんにちは、私は4月9日に
岡本敏子さんのお話を聞きにいったものです。
先程、ニュースを見てビックリしました。
あれほど元気に振るまわられてた方でしたのに。。。
残念でなりません。 

私も瞬間瞬間生きて岡本太郎になろうと思います。
Be Taro

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さっき岡本敏子さんの訃報に接しました。
つい先日、Tシャツプロジェクトの
打ち上げパーティの楽しそうな様子を
拝見したばかりだったし、
とてもお元気そうに見えたので驚きました。
おとといのダーリンコラムが
人と人の関わりの内容だったので
まるで敏子さんのことを
暗示していたようだ。と感じました。
ご冥福をお祈りします。

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急逝なさったこと、夕刊で知りました。

頭が混乱しています。
職場なのに涙があふれそうで、
こらえるのに必死で首の後ろ付け根が痛くて
頭痛がします。

あまりに早く惜しまれる死と思えてなりません。
心より、ご冥福をお祈りいたします。

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「なんだこれは!」ページいつも楽しく拝見しています。

今日、敏子さんの突然の訃報に、ただただ驚いています。
このページにも
イキイキと話す敏子さんの姿がアップされているので
本当に信じられません。

「明日の神話」を持って帰る途中でとても残念です。
何より敏子さんが一番残念がってはるのではと
思っています。

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一度もお会いしたことなかったのですが、
なんだかとってもショックです。

でも、これでやっと太郎さんとまた会えるんですね。

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先週土曜日の青山の岡本太郎記念館の
トークショーに参加し、
お話を聞いたばかりなのに、
信じられない気持ちでいっぱいです。

トークショーの最後に、
あの壁画がいよいよ戻ってくるのよ、と
無邪気な顔で語っていた敏子さんなのに...。

壁画のこと、ほぼ日でやるのでしょうか?
もしやるのでしたら、何かお手伝いさせてください。
その気持ちを伝えたくメールしました。

川崎で行った伊賀さん、糸井さん、
敏子さんのトークショー。
本当にあの日が3人での最後となってしまいましたね。
思えばあのTシャツ展はものすごい祭りだったと
今、改めて思ってます。

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岡本敏子さんが亡くなってしまったのですね・・・
本当にショックでした。

3月5日に、名古屋から
憧れの岡本太郎記念館を初めて訪れ、
太郎氏はもちろん、敏子さんにも想いを馳せ、
半日近く、あの空間で、あの空気を感じていました。

4月9日のイベントの模様を見ると、
今日の訃報が信じられません。

今は、言葉が出ません・・・。

本当にありがとう・・・ただそれだけです。

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今!ネットニュースを見て絶句!
え!?信じられない!
ほんとにびっくり。もうよくわかんない。

とか言ってる場合じゃないって!

敏子さんのおかげで岡本太郎の言葉が
僕に届きました。

岡本敏子さんのご冥福をお祈りいたします。

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岡本敏子さん。ショックで言葉も出ません。
ゴールデンウィークに
初めて青山の岡本太郎記念館へ
行く予定を立てていたので、
もしかしたらお会い出来るかとも
思っていたのですが・・・。残念です。
ご冥福をお祈りします。

ほぼ日の今後のTAROのコンテンツに期待しています。
「明日への神話」を
日本に持ってこなくちゃいけないですもんね。

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今朝岡本敏子さんの訃報を知りました。
余りの突然の死に衝撃をうけています。
ほぼ日の太郎特集がきっかけで、
太郎の偉大な人生と芸術のみならず、
彼の死後もなお彼を支え続けている
岡本敏子さんという素晴らしい女性を
知ることができました。
二人の生き様および力強い言葉に
どれだけ励まされたかわかりません。

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敏子さんの訃報にとてもびっくりしました。
私はTシャツが届いたら、
写真を撮って敏子さんにお送りするつもりでした。

きっと敏子さんは
「あらっ、もうお迎えにきちゃったの?」って
太郎さんに言われたと思います。
太郎さんは寂しくなってお迎えにみえたのでは、、、。

太郎さん、敏子さんにいただいた
「自由の種」を心の中で
大切に育てていきたいと思います。
そして「明日の神話」が日本に戻ってきたら
絶対会いにいきたいと思います。

