POMPEII
千体のお気楽な骸骨たち。
田中靖夫さんの手が産み出した天然。

第9回 社会人の時には

前回からつづきのインタビューです。
骸骨狂いのおっさんかと思いきや、
社会人的なトークから水をむけていくよん。
田中さんにとって会社生活はどういうものだったか?
社会派篇なのだ。さて、どうぞ。



----会社をやめたのは、若いひとの
   指導側にまわるのがいやだからですか。

指導というより、管理職になってくるでしょ?
そうすると直接図面をひいたり模型をつくったりしちゃ
いけないんだよね。現場からあがらければならない。

----それよりは描いていたかった。

「今月は残業しちゃいけない」と
言われなければならないようなのもあって。
トヨタの子会社だから例えば会社が不景気になると、
そういうのばかりがしょっちゅうありました。
かといってそういうのをうまく言えないほうだから、
これはだめかなって。もうもたないなって気がした。

会社では、自分のやってることに
全く関係ない会議って、けっこう多いの。
いさえすればいい、いなきゃだめっていう。
車の会議なんかでも、本当は自分に関係のない
レイアウトとか製産台数のこととか売上のこととか。
延々とあって。関係のない項目ってすごくあって、
それでも出てなくちゃいけないというか。
そういう会議があるから、そういうときって、
もう開き直って絵を描いてるわけ。



そしたら「あいつは変なやつだー」
とか思われて。そういう無駄な、
何にも仕事のない時間とか、
仕事はあるんだけどそれは無駄なことだったりとか、
小さな出版社とかだとそういうのはないだろうけど、
大企業だとそういうのがね。
定例会議っていうのがあるんですよ、
思い出したんですけど。
意味もなく定例なわけですよ。定例会議には
全員集まらなくちゃいけないわけです。午前中一杯。
そこで時間つぶれてお金になればいいかもしれないけど
それが苦痛になると嫌ですよね。防衛庁のところで
門の前で立っているひとがいるけどあれは苦痛だね。
あれはできないね。仕事って、いろいろある・・・。

自動車のエンジンの開発なんて
むつかしいと言うかすごくしのぎをけずるから、
アイデアが出るか出ないかとか、それですごく
精神的におかしくなるやつが多いんだよね。技術者は。
すごく多いよ。ノイローゼになって自殺するやつとか。
結局、上のほうから言われるわけでしょ? 
「考えを出せ」とか。いい考えというよりも、
結局排気ガス規制とかいろいろ、国がやれっていう
それをクリアするものを出せっていわれている。
でもそれ、能力がなければさあ、むつかしい。

1台の車の開発プロジェクトのなかで
1番偉い、主査ってのがひとりいるんです。
ぼくの関わったプロジェクトのなかのひとつでは
その主査がスーパーマンだった。ぜんぶわかってるの。
会議のときでもいろんなひとが
わーっと報告しているのを、ぜんぶわかっている。
主査の脇にいる製品企画室のスタッフというのは
優秀なやつで、それこそ工学部のトップクラスが、
がーっといてやるんだけど、主査っていうのは
そういうのをぜんぶわかってて、
その主査の魅力でチームがわーっと動くの。
ほんとうに優秀な10人がいっせいにしゃべっても
ぜんぶわかるようなタフなそういう主査がいたの。
例えば欠陥車で裁判になるじゃない?アメリカとかで。
賠償金何億とかいうそういうときに、
そのひとはひとりで被告席に立つんだよ。
あれは強い。アグレッシブ。
結局、企業が裁判に立つんじゃなくて、開発の主査。
まあ、金は会社がはらうんですけどさあ。
そういうタフなやつもいるから、
普通のやつもいっぱいいるんですね。
まあだいたいふつうだと思いますけど。



----個人的に見てて会社に来なくなるひとと
  そうじゃないひととの境目とかって?

ひとつは体質だろうね。
やっぱり考え込みやすいひととか、
あとはわいわいしてストレスを解消しやすいか、とか。
小学校でいじめられやすいやつ、そうじゃないやつ、
ほんのちょっとした差でそういうの出ちゃうじゃない?

ただ、普通のやつが企業のなかにはいってくると、
いじめられやすいひとを見ていじめちゃうんだよね。
俺なんか最後のほうは
いじめるほうにかたむいてきちゃって、
会議でこのデザインをこういうしかけでやってみたい、
と言うと、設計の連中がそれをしなくちゃいけない。
しかも短い時間で。そうするとうえのほうが
「やんなさい。そんな簡単なこと何日かかってるんだ」
そんないじめになっちゃう。そうすると、
開発できないやつは、ある日突然会社にこなくなる。
ずっーと休んじゃったりするんです。
気がつかないうちにいじめるほうにまわっちゃう。

そういうときって、どうしてあげようとかいうよりも、
いやーな感じというか、ただただずきーんとしちゃう。
こちらがいじめてる側だから。
いつあいつをやりこめるかとか、
会議でそういうのがはまっちゃうときもあるわけです。
がちっとうまくいって。何人もいたりするとね。
ものを実際につくっているときは
ものと自分だけの関係だからすごくシンプルなんだけど
人間の関係になると・・・。

----管理する側だから。

そうなんです。で、トヨタの子会社だから、
トヨタからはいじめられるわけです、当然。
プライドでいじめられちゃうわけ。だから、
「あ、こいつはだめだな」と思ったいうか。
でも、まあ管理職に向いてなかったんだね。

----やめるときには自信がありました?

やめるっていってから1年間会社にいたんだよね。
「じゃあわかった、1年後にやめてくれ」と言われた。
ちょっといろいろあってそういうことが多いらしくて。
その1年間に、グラフィックデザイナーのひとに
ぼくの描いた絵を見てもらったりしていて、
それで会社やめるまえにはレギュラーの仕事を
少しもらってやっているようになっていました。
そのときにグラフィックデザイナーのひとに
見せにいったときも、やっぱり、
それまで描いた膨大な絵があったわけ。
それを車輪のついた容れものに入れてひいていった。
もう何しろデザイナーに電話をかけまくって、
絵を見せにいきました。それですぐに仕事が来ました。



そのときはやっぱり量のインパクトだったと思う。
ちょうど時期的にも、今と違ってデザインが
ポパイとかブルータスとかのいろいろな雑誌で
出はじめた頃でしたし、イラストレーションも
いろいろなかたちでつかわれるようになった、
そういうときだったから。ちょうど。
会社にいたときにずっと描いていたものが
膨大にあったから、それを一気に見せたね。
ちょうどいろいろなところで
新しいひとを探しているときにぶちあたったから。

----デザイナーに見せるというのはどうやって?

名簿を見ながらとにかくうえからどどどどって。
全然会ってくれないというか
興味を持ってくれないひともいて。

----それは何歳頃のことですか。

40歳過ぎてからです。

(つづく)

2000-03-04-SAT

BACK
戻る