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テレビ逆取材・
クリエイティブってなんだ?

第22回  利息がつかないのにみんなが貯金するのは
      『使う側のクリエイティブ』がないからです
        (消費というクリエイティブ・その2)



しばらく、ナビゲーターの談話が続きましたが、
この番組は、クリエイティブはこうなんだぜ!と
広く世の中に向けて断定したいわけでは、ありません。
「クリエイティブってどういうものなのかを
 考えてみることが、どうやら必要なのではないか?」
という、素朴で不安気な動機から作られはじめた番組で。

で、どうやらクリエイティブへの思いは
個人的にならざるを得ないのかな?と感じたために、
それならもう、番組制作チームや番組ナビゲーターに、
個人的に、それぞれの考えを生なままで聞こう・・・
それがこの「テレビ逆取材」のスタンスになりました。
プロデューサーもディレクターもナビゲーターも、
ある意味では青臭いことを言ってくれてるのだけど、
それは、でも、個人的な人生観と関わらせて考えれば、
ほんとはかなり多くの人が、そうなるのではないかなあ?

だから、他人に「クリエイティブじゃん?」と
ほめられるための、すぐに役に立つ処方箋だとか、
エッジを立たせるようなファンキーな方法論だとかが
ここで盛大に語られているわけではないのだけど、
「どうなるんだろうなあ?」と心配しながら、
「でも、ひょっとすると、何かできるかもしれない」
と、毎日うねっている最中の人にとっては、
もしかしたら、このまだるっこさを、
「そういうこと、私も違う角度で考えてるんだよ!
 ・・・でも、まだ、どうするのか、わからないけど」
と捉えてくれているのかもしれないなあと思います。
そして、「ほぼ日」宛てのそのようなメールを、
実は、予想したよりも多くいただいているのです。

今回は、そのうちの1通のメールの紹介からはじめます。

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目に見えないものに技術があります。
技術はただとはいいませんが、
基準のないものはお金に換算しにくい。
よってなぜか大体すっごく安くなる。
これ、絶対おかしい。
じゃ、基準はどうやって作るのか。
(中略)
私はメイク関係の仕事をしています。
ある意味クリエイティブな仕事だと思うのですが、
メイクも技術だけでは食べていけないのです。
食べていけても、年齢とともに
金額が上がるというわけではありません。
本当のメイク職人さんを知っていますが、
その人は一生働かなくてはならない。
働けなくなったら、教育者になる以外食っていけない。
なんだか悲しいです。それに、
よい仕事をしている人が正しい評価を得ていない。

誰が本物?何が本物?
この業界の裏を知ってしまいました。
実力以外のものがうごめいている世界。
「本物ってなんだ?」
と私はいろんな人に問いかけました。
「メイクの本物って?」
実力(メイク技術)もないのに、
キャラクターだけでマスコミに取り上げられる。
私はそう言う人はアーティストとは思いたくないのです。
だって、失礼でしょう。本物のアーティストに。
この業界、技術の基準もテストもないんです。

クリエイティブってなんだ?
わたしはあるひとつの仮の答えを見い出しました。
「多数の一般人の心を打つ作品を作ることができる人」
つまり、判断するのはそこら辺のにいちゃんねえちゃん、
じいさんばあさん、坊ちゃん嬢ちゃんだということです。
だから、一部のものづくりに携わる人間10人から観れば
「ありゃ駄作」と言われるものだとしても、
一般人10億人がなんらかの反応を見せてしまえば
それを作った人はクリエイティブな人だろうと。
センスが良かろうが悪かろうが心を動かせたもん勝ち。

・・・でも、いやなんです。この答え。
センス悪かったり、暴力的だったりしても
『影響力のあるものはみんなクリエイティブだ』
と言ってしまっているからです。
ホントはそんなのはクリエイティブに入れたくない。