ほぼ日のみなさん、
Tシャツ展といういい機会を与えて下さり、
どうもありがとうございました。

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いまさっき岡本太郎の「本日のひとこと」を読みました。
岡本敏子さんの訃報のニュースを知って驚きました。
まさかまつがい・・・ではありませんよね。

この場でメールで、というのもおかしな話ですが、
ご冥福をお祈りいたしたいと思います。

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今日の夕刊で岡本敏子さんの訃報を知りました。
思わず声が出ました。
愛する人のそばに往ってしまわれたんですよね。
オリジナル・ラヴのライヴでお見かけした時、
なんてカッコイイ人だろうと思いました。
そして、TARO−Tシャツのパーティでのこの笑顔は
なんてかわいいんでしょう。
太郎さんにはもう会えたんでしょうか。

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岡本敏子さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
サイトで力強い言葉をいつも読んでいたので、
全く想像が付かない事態です。
太郎さんと一緒に、幸せに過ごして欲しいです。

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だいぶ、アタマがcool downしてきたので。

敏子さんの訃報は、とてもショックでした。
太郎さんと敏子さんだけしか知らない
「ナニカ」を内に秘めたまま、
旅立たれてしまわれたのではないか……と。
まだまだ聞き逃していたコトは
山ほどあったのではないか……と。

ただ、
このページや、TARO-T展、などなど、
「TAROの遺伝子。」を受け継いだ、
さまざまな「太郎チルドレン」たちが
「育って」きています。

わたしも含め、そんなチルドレンたちのDNAに
水をやり、養分を与え、太陽の厳しさを教え、
しっかり育ててきてくれたのが、
敏子さんだったと思うのです。

この先も、きっと「ほぼ日」は、
このDNAたちの「畑」となってゆくのでしょう。

これからも、よろしくお願いします!!

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9日のトークショーであんなにお元気でしたのに
言葉がありません。
前からテレビ他で存じ上げている方ではありましたが
ラフォーレのトークショーの時に、
こんなに可愛らしくて
大人で、力強くて、魅力的な女性が
いらっしゃるんだな。
と、軽くショックを覚えたのを思い出します。
あんな女性になりたいと
初めて憧れた女性であったかも知れません。

敏子さんの小説「奇跡」の最後が美しくて
泣いた事が思い起こされます。

悲しいけれど、敏子さんに出会えた喜びを
今はみなさんと分かち合いたいと思います。

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岡本敏子さんがお亡くなりになったのを知り、
今は言葉が出てきません…。

4/9のトークイベントでは、
あんなにお元気だったのに、
“明日の神話”が
日本に帰って来るのを見届ける事なく
岡本太郎さんの元へ旅立たれてしまったんですね…。
今頃は、お二人で大壁画の置き場所の相談でも
なさっているのでしょうか…。

岡本太郎という太陽を
見つめ続けた向日葵のような敏子さん。
心よりご冥福をお祈りすると共に、
心より感謝申し上げたいと思います。

そして、敏子さんとの出逢いを作って下さった
ほぼ日の皆さんに
一言お礼を申し上げたくて、メールをさせて頂きました。
本当に本当にありがとうございました。

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岡本敏子さんの訃報に接し、
謹んでご冥福をお祈りいたします。

まさか、先週のトークライブが、
「ほぼ日」読者であるわたしが
岡本敏子さんに(間接的にでも)接する
最後のチャンスだったなど、
夢にも思いませんでした。
糸井さんはじめ「ほぼ日」の皆さんをはじめ、
敏子さんの周囲のみなさんへの
衝撃やいかばかりかと、お察し申し上げます。

音楽で食べている私は、先週の更新での
「(太郎さんは)芸術では食ってやらない!って」
というご発言に、
本当に心を奪われ、考え方を改めさせられました。
いままで、本当には分かっていなかった
太郎さんの芸術の力に、遠巻きながらも少しは、
私なりに近づけたように思っていました。

