ゼロから立ち上がる会社に学ぶ 東北の仕事論。 気仙沼オイカワデニム 篇
第3回  一針、一針。
秀子さん わたしたちは「スタジオZERO」のデニムを
買っていただけるなら、
一生のうちに1本、
持っていただければ充分だと思っています。

壊れたら、補修しますし。
糸井 たくさん買ってくれ、ではなく?
秀子さん デニム製品というのは、人生に似てると思います。

最初は青くて硬くてゴワゴワしてるんですけどね、
穿いて汚して、汚れて切れて、
洗って色が降りて、柔らかくなって、
そうなるためには何年も何十年もかかって‥‥。
糸井 その人のかたちになっていく。
秀子さん そう、そうなんです。

ほつれたら、繕えばいいじゃないですか。
人生だっておなじです。
何回でもやり直しきくのが、人生だから。
糸井 うん、うん。
秀子さん だから、「スタジオZERO」のデニムは
人生のうちで1本、持ってもらえたら。
糸井 なるほど‥‥。

それにしても
いろんなジーンズ、つくってるみたいですね。
秀子さん 洗うと、だんだん柔らかくなるデニムとか。
糸井 ああ‥‥いい感じになっていく。
秀子さん このデニムのラベルなんか、
いまでは手に入らない、
廃棄になったアメリカの航空機の座席シート。
糸井 そういうのって、
息子さんが見つけてくるんですか?
秀子さん ええ。
糸井 すっかり「好き」になっちゃってるんですね。
秀子さん デニムって、すごく奥が深いんです。
でもわたしたちは、
技術では負けないと思ってやっています。
糸井 それは「誇り」ですね。
秀子さん だって、あんなに大きな津波に流されて、
ドロドロのヘドロの中から
うちのデニムが出てきたんですけれど、
1本の糸も、ほつれていなかった。

それを見て、自信を持ちました。
糸井 そのジーンズ、あるんですか?
秀子さん ありますよ。
糸井 うわー‥‥鉱山から掘り出したみたい。
秀子さん 大津波のヘドロのなかから、出てきました。
糸井 これが‥‥。
秀子さん ぜんぶで5000本くらい流されたうち、
見つかったのが、40から50本。

海のお父さんたちが、見つけてくれたんです。
「あんた、
 宝くじに当たったようなもんだよ」って。
糸井 へぇー‥‥。
秀子さん で、お母さんたちが
川で、ザブザブ洗ってくれたんです。

「天気がいいから
 があさまがたは川へ洗濯だからなぁ」って。

‥‥こっちでは「お母さま」のことを
「があさま」って言うんですね。
糸井 うれしかったでしょう。
秀子さん はい、それはもう、本当に。

‥‥リベットだって、ふつう錆びちゃいますが、
うちでは、特別なものを使ってましたから‥‥。
糸井 息子さんたち、
すっかり「マニア化」しちゃって(笑)。
秀子さん はい(笑)。
糸井 でも、その「よさ」をわかってくれる人が
増えてきてたところだったんですよね。
秀子さん 時期を、待ってたんです。

「スタジオZERO」を立ち上げたのは
世に「1000円未満のデニム」が
たくさん、出てきたころだったんです。
糸井 ああ、あの時期ですか。数年前、ですよね。
秀子さん メーカーの側としても
「売れない商品は、つくれない」んです。

だから
「うちの指定工場でありながら、守れない。
 どうにかがんばって工夫して‥‥」と。
糸井 早い話が「生き残ってくれ」と?
秀子 そうです。

状況はいま、とても厳しいけれど、
「生き残るための工夫や取り組みだったら
 どんなことでも応援する」と。

そういう声をいただいて、
「スタジオZERO」を始めたんです。
糸井 そうでしたか。
秀子さん そうやって始めた「スタジオZERO」ですけど
息子たちの工夫が、いろいろしてあって
メーカーの担当者さんが
会社に持って帰ってバラしても、結局‥‥。
糸井 つくれない?
秀子さん はい、つくれませんでした。
糸井 まさしく「現場の強さ」ですよね。
バブルのあとの「練習」が、実を結んだんだ。
秀子さん その仕事がなかった、いちばんつらいときに、
どうやってこの工場を守れたか。

じつは「防衛庁の迷彩服」だったんです。
糸井 ほー‥‥。
秀子さん 防衛庁の迷彩服をつくるお仕事というのは、
なんと言うんでしょう、
あまり‥‥奪い合いになるようなものじゃなくて。
糸井 というと?
秀子さん まず、手の長い人、細い人、背が低い人、
体格のいい人‥‥サイズがいろいろで、たいへん。

その割には、工賃が‥‥とか。
糸井 ああ、なるほど。
秀子さん 採算的には、ギリギリのところなんです。

でも、それを敢えてやりました。

そのおかげで、ヴィンテージのデニムが
縫えるようになったんです。
糸井 つまり、練習になったわけですね。
秀子さん 迷彩服って、アイロンは効かないし、
ファイブポッケで面倒だし、
なにか、不思議なつくりなんですね。

いちいち力布(補強のための当て布)をつけて、
とにかく丈夫に縫うんです。
糸井 ええ、ええ。
秀子さん でも、うちはこれをがんばってみようって。
それで2回、乗り切りきったんです。
糸井 ピンチを。
秀子さん そのときの思いがあったから、
今回も、津波にみんな流されてしまったけど、
やめようとは思いませんでした。
糸井 工場‥‥見てみたいです。
秀子さん 掃除できてなくて、散らかってますけど‥‥。
糸井 何か「企業秘密」があるとか?(笑)
秀子さん いえいえ(笑)、
隠すところなんて、ひとつもないんですよ。
糸井 ‥‥ていねいな仕事を
ひとつひとつ積み重ねてきたんですものね。
秀子さん そう、企業秘密なんて、何にもないんです。
とにかく、一所懸命、一針ずつ。
糸井 はい。
秀子さん 従業員さんには、いつも
「一流のデニムを縫っているんだから、
 ひとりずつが一流になるように」と。

「ブランドを着たり、アクセサリーをつけて
 一流になるんではなくて、
 こころを一流にしてくださいね」って。
糸井 うん、うん。
秀子さん だから、わたしたちの
「メイド・イン・ジャパン」の技術は、
どこにも負けないと思います。
糸井 品質で勝てる、と。
秀子さん こころは、一針一針に表れます。

だから
「誇りを持って
 一針ずつ一針ずつ、つないでいこうね」
と話し合ってやってます。
糸井 じゃあ、これからも、そうやって。
秀子さん はい。

‥‥ほんっと、震災のあとに
みんなのミシンの音、変わったんですから。
糸井 すごいなぁ、それ。
秀子さん 本当にうれしくて、ありがたいことでした。
<おわります>
2012-03-16-FRI
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