千体のお気楽な骸骨たち。 田中靖夫さんの手が産み出した天然。 |
第7回 大きいカメラ この紙には5000名の人間が描いてあります。 阪神大震災の頃に田中さんがつくったそうだ。 「亡くなった5000人を実際に描くと、 想像していたよりも多かった。 たいへんな数ですね、これは」 ガイコツでも人間でも「量を多く描くもの」は、 慣れてくると自動的に描いていけるようになるそうです。 そのあとがこの手の作業の「きも」なのだ。 無意識でもかけるというその地点から、 田中さんは意識をずらしながら描くんだって。 意識をずらすとは何なのかをきいてみると、 「例えば、『ガイコツの足を右に伸ばそう』 と思いながら左にむけてその足を描きこんだり。 自分の指で描くことと頭で思うこととを 別のようにしながら描いたりして。 途中で自分の意識が描いた絵を 追うような感覚にもなります。 勝手に自分以外の何かが絵を描いていて、 それを1秒とかあとで自分の意識が追う。 誰かが絵を描くのを見ているようにするんです。 無意識を追っていく、これは怖いよ」 なるほど。自分の名前を何度も何度も書いてると そのうちに自分の名前じゃなく感じるのに似てるかな? そんじゃあ、田中さんの談話のつづきをどーぞ。 ----動機は変わってきています? 変わってきていると思います。特に広告では 「この業界ではやってませんよね?」 「このイメージを持ちながら新しい絵柄で」 と頼まれる場合が多いですから。 ぼくの仕事というのはアイデアというか、 おんなじ絵を描くやりかたではないですね。 飽きもあって、今までどーんと使ってくれたひとが ある日突然ぼくを使ってくれなくなってしまったり、 ほとんどラーメン屋とかと一緒。「もういいや」って。 いくら新しいと思っていても、5年も経てば古くなる。 そのままでいるとこちらもぱたと止まってしまうから、 画風変えたり方法の引出しをたくさんつくるんだけど。 ぼくの場合は最初に工業デザインをやるときに 模型つくったり紙粘土や針金を使ったりしていたから、 イラストの業界に移ってもそれを利用してました。 あと写真を使うのも興味があった……そう考えると、 動機を持って「これをやりたい」というよりはむしろ、 材料が先に立っていたかもしれないなあと思います。 ボールペンで描く途中で紙粘土や針金を使ってみて、 その材料をこねているうちにスタートになるというか。 材料は何かをやるために使っていたはずだけど、 「あ、この材料をこう使えばおもしろいかもしれない」 「こうやったほうが自分にとっては正解じゃないかな」 とか思うんです。 これはこないだキューバに行ったときの写真です。 これ、記念写真屋なの。フィルムもシャッターも 何にもなくて、印画紙に焼きつけるだけです。 印画紙に焼き付けたものは白黒逆だから、 その焼きつけたものをもう一度写すんです。 で、これがネガとポジ(↓)。 なんかこれ、いいよね。 一本とられたあって思った。 フィルムなくても写真は撮れるし、その場で現像。 撮られているこちら側の気分はおおがかりなんだよ。 カメラも大きいからわくわくするんです。 ぼくたちってデジタルカメラを持ってて、 何でもできちゃうじゃない? 何かどっちが正しいかなあ、みたいに思った。 車もこんなに(↓)ぼろぼろになりながら乗ってるし。 日本とかアメリカって古いものを捨てる文化というか、 この「大きいカメラ」みたいな感覚を忘れてるじゃない? 俺も東京に出てきたわけだけど、それもそこで 古いものを捨てたというか、古いものを切るというか。 自動車のデザインでも新しいのがいいかというと、 これが決してよくないんですね。 (注:田中さんは以前、自動車のデザインをやってた) ものをつくる立場にいる人間が、 あまりにも若いうちに、そのときだけつくっちゃう。 逆に言えば若いひとにチャンスのある時代なのですが、 いろいろわかって一番おもしろいものを作れるのは 45歳より上くらいじゃないかな?ぼくはそう思います。 自信を持てるし。でもふつうその年齢になると できるやつはデスクワークにまわされちゃいますよね。 (つづく) |
2000-02-22-TUE
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