敏子さんが話して下さらなければ、
私はまだ芸術に携わる者として
自信を失い、方向が分からずにいたことでしょう。
本当に、その矢先のことでした。

「ほぼ日」を通じて、太郎さんの芸術、そして
敏子さんという魅力溢れる「生命」に出会えたことに
心から感謝の気持ちを申し上げます。

敏子さん、ありがとうございました。

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岡本敏子さんの訃報を知り、
途方にくれそうです。
尊敬できる女性の人生の先輩として、
大好きです。
ほぼ日サイトにリンクしたとき
岡本太郎さん、岡本敏子さんの名前を見つけ、
「私の好きな人って繋がりあるんだ」
と、感動していました。
素敵な人って天に行ってしまうの早いです。

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4月13日のグランドフィナーレ更新の
「おなじみ3人のトークも これが最後かも?」
というコメントが、
本当の最期のスリーショットになってしまったのですね。

トークショーでの敏子さんの言葉を
プリントアウトしました。
私のほぼ日手帳の4月21日に、貼り付けました。

「でも、はじめちゃうのよ、とにかく。
 どうやって食っていけばいいのかを
 こちょこちょ考えずに、
 とにかく、やっちゃえばいいのよ。
 いい? 『食ってやらない!!』のよ、みんな!」

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訃報を聞き驚きました。
瞬時に、ほぼ日での太郎を語る動画が浮かびました。
パワフルで生きていることが幸せというような。
今頃になって、岡本太郎の本を
端から読んでいる所でした。

岡本太郎が全身で語り創作を続け、
敏子さんはそれを1人でも多くの人に伝えたい。
敏子さんの死は、
二人の仕事が神様の思う所へ
十分に辿り着いたそんな印象を受けました。
女として敏子さんの生き方に
非常に感銘を受けた1人です。
とてもとても感謝しております。

また、その機会を与えてくださった
ほぼ日クルーにも感謝しております。

心よりご冥福をお祈りいたします。
また、岡本太郎の作品に会いに行きます。

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急逝されたと聞き、驚きました。
ほぼ日やTVなどでお見受けしても
ものすごくパワフルでお元気でいらしたのに。

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家族をそれぞれ送り出し、やっと広げた新聞に
「岡本敏子さん急死」の文字を見つけました。
思わず「なんで!?」と叫んでいました。

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私がはじめて敏子さんを知ったのは
「日本のよふけ」というトーク番組でしたけれど、
永遠の愛というものを体現されていること、
人を愛するということの幸せを教えてもらいました。

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敏子さんの訃報を聞いて驚いています。
今回、「明日の神話」を持ち帰るプロジェクトの途中で
敏子さんが亡くなられて、ショックを受けておりますが
その後なにか自分達でもできないかと話し合っています。

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…おどろきました。
お知らせの内容にも驚いたのですが、
自分自身が受けたショックの大きさにも驚きました。

…ほぼ日を見て、太郎さんのコンテンツに惹かれて、
太郎さんに惹かれて、Tシャツ展も楽しんで、
ことごとにいただくTシャツ展のお知らせや
いろいろなご連絡をいただいて、
(私も、Tシャツ買わせて頂きました)
そうするうちに、敏子さんが、思いがけず自分の中で、
身近で、大きな、こんなことを言うと、
一方的で失礼かも知れないのですが、
私にとって、家族というか、
血や心の通った存在になっていたみたいなのです。

ほぼ日さんからお送り頂いた、
太郎記念館のチケットに添えられた
「Tシャツを着て、遊びに来てくださいね」という
敏子さんの明るくきさくなメッセージに、
お応えすることができなかったのが
申し訳なく、残念な気持ちでいっぱいです。

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岡本太郎さんも敏子さんも
皆の心の中には
いつまでも生き続けていくのでしょうね!!
9日のトークショウに行けなかったことが
悔やまれます。。。

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胸が詰まって、昨日は、なんども、こっそりデスクで、
電車で、泣いてしまいました。

