“Unusual”、ふたたび。
糸井重里からデイヴィッドへの 7つの質問とその回答。  そしてデイヴィッドから糸井への6つの質問
 
グレイトフル・デッドの話が理解されにくかったとき、 理解してもらうために、どんな話からはじめますか?
グレイトフル・デッドの話が理解されにくかったとき、
理解してもらうために、どんな話からはじめますか?

バートンスノーボード(Burton Snowboards)社の話が好きで、
よくその話をします。スノーボードなら知っている方も多いので。

スノーボードへの関心が一気に高まった1977年、
ジェイク・バートンは米バーモント州に
世界初のスノーボード専用工場を設立しました。
ここでバートンが作ったのは会社だけではありません。
グレイトフル・デッドにならってコミュニティーを作り上げ、
顧客を30年以上にわたる冒険の旅に連れて行くことになるのです。

初期の頃、スノーボードは邪道とされ、
一般のスキーヤーから嫌われていました。
スノーボーダーは「スキー専用」リゾートで
リフトに乗ることを禁止されていたのです。
活動を始めたころのグレイトフル・デッドが
アウトロー扱いされたのと少し似ています。

しかし、創立者のジェイク・バートンは
(グレイトフル・デッドと同じように)ファンのコミュニティーを作り、
それが力になったのです。

会社はアンダーグラウンドの草の根的なビジネスとして始まりましたが、
熱心なスノーボーダーたちがコミュニティーを作り上げ、
世界中に広まっていきました。
スノーボーダーによるスノーボーダーのための全米オープン大会を
1982年から開催し、早い段階で成功させたことで、
スポーツとして広く認められるようになり、
さらに多くのスキー場で受け入れてもらえるようになりました。

日本とのつながりもあります。
1998年の長野オリンピックでスノーボードははじめて正式種目となり、
一般的に知られるようになったのです。
バートンのスノーボードをはいた選手が何人も表彰台に立ちました。

34年後、世界最大手のスノーボード会社のオーナーとなった
ジェイク・バートンは、今でもできる限りスノーボードをしていて、
年に100日は滑るそうです。
グレイトフル・デッドが何十年もの間、
年100日以上ツアーを続けていたのと同じですね。
バートンは、自社の新商品を試し、ほかのスノーボーダーと滑りに出かけ、
そんな生活を心から楽しんでいます。
デッドヘッズがそうだったように、
スノーボードも熱心なファンが口コミを広め、
ファンのコミュニティーが急速に大きくなったのです。

今回の本でもバートンのことを取り上げたところ、
出版後、ジェイク・バートン本人から連絡がありました。
なんと、彼もデッドヘッズだ、と。サイン本を送ってくれないか、と。


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2011-12-09-FRI

 

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