もっと素直で、きれいで、かっこよくて、
愛情があって、涙があってというのがいいんです。
汚いのはいやなんです。反則なのはいやなんです。
社会に悪影響なのはいやなんです。

im
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いらついていますし、ものすごく個人的なメール。
だからこそ、受け取った時に、ずしんと響いてきました。
「ほんっとにむかつくんだけど、何とかしないと、
 私の今やっていることが、何の意味もなくなるかも」
そんなような思いを、感じました。
「それじゃ、いやなんです!」というところに、
切実なものがあったから、気持ちよく読めた。

ここからは再び、そんな
あくまで個人的な立場のひとつとして、
番組ナビゲーターの糸井重里に、しゃべってもらいます。
「生産側のクリエイティブではなくて、
 今は、消費側からのクリエイティブが、
 どうやら、かなり重要なのではないだろうか?」
という前回の問題提起を受け、更に
社会などに話題が飛び火していきます。
誰が評価をするのだろうか?という意味では、
今回紹介したメールとも、少し関係があるところです。




(撮影のセッティング中です)



----生産することにつぎこむことしかしていないから、
  消費を楽しむ素地ができていないと思うんですか?


「世の中に価値として認められていないものには、
 親が『それは勉強しなくていいよ』と言いますよね。
 だから、ピアノも、楽しみとしてではなくて、
 嫁入り道具の教養として、義務でやらされますよね。
 そこには、楽しむことがペアになっていないから、
 おもしろくないし、苦しいものになってしまう。
 ・・・ぜんぶ、生産側からしか見ていないんですよ。
 役に立つかどうかでしか、ものを見ない流れがある。
 ピアノを聴いていても、テクニックだけを鑑賞するのは
 ぜんぶ、生産中心の立場からの発想で・・・。

 このあいだ、吉本隆明さんと海水浴に行って
 めしを食いながら雑談していたんだけど、
 『もしかしたら、人間が社会的な動物だという
  規定は、まちがいなんじゃないか。
  もともと人間は、群れをなす動物なのではなくて、
  案外ひとりでいたいものだったのかもしれない』 
 という話になったんですよね。
 もしも、案外、人はひとりでいるものだったとすれば、
 今までの社会学の言っていることは、何もかもみんな、
 とんちんかんなところで発想していたのかもしれない。
 
 社会は、もしかしたら、
 ひとりでいられるのならひとりでいたい人間を、
 「生産のためには、
  システム化したほうがめしが食えるから」
 という理由だけで、しょうがなく
 社会化をしたのかもしれないと考えたら、
 いったいどうなるんだろう? 
 ・・・おもしろいですよね。生産を確保するために
 共同作業をしなくてはいけなくて、そしたら、
 そのためには人と関わっていかなければいけなくて
 で、しぶしぶ社会ができてきたんだとすると、
 社会についての今までのイメージは、覆される。 
 植物なんかは、群れないでひとつの場所にいて、
 『なるようになれ』とでもいう感じでいるけど、
 樹齢何千年だとか、長生きしているじゃないですか。
 そっちもいいですよね。

 ・・・どこかのところで
 生産に関わるというものだけが
 いいものなんだという価値観に対して、
 みんながちょっとずつ疑問を持ちはじめていると思う。
 で、日本の今の経済だって、
 消費が冷えきっているというけれど、
 こわいから貯金をしているだけでしょう?
 利息がつかないのにみんなが貯金をするのは、
 『使う側のクリエイティブ』がないからです。
 楽しむという思想もない。
 
 こないだ巨人の仁志へのインタビューを
 テレビで聞いて、すごくおもしろかった。
 昔の一番バッターのイメージは、自己犠牲ですよね。
 『塁に出るか、塁に出ないまでも
  ピッチャーの球のひととおりを参考にできるように
  カタログとしてあとのバッターに見てもらう。
  できれば、ねばって疲れさせる・・・』
 そんなイメージがあるんだけど、
 でも、『疲れさせる』って言ったって
 5球や6球なんだからさー(笑)、もう机上の空論で。