青山へ行くと、
記念館の方にご丁寧に記帳台まで通していただき、
お花をおいて帰りました…
こういう方たちに守られて、あちらへ旅立つのだな、
と思うと、また気持ちを落ち着けることができました。
人を見送るとはこういうことなんですね…

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満面の笑みを浮かべた敏子さんの顔が
目の前いっぱいに広がってきます。

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『今日のダーリン』にもありましたけれど
また随分軽やかにひらりと
向こうに逝かれてしまいました。

残される者としては勿論さみしくはありますが
一週間前の笑顔の写真など拝見すると
こう言っては不謹慎かもしれませんが
何とも羨ましいような気もします。
しかも今は太郎さんと一緒なんでしょうしね。

私は幸運な事に
太郎Tシャツの持ち主のひとりになれて
いよいよ22日に発送されると聞いて
楽しみにしていたのですが
Tシャツを着たら、
敏子さんは見にいらっしゃるかも知れないな、と
思っています。

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76年生まれの私にとって、
大阪万博は歴史上の出来事でしかありません。
昨年「なんだ、これは!」の
ジミー大西画伯のエピソードで
「キャンバスからはみだせ」という言葉を読んで、
強いメッセージだなぁと感銘を受けたものの、
何となくぼんやりと過ごしていました。

グリコのおまけで今、
大阪万博の食玩が当たるシリーズがありまして。
何気なく「太陽の塔が当たるといいなぁ」と
思って買ったら、「お祭り広場」が当たりました。
広場の上の屋根の真ん中が丸く穴が開いていて、
そこに自分で太陽の塔を差し込みます。

「お祭り広場」の屋根から突き出した形、
万博の時の姿を見たのは、これが初めてでした。
小さな食玩の模型ではありますが、
立体として「はみだした」状態を見たとき、
ぱぁっと目の前の霧が晴れました。
「屋根より高い塔にしてやろう!」
はっきりと、太郎氏のメッセージを受け取りました。

いつものように今日のダーリンを読み始めて数行で、
後ろから引っ張られたように
動けなくなってしまいました。

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本日何回目かの、
今日のダーリンを静かに読み終えて
ようやく、岡本敏子さんが
太郎さんのところに逝かれたのだと
納得しようとしてます。
糸井さん、心に沁みる言葉で
敏子さんのことを知らせて下さり、
ありがとうございました。

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今朝新聞を開いて
敏子さんのニュースをみつけ驚き
しばし呆然としました。

なんだかT展が終わったら
じゃあ,よろしくね とでもいうように
きらっと微笑んで
なんだか素敵に去ってしまわれた。
らしいような、かっこよすぎるような気がします。

きっとTAROさんは
敏子さんと一緒に座れる椅子を準備して
あちらで待っていらっしゃるんだろうな。
単身赴任中の夫に会いたくなりました。

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先だっての新潟でのトークショウでは
あんなに元気でいらっしゃったのに...。
こちらのほうがパワーをもらって帰ったというのに。
そんな方が突然この世から居なくなってしまうなんて。
あんな迷いのない生き方を感じさせてくれたのは、
岡本さんが初めてでした。
一目でもお会いできて光栄でした。
何もすることはできませんが、
ただただご冥福をお祈りします。

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岡本敏子さんが亡くなられと聞き、愕然としました。
悲しくて、悔しくて、どうにもならず涙がこぼれます。

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岡本敏子さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
当然の訃報に接し、とても驚いて涙が止まりません。
糸井さん、ほぼ日のお陰で、
イベントに参加したり、記念館へ伺ったり、
一ファンとして、多くのことを学び、頂きました。
敏子さんの言葉には愛があって、救われたことが
たくさんあったのです。
どの言葉というよりは、全体、全部です。

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なぜだか、急に岡本太郎氏を求めた時期があり、
川崎の美術館や表参道に通いました。
そこには敏子様がいて、安心できる空気があって、
私にはとても幸せな時間を過ごすことができました。
新聞で読んで、ほぼ日で現実なんだと、知りました。
涙が止まらない。

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今日の「今日のダーリン」で
悲しいお知らせを知りました。
会社で読んでいたのですが、トイレで泣きました。
ダーリンじゃないけど、思った以上にずっしりきてます。

