ヒウおじさんの鳥獣戯話。
さぁ、オトナたち、近くにおいで。

第9回


日本語において、犬はあまりに軽んじられてきた。
「犬の遠吠え」とは敗者の負け惜しみのことだし、
「犬が星を見る」とはかなわぬ高望みのことである。
「犬も歩けば棒に当たる」というのも、才能のない者でも
あれこれやってるうちに成功する場合もあるという意味で、
つまり、「犬」=「ダメ人間」を暗示しているのである。
しかしながらこんにち、犬の立場は格上げされ、
ペットとして大切にされるようになった。
ありがたいくも冷暖房完備の部屋の中で飼われ、
はた迷惑なことに洋服を着せられたりしている。
本来肉食なのにペットフードやフルーツまで与えられ、
いまや雑食性と見まごうばかりになっているが、
「夫婦喧嘩は犬も食わない」のは昔から一緒である。
ときとして肉親よりも大事に育てられている犬もいて、
臨終のときに「犬死に」などというと気まずい事態になる。

きょうび犬と並んで人気の高い猫も、
どちらかというととるに足らぬ存在として扱われてきた。
「猫の額」とは面積の狭いたとえだし、
「猫の手も借りたい」ときはともかく加勢が必要なわけで、
つまり「猫」=「誰でもいい」と解釈できる。
さらになんでもかんでもの意の「猫も杓子も」となると、
ついに「猫」は杓子と同格にされてしまったのである。
仮にも哺乳類の猫が、たかが炊事道具と同じ扱いなのだ。
猫でご飯をよそったり味噌汁をすくった人間が
いたのだろうか?

杓子に鼠退治を任せてみた人間がいたのだろうか?
かように猫の扱いは不遇である。
「猫に小判」という語でも
「猫」=「価値のわからぬ者」だし。
でもちょっと待て。
招き猫って小判を抱えてなかっただろうか?
価値のわからぬ猫に商売繁盛を託してよいのだろうか?
案外当の猫がちゃっかり「猫をかぶ」ってるだけっだりして。

「トムとジェリー」を見るまでもなく、
鼠はいざとなると猫と堂々と渡り合うことができる。
「窮鼠猫を噛む」のたとえは正しいと思われる。
似ているようだが「時にあえば鼠も虎になる」は
どうかと思う。
好機が来れば弱者も強くなれるという意味であるが、
さすがに鼠は虎になれない。
いくら「虎の威を借」りても、狐も虎にはなれない。
鼠は鼠、狐は狐、虎は虎なのである。
遺伝子レベルで決まっている。
「大山鳴動して鼠一匹」ということわざがある。
古代ローマの詩人ホラティウスによるありがたい教えも、
残念ながら生物学的には正しいとはいえない。
大山が鳴動すれば、そこに住む鼠はあわてて逃げ出すだろう。
それはいいが、たった一匹ってことはありえない。
「鼠算」ともいうくらい、鼠は多産なのだから。

牛に関することばで私が即座に思いつくのは
「汗牛充棟」である。
小さな牛舎の中で牛たちが汗かきながら
押し合いへし合いしている…
わけではない。
きわめてたくさんの蔵書が並ぶさまを表している。
牛馬が汗して運び上げた書物が家にあふれているさまだとか。
中国のことばは深い。
「九牛の一毛」ということばもある。
多くの牛の中の一本の毛のように
わずかなものという意味である。
であれば九牛ではなく百牛、いや万牛にすれば?
どうせならもっと毛の多い猫や熊のほうが説得力あるのでは?
とつっこみたくもなるが、やはり、中国のことばは深い。
「商いは牛のよだれ」という奇妙なことばもある。
商売は(粘りのある)牛のよだれのように我慢せよ、の意。
そのまんまじゃん! 日本のことばは浅い。

「牛を馬に乗り換える」というと、
劣ったほうからすぐれたほうにつくことである。
要するに牛よりも馬のほうが優れているという認識だ。
中国の故事で「老いたる馬は路を忘れず」という。
なるほど老馬はなかなかのすぐれものらしい。
「将を射んとせば、まず馬を射よ」ともいう。
なるほど馬は人にとって使い勝手のよい動物なのだ。
しかし馬は信仰心には薄いようだ。
「馬の耳に念仏」というくらいなわけで。
この点に関しては牛に軍配が上がる。
なにしろ「牛に引かれて善光寺参り」なのだ。
馬はもとより、人よりも信仰心が篤いと見える。
ま、牛と馬を比較してもしかたないのである。
「牛は牛づれ馬は馬づれ」なのだから。
両者とも「牛飲馬食」の大食漢という点で共通しているが。

家畜ならば豚も忘れてはなるまい。
「豚に真珠」は前出の「猫に小判」と同意語であるが、
機会があれば、豚に「その真珠似合うね」と
ほめてみてほしい。
「豚もおだてりゃ木に登る」というから、
きっとすばらしいパフォーマンスを演じてくれるはずだ。
しかしどうやって登るんだろう。
なにしろ豚の祖先であるところの猪は、
「猪突猛進」で知られるただまっすぐ突進する性格なのだ。
ま、「猿も木から落ちる」ことだってあるわけで、
猪の子孫が木に登ることもあるのだろう、きっと。
ところで、猪はなぜか酒にまつわることばに残っている。
「猪上戸」といえば、人に酒を勧めず自分だけ飲む人間だし、
「猪口(ちょこ)」はご存知、酒を飲むための容器のこと。
え、どうでもいい薀蓄をうだうだうるさいって?
すみません。「猪口才(ちょこざい)」な人間なもので。


イラストレーション:石井聖岳
illustration (c) 2003 -2004 Kiyotaka Ishii

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2005-05-20-FRI


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