ヒウおじさんの鳥獣戯話。
さぁ、オトナたち、近くにおいで。

第2回


イソップ童話「アリとキリギリス」を覚えているだろうか。
暑い夏にもかかわらずせっせとえさを巣へ運ぶアリ。
来たるべき冬に備えて来る日も来る日も重労働。
一方、毎夜ヴァイオリンを弾き、歌い興じるキリギリス。
働き者のアリを尻目に日中は昼寝を決めこむ。
季節は巡り、冬。
食べ物が尽きてしまったキリギリスはアリを尋ねて命乞い。
優しいアリはキリギリスを招き入れて食べ物を分け与える。




説教じみた話である。
備えあれば憂いなし――いかにも日本人好みのご教訓。
勧善懲悪思想に根ざす仏教説話のようである。
放蕩生活なんて、しょせん働き者にはかないませんよ、と。
まじめな日本人はこの教訓を真に受けた。
おとぎ話を心の支えに、日本人はアリとなって働いた。
国民総サラリーマン化によって日本は高度成長をとげた。
こつこつこつこつ働いて、経済大国を作りあげたのである。

しかし、待て。
本当にこれでよかったのだろうか?
働けどそう簡単には戸建てのわが家なんて手に入らない。
ようやく手にしたマイホームのローンは老後を暗くし、
長い通勤時間は心身をいたく疲労させるのである。
おまけにこの期に及んでリストラだの、過労死だの。
自分たちが汗水垂らして作ったのは不良債権だったのか?
サラリーマンたちは今になってアリの幸せを疑い始めた。




実は「アリとキリギリス」の話は歪曲化されている。
寒い冬にアリがキリギリスを助ける結末になっているのは、
日本とほかわずかの国だけなのだという。
世界の「アリとキリギリス」スタンダードバージョンでは、
アリはキリギリスに食べ物を与えることはない。
飢え死にしたキリギリスをアリが食べてしまうのである。
少々残酷であるが、日本版よりは生物学的に正しい。
弱肉強食や食物連鎖などの真理が盛りこまれている。

この世界標準版の話をアリの立場から単純化すれば、
頑張れば最後にうまいごちそうが待っている、ということ。
肉食の文化圏の人々にとっては、おいしい話である。
一方、キリギリスの立場から得られる教訓は、
わが身はちゃんとわが身で守りなさい、ということだろう。
個人主義の視点が感じられる。
農耕民族で集団生活になじんでいた日本人にとっては、
いずれにしたってピンとこない話だったに違いない。




しかし、本当はこの話も歪曲化されている。
イソップの元の話では、登場昆虫はキリギリスではない。
オリジナル版は「アリとセミ」だった。
イソップが奴隷として暮らしていた紀元前のギリシアには
セミがふつうに生息していたものの、
一般的にヨーロッパではセミの種類や数が非常に少ない。
だから後の編さん者がセミをキリギリスに代えたのだ。
オリジナル版は『伊曾保物語』として日本へ伝わった。

オリジナル版の「アリとセミ」の話では、
冬に物乞いにきたセミをアリは冷たくあしらう。
夏に歌っていたのなら冬は踊っていなさい、と。
因果応報という自然な教訓がくみ取れる。
が、この話も嘘っぽい。
セミの成虫が冬まで長生きすることはないはずだし、
幼虫は何年間も土の中で平和に過ごしている。
実際にはアリの寿命のほうがはるかに短いのだ。

ここまで考えて、皆さんに聞いてみたい。
アリとキリギリスとセミと誰が一番幸せだろうか?

やっぱりアリと答える人。
こつこつ頑張って
身をすり減らしたいならば
それもよい。
日本版のキリギリスと答える人。
他人のお情けにすがって生きたいなら
それもよい。

世界標準版のキリギリスと答える人。
せつな的な生を謳歌したいならば
それもよい。
オリジナル版のセミと答える人。
日の当たらない生活でも長生きしたいなら
それもよい。

楽してのうのうと生きたい人はなにを選ぶべきかって?
それならばやっぱりアリであろう。
とはいえ身を粉にして働くアリではない。
働きアリにかしずかせる女王アリである。
これならばいっさい労働することなしに
身の回りの世話を全部家来のアリたちがやってくれる。
選ばれたごちそうを食べさせてもらえて、
うーんと長生きだってできる。

でも本当に女王アリが幸せなのかどうか?
ぶくぶく醜く太って、自分で動くことも大変なのだ。
一生食べさせてもらえる代わりに、
一生子どもを産みつづけなければならないのだ。
来る日も来る日も食べて産むだけ。
外の世界も知らずに食べて産むだけ。
それって本当に幸せなのだろうか?
そうではないような‥‥。




ボクはキリギリスがいい感じじゃないかと思っている。
正確にはキリギリスではなく、親戚のコオロギだけど。

アリヅカコオロギをご存知だろうか?
アリに擬態してアリの巣の中に住むコオロギである。
この虫はまわりの働きアリをてなづけて
食べ物の世話をさせるずるがしこいコオロギなのだ。
アリに面倒をみさせておいて、
自分は好き勝手に生きている。
これぞ究極のお気楽生活であろう。
もっともこれも本当に幸せかどうかはわからない。


イラストレーション:石井聖岳
illustration (c) 2003 Kiyotaka Ishii

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2003-09-29-MON


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