「明日の神話」のプロジェクトが動き出すわよ、と
うれしそうに話していたのに。
これからは残された私たちが
動きを止めないようにしないと。

「なんだ、これは!」の連載のとき、
私が送ったメールに対して敏子さんからコメントを
いただいたんです。あの時はうれしかった。
きっと今頃太郎さんと「久しぶり!」とか
やってるのかもしれない。

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本当に衝撃的でした。

思わず、声に出して、信じられない文面を、
呑みこもうとしました。

でも今も、とうてい信じられません。

岡本敏子さんはどこかで生きておられるのでは、
と思わずにいられません。

心より、ご冥福をお祈り申し上げます。

著書である、「いま、生きる力」を読んだとき、
岡本敏子さんの、つよいエネルギーが、
文面に伝わってきました。
訴えているようで、そうっと語っているようでもあり、
敏子さんの生きていく上での姿勢がすごいなぁ、
と思っていました。

わたしも、どうか敏子さんが太郎さんと
ゆっくりしてくれているといいなぁ、と思います。

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喫茶店のドアを開けると、
「ああ、来た来た。」
と、にやっと笑って待っている人がいる。
なあんて。

向こう側へ行った方たちは、
どんな風に再会するのでしょうね。

日差しが明るい喫茶店の窓辺で、
コーヒーを飲みながら待っていて、
「お、来たね」と、
今まで話したかったいっぱいのことを、
いつまでも、おしゃべりするのかも。

そんな風景を想像しています。
敏子さん、お疲れさまでした。
太郎さんとゆっくりしてくださいね。

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「本当に人って死ぬんだ」放心状態のあと、
ふとそんな思いがまず頭に浮かびました。

私は、何度か岡本敏子さんに
お会いしたことがあるけれど
漠然と「この人は死なない人だ」と
思っていたからです。

特に岡本太郎記念館で、
敏子さんに気さくに接していただいた時のことなどを
思い出し、涙が溢れて止まらなくなりました。

昨日(4/20)は仕事が本当にバタバタで、
徹夜でやっつけている状態だったので、
敏子さん死去のニュースを全く知らずに
過ごしていました。

それを「今日のダーリン」で知ったのです。
糸井さんの「「そこ」に行ってしまった」という言葉で。
「えっ!?」ドクンと心臓が重く鳴って、
その後、周りの全てのものが
一瞬バタッと止まったように感じました。
そして「あっ」と気づいたら
ポトポト目から大量の水が流れ出ていたのです。

「だって太陽だもの。死ぬわけない」と
思っていた人の死は
鈍感な私にも、
すごくリアルな「死」を感じさせてくれました。

岡本敏子さん、今頃はもう太郎さんと会えましたよね?
二人でどんなことをお話してますか?
太郎さん、私はあなたには
一度もお会いできなかったけれど、
敏子さんを通して、
あなたとも会話をさせていただいていたように思います。
本当に本当にありがとうございました。

そしてこれからもどうぞよろしく。
幸せな私たちは、たくさんの作品や本を通して、
いつでもお二人とつながれますから。

「なんとでもなるわよ」という言葉が、
今私が強くなれるおまじないです。

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敏子さんが亡くなってしまって、どうなるんだろう!!!
と思ったけれど、糸井さんたちに
「たのまれ事」があるときいて
少しホッとできた気がします。
敏子さんがおっしゃっていた
「明日の神話」を絶対見に行きます!

新潟来てくださってありがとうございました!