 仁志はいま、セリーグでもっとも三振の多い、
 それでもっとも安打数の多いバッターなんです。
 で、そのインタビューで仁志がはっきり言ったのが、
 『一番バッターは、最初にピッチャーと対面するので、
  あとにつづくバッターに勇気を与える存在だと思う』
 ・・・これ、すごいな!と思った。
 どうも前から仁志にはそういう理論があったらしい。 

 『勇気を与える』というのは、
 もう捨て石でも何でもなくて、
 それこそ本当の冒険じゃないですか。
 今までの巨人に一番なかった発想ですよ。
 野球が『安定の野球』になって、
 『負けない野球』を作る時代がずっと続いて、
 『負けない野球』をしていけば自然に
 勝ちが5割5分になって優勝だ、という時代に、
 チームを強くすることを目指しているので、すごい。

----消費のクリエイティブがないのは、なぜだと思います?

「今は、消費の順位づけをプータローがしているけど、
 ぼくは、そこがどうも気になっています。
 いまは、ヒマでしょうがないひとだけが
 服も靴も選べるし、レコードも選べる。
 忙しい人は、時間がないから誰かに頼んだり、
 前から行っているお店に行くことで
 生産の時間を増やすために
 時間を消費の方向にふりわけずにいますよね。
 でも、プータローは、靴の話題が出た時に、
 『それなら、あそこに行けばいいじゃないですか』
 と言うわけでしょう?
 そういうヒマ人たちが作ったランキングにあわせて
 『どれどれ、何がはやってるの?』とおじさんが買う。
 そういう構造だから、きっと、
 本当のランキングにはなっていないんですよ。 
 すぐれた消費者が選ぶわけじゃなくて、
 ヒマ人が選んでいるのが現状のランキングだから。

 そういう生産性だけの土壌だと、やっぱり
 『インターネットでできた余暇をこれからどう使う?』
 という考えではなくて
 『インターネットができて、ますますいそがしい』
 という方向にいっちゃう。
 こういう発想を転換できるのが、ぼくの夢ですね。 

 外国に旅行すると、ラジオの音楽番組で
 古い歌ばっかりかかってるじゃないですか。
 日本でも、若い子が、70年代以後の音楽を
 普通に知って聴いて楽しんでいるんですよね。
 ソフトが新しいか古いかみたいなもので
 価値を持つという幻想は、
 すでに外国で壊れているわけだから、
 新しいか古いかではなくて、
 これからは『いいか悪いか』で
 ちゃんととらえ直すことができないかなあ。
 そういうことを思いはじめているんです。
 
 アメリカでタクシーに乗ると、
 運転手さんは、みんな古い歌を聴いているでしょ。
 前にそれを『遅れてるよなあ』と感じていたんだけど、
 そうじゃなくて、いつまでも進まないんじゃなくて、
 きっと、進む必要なんて、なかったんだよね。
 似たようなグループが
 何回お化粧を直して出てきたとしても、
 つまんないものは、つまんないんだから、
 どう、今度のは新しいでしょう?っていうのは
 ただ単に、今までの広告屋のやりかたですよね」




★話の何がどう拡散するかが不明なところで、
 次回も、個人的な立場のひとつとして、
 「うーん、わかんないんだけど、
  今のところは、こう思いはじめてて、
  けっこうそれが面白そうなんだよなあ」
 と、そんな番組ナビゲーターの話をお送りします。

 番組ナビゲーターのクリエイティブへの考えは、
 「今の時点では、俺はこう感じているんだけど、
  他に考えはじめた人は、どういう角度からですか?」
 という、まるで、急に火山が噴火したさなかで
 おんなじにおいの人を探し出そうとするための
 あいさつだったり誘いだったりするのかもしれません。


(つづく)

この番組への激励や感想などを、
postman@1101.comに送ろう。


2000-08-19-SAT

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