天童 |
最初の『家族狩り』を
否定する気はみじんもないし、
多くの方に評価もしていただき、
独立した作品として、もう、
完成されているものだとは思っているんです。
ただ、あの作品を書きはじめた当時は、
ぼく自身も
まだ三〇代前半だったこともあって、
かなり、怒りが全面的に出ていました。
あの小説を書くことの根底には、
「家族に帰ろう」
というような安易な言葉というか、単純化された
偽善的な考えの押しつけに対する怒りがあった。
今もそうですが、当時も、
社会的な問題が、いくつも起きていました。
その問題の根は複雑で、
すぐに解決することができない……。
そんなときに、社会全体が反省して、
問題が起きないために
何を変えるべきか模索したり、
政治とか経済のシステム上の問題はないのか、
富のかたよりや就職問題などはこれでいいのか、
といった検証はされずに、ともかく
家族に責任を負わせちゃえ、みたいな
かたちの言説が目立っていたんです。
「こんなことが起きているのは、
家族に問題があるからだ」
「家族がなかよくすれば、よくなるんだ」
そんな簡単な言葉で、言わば日本中が、
本当はアメリカをはじめとした
欧米各国もそうだったんだけど、
大事な問題から
逃げてしまっていると感じたんです。
家族自体に問題の根が
隠れている場合もあれば、
世界全体が抱えている矛盾が
家族を追い込んでいる場合もある。
むしろ後者のほうが大きいように思う。
なのにそれを言うと面倒だから、すっ飛ばして、
「いいよ、いいよ、とにかく家族なんだよ、
家族が父権中心に秩序だって、
目上の者を敬って、
母親を大事にして、はね返ったことをしなきゃ、
平和で安全なんだよ」
なんて言うだけでは、
結局は女性や子どものように、
家族の中でも立場の弱い人に
苦しさを押しつけてゆくことになって、
問題から逃げてしまうだけでなく、
かえって悪化させかねないと、
当時ぼくは、そう強く感じていました。
当時から虐待もあったし、
離婚家庭も多くあった。
仕事のこと、病気や怪我、介護、貧富の差、DV、
家族は多様な問題をそれぞれ抱えている。
「平均的な家族」なんて実はあり得ない。
仲良くできる家族は恵まれているんだよ、
仲良くしたくたって、できない家族は
現実にものすごく存在してるんだよってことを
吹っ飛ばして、みんなが
「家族、家族」と言っていることが、
すごくうさんくさかったんです。
ただ、もちろん、ぼくも、例えば、
「人と人とが優しくしあうことはいいことだ」
と思っているし、
「愛情は大切だ」
と思っている部分だって、あるわけです。
「家族はいいものだ」みたいな常識論が、
根本的にまちがっているわけではないんです。
だからこそ、家族幻想は厚くて揺るぎない……。
それに対して、当時のぼくは怒りを抱えて、
「その考えだけじゃ、もっと人を苦しめるよ!」
と言いたかった。
ともかくまず「ノー!」と突きつけてみたかった。
そのためには多少無理をして、
刺々しい鎧を着なければいけなかった。
相手は堅固な常識の壁で守られ、
善意の鎧をまとってましたからね。
表現がどうしても攻撃的で、
ときにはエキセントリックにも
ならざるをえなかったんですね。
当時は、ショックを与えて
振り向かせる必要性を感じていたというのかな、
否定的な見方を際立たせて立ち向かっていって、
なんとかこの厚い
家族幻想の壁を破っていこうとしたんです。
それが受け入れられて(九五年)、
望外の評価もいただき、多少の自信も得て、
次の『永遠の仔』(九九年)に向かうわけです。
『永遠の仔』は、虐待を受けて深く傷つき、
自分のことを最初から
否定的に見ている子どもたちが、主人公でした。
だから、物語全般を、
前の『家族狩り』のように
否定的なスタンスに立って
はじめることができませんでした。
「こんなにもつらくて悲しい、
ひどい世の中だけど、
生きるに値するんだよ」
そういう肯定的なところに立って、
物語全体を見通さないと、
自分のことを否定している子どもたちを、
物語の中とはいえ、
生き延びさせることが、できなかったんですね。 |