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岡本敏子さんが亡くなりましたね。
そんなことがあるなんておもっていませんでした。
ヒールの音が聞こえるようです。
鹿児島の岡本太郎展で、
岡本敏子さんの講演を聞きました。
その後、青山の岡本太郎館に行き、
入り口の店でコーヒーを飲んでいたら、
岡本敏子さんが帰って来て、ヒールを鳴らしながら、
こちらを向き、にっことしました。
それだけだったのですが、大きな存在でした。

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私はひどい挫折感に苦しんでいたときに
岡本太郎に出会い、
「夢を追って食えなくて死ぬなら死んでもいい」
という言葉に強烈に救われ、立ち直り、
以来、岡本太郎を心の師にしてきました。
その岡本太郎を身に宿している敏子さんの存在は、
私にとっては大きな心の支えでした。

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たった10日前に向ヶ丘遊園で、
とてもトテモお元気なトークを
聴いてきたばかりだったので、
いまだに信じられません。

敏子さん!
素敵なお話、私の宝物になりました。
どうもありがとうございました。

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インターネットのニュースで
敏子さんの死を知りました。

なんとも言えません。

4月9日のあの幸せそうな顔を思い出しました。
でも、きっとあの顔で「そこ」に行かれたのですよね。

私は岡本かの子が好きです。
そこから太郎さんを知り、
敏子さんを知ることになりました。
何気なく知ったほぼ日に、
岡本太郎・敏子の存在があり・・・
嬉しく思いました。

どうもありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。
あなた方は消えません。

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岡本敏子さんの訃報たった今知りました
今年の夏こそ美術館へ子供をつれて
親子4人で行くはずだったのに
、、、、、、、、、、
タイプするのがつらいので
叉にします、すみません

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太郎と敏子さんという
希有な二人の人間を知るきっかけを作ってくださった
ほぼ日スタッフのみなさまに、
この場をかりてお礼を申し上げます。
『何だこれは?!』がきっかけとなり、
私の人生は確実に豊かになりました。
また、落ち込んでいるとき、
太郎と敏子さんの生き様や力強い言葉に多くの勇気と
元気をもらいました。
「太郎と敏子さんはまだ生きているんだよ」
と言えるよう
私も微力ながら遠くからお手伝いできればと
思っています。

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びっくりです…。
Tシャツイベント終了後のパーティで
120%の笑顔で写真に収まってたのって
ついこの間の話ですよね。
何だかまだ信じられないです。
あまりにあっけなくて、
本人だって死んだことに気づいていなさそう。
そんな笑い話も敏子さんなら許してもらえそうです。

…何だか羨ましい人生だなぁ…。

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今日の新聞で岡本敏子さんの訃報を知りました。
ほぼ日の太郎のコンテンツは読んでなかったので、
詳しくは知りませんが、悲しいことです。

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昨日仕事中にネットのニュースで知りました。
直接お会いした事もありませんが、
『がーん』としました。

敏子さんが静かに語る太郎さんは
本当に生きているように思っていました。
凛とした生き方が素敵な方だと思っていました。

とっても、身近な大切な人を亡くしたような気がします。
ダーリンが書いておられたように
太郎さんが呼んだのかもしれません。
敏子さんに甘えたくなったのかもしれません。

遺志をついでくれる人たちがいる…
敏子さんは安らかに
お休みになられていることと思います。
ご冥福をお祈りします。

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昨日、岡本敏子さんが急逝されました。
これまでの精力的な活動に対して、
心よりご冥福を申し上げます。

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驚きました。
4月13日の「シークレットパーティ」の
記事を楽しみに読んだばかりだったので。

太郎さんや敏子さんのように
大きな影響力を人に与えることは出来ないでしょうが、
心を込めて自分のものを作り続けようと思いました。

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岡本敏子さんはやっぱりすてきでした。

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ダーリンの言葉を読み返し、
二人で一つの人生を生きていただろう人だから
「太郎さんの事を伝えてくれる人もたくさん出来たし、
 そろそろ太郎さんの所へいこうかしら」
って逝ってしまったのでしょうか?
まるで、頃合いを見計らったように。

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太郎さんがご存命だったときは、
「すごそうな人」と思っていました。
その後、敏子さんが語られる太郎さんを感じたら、
「大きい人」と思いました。
その大きさはまだまだ無限で、
まだまだふくらんでいます。
私にとっての太郎さんは、
横にいつも敏子さんがよりそっています。
ほぼ日にもありがとう。
敏子さん、ありがとうございます。
ご冥福、お祈りしてます。

■■■■■■■■■■■■■■

以上です。
たくさんのメッセージを
ほんとうに、ありがとうございました。



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