ほぼ日刊イトイ新聞は、2011年11月1日より
「気仙沼のほぼ日」を開設。
そこから気仙沼ニッティングのプロジェクトが
すこしずつ動きはじめ、



震災から1年がすぎた2012年3月25日、
立川志の輔さんによる「気仙沼さんま寄席」
開催されました。

その後、「気仙沼のほぼ日」は活動をつづけ、
気仙沼の地元向けのいくつかのワークショップにも
かかわらせていただきました。

そして、2012年11月にミナ ペルホネンの
パッチワークワークショップが、
12月にこの「矢野顕子の音楽の稽古場」が、
開かれることになりました。

矢野顕子さんは青森県のご出身。
現在ニューヨークに住む矢野さんは、
震災に遭った土地や人びとへの思いを
Twitterやメールなどを通じ
昔から親交のある糸井とわかちあってきました。

そして、「気仙沼においでよ」という
すばらしいテーマソングを
つくってくださいました。
そのときのいきさつはこちらです。

いつの日かいっしょに気仙沼で、
慰問でも見学でもないなにかをやりたいと、
糸井と矢野さんは話し合いを重ねてきました。

やはり音楽のワークショップにしよう、
気仙沼の人たちだけでなく
日本じゅうから参加してもらって
交流ができるようにしよう、
糸井重里も積極的に内容にかかわり
本気の作品をつくる過程を見ていただく
ほかにないワークショップにしよう、
ごはんが大好きな矢野さんが
冬のおいしさいっぱいの気仙沼に行くのだから
みんなで海の幸山の幸を堪能しよう、
などという方針が
すこしずつ固まっていきました。
そのようすは、対談としてお読みいただけます。

ワークショップをきっかけに
みなさんに気仙沼へ足を運んでいただくこと。
そして、震災からの復興を遂げようとしている場所の
活気や変化、表情を感じていただくことになればうれしい。
そういう考えで、これら一連のワークショップやイベントを
「気仙沼においでよワークショップ」
という名前で呼ぶことにしました。
そして、矢野顕子さんのワークショップは
糸井重里により、
「気仙沼においでよ。
 矢野顕子の音楽の稽古場」
と名づけられました。

地元の方、遠方からやってくる方、
演者の方、スタッフのみんなそれぞれが
このときのこの場所でしか起こり得ない
交流や発見を手に、
それぞれの持ち場へ帰り、
新しい一日をはじめていくことができればうれしいです。

12月16日、気仙沼でお会いしましょう。






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