ゼロから立ち上がる会社に学ぶ 東北の仕事論。 陸前高田 高田自動車学校 篇
第3回  津波てんでんこ。
糸井 ここ(高田自動車学校)は
いつから営業を再開したんですか?
田村 4月21日です。
糸井 じゃ、震災から「1ヶ月と10日」で。
田村 今回、社員の雇用を守ることができましたけど、
すんごく勉強させられました。
糸井 それは‥‥。
田村 仕事って何ぞや、ということが、ひとつ。

つまり、ここに出社している時間は
好むと好まざるとに関わらず
彼らは、仕事をしてなきゃならない。

仲間と関わってなきゃならないわけです。
糸井 ええ。
田村 うちの社員たちにとって、
そのことが、
ずいぶん、救いになってるようなんです。
糸井 なるほど、なるほど。
田村 悲しみ、つらさ、こわさ、悔しさ‥‥
そういう感情から
いっときでも、逃げることができている。
糸井 やらなければならないことがある、という幸せは
ぜったいに、ありますよね。
田村 そうだと思います。

避難所にいて、四六時中、悲しみにくれていたら
もう人生、やめちゃおうかなって
考えてしまうなんてことも、あると思うんですよ。
糸井 そうでしょうね。
田村 職場に出てくることができる、
仕事ができるってことの、幸せといいますかね。
糸井 しかも、自分の仕事で
だれか喜んでくれる人がいるのを見たりしたら
きっと‥‥うれしいだろうなぁ。
田村 まさに、おっしゃる通りです。

仕事とは何ぞや。

それは「人が喜んでくれるもの」なんだってことに
この歳になってね、改めて気付かされました。
糸井 そういう視点は、前からあったものですか?
田村 震災以降、より「強く」なりました。
糸井 リアリティを持った、ということでしょうか。
田村 そうかもしれないです。

ああいう、つらい体験をしたということが
「よかった」といったら
これは、ぜったいに違うと思うんですけど‥‥。
糸井 ええ。
田村 そこから、何かを得なければならないです。

そうでないと
犠牲になった2万人近い人たちに、申し訳ない。
何かを得て、行動していかなければ。
糸井 そうですね。

生きているぼくたちが
この震災から、何かを発見することができたら、
亡くなった人も‥‥。
田村 うかばれると思うんです。
松田 そう思ったら、ぼくらも
悔しさをパワーに変えて‥‥いけますよね。
田村 そうですね。
糸井 さっき話に出た八木澤の河野通洋さんと
この7月に会ったんですが
そのとき彼はまだ、なんというか‥‥
闘争ホルモンがボタボタ落ちているみたいで
ほんと「猛獣」みたいだったんです。
田村 あははは(笑)。
糸井 お話しぶりはて穏やかだし、一生懸命なんだけど、
でも、「猛獣」を内に秘めていた。

ちょっと休ませてあげたいと、思ったくらいです。
田村 そうですか。
糸井 でも、たまたま昨日、東京でお会いしたら
顔つきが変わっていました。

やっぱり
「平熱で続けていかなければならない仕事」が
どんどん出てきているんだろうなって。
田村 でしょうね。
糸井 怒りや悲しみ、悔しさ‥‥などは
当然、あるんでしょうけど。
田村 ちょっと前までは
あいつ、ぼくとまったく意見が違ったんですよ。
糸井 そうなんですか。
田村 よく、今度の地震に関して
「自然が人間に対して猛威を振るった」って言うけれど、
自然の側からすれば
太平洋プレートと大陸プレートが
ちょこっとズレただけだぞと、ぼくなんかは思うんです。
糸井 うん、うん。
田村 ようするに、何が言いたいかというと、
みんな「国家的な危機だ」みたいな感じで
大騒ぎしてるけど、
でも、もし、もっとズレたら
もっともっとすごい地震が来るわけですよ。
糸井 はい。
田村 だったら自然に逆らうのはもうやめようよ、と。
防潮堤だなんだって言わずに、高台に移転する。

自然と共生しなきゃダメなんじゃないかという
話をするんです。
糸井 そうですね。
田村 すると、あいつは「冗談じゃない」と。

「みんな、地震の犠牲になってるんだから、
 俺は、陸前高田の海岸のすぐ近くに
 ぜーーーったい壊れない家を建てるんだ!」
みたいなことを言ってたんです。
糸井 なるほど‥‥。
田村 言って「た」んですね。

津波が来てからずっと、
ほんとに「この野郎!」みたいな感じでね。 
糸井 いや、その気持ちも、わかります。

悲しみとか痛み、そういう気持ちは残しながら、
生き残った自分が
「生きていく」ということにたいして、
もういちど前向きになる‥‥、
そういうふたつの局面を
みなさん、生きているんだと思います。
田村 津波てんでんこ、という言葉がありますでしょ。
糸井 ええ。
田村 津波が来たときには、他人のことも大事だけれど、
まずなにより
自分の命を自分で守んなきゃいけないって言葉。
糸井 はい。
田村 今回の津波が来るまで、
我々は、「津波てんでんこだぞー」って、
ただ、そう言うだけだったんです。
糸井 ええ。
田村 ところが、今回の津波で、
その言葉の意味が、本当にわかったんです。

我々の経営者のうちには、
「みんな、逃げろーっ!」て社員を先に逃がし、
結果的に、自分がいちばん後になって
亡くなってしまった仲間もいます。
糸井 はい。
田村 かたや、ぼくの友人は、津波が来るというときに
社員といっしょに逃げたんですが
まだ、うしろに逃げ遅れた社員が3人がいて、
彼らを亡くしてしまうんです。
糸井 ‥‥うん。
田村 彼は、すんごく自分を責めました。

「何であのとき、
 彼らに声をかけられなかったんだろう。
 何で、いっしょに逃げるぞって
 呼びに行かなかったんだろう」
糸井 はい。
田村 だから、ぼくは、彼に言ったんですね。
津波てんでんこ、という言葉を知ってるだろと。

「津波が来たときには
 自分の命は自分で守んなきゃいけない」って
言い伝えられてたやないか、と。
糸井 はい。
田村 彼の行動は、ぼくは、絶対に正解だと思う。

だって、もし彼が声をかけに行っていたら、
たぶん、彼も亡くなってます。

そうしたら
誰が、そいつの会社を経営するんでしょう。
生き残った従業員を、誰が雇うんでしょう。
糸井 亡くなっても、生き残っても、
こころに矛盾や葛藤を抱えるのであれば‥‥
「ぜんぶ、正しかった」って
言うしかないと思う。
田村 ‥‥そうなんでしょうね、きっとね。

<つづきます>
2011-11-29-TUE
写真撮影:相澤心也
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