横尾 |
ぼくの中では、
インターネットって
まだ完全に未知なものだから、おもしろいね。
ほかの人がもう既に発見したり、
実践したりしてるかもしれないけれども、
自分にとっての「未知」っていうのが
生まれてくるのは、いいね。
ほかの人がたとえやっていたとしても、
自分にとっては未知なわけだから。 |
糸井 |
はじめて富士山に登った、
みたいなものですよね。
もともと、横尾さんが
未知な世界をきりひらいてきたことに
ぼくも影響されて仕事をしているわけで・・・。
横尾さんみたいな人にとって、
インターネットという媒体は、
おもしろいんじゃないかと思います。
横尾さんがちょうど世の中に出てきた時に
ぼくはまだ小さい子どもだったけれど、
「そんなの絵にしちゃって、いいの?」
みたいなショックがあったんですよ。
それで、最初は「イヤだな」と思った。
その「イヤだな」が魅力だったわけです。 |
横尾 |
それはたぶん、ぼくに、
ほかの人がどう言うかは知らないけど、
自分はこれだ、というものが
しっかりあったからだと思うんです。
いまは、自分がこうだ、と言っても
「俺もそう」「わたしもそっちです」
みたいな人がたくさんいるからさぁ。 |
糸井 |
あ、そうだ。
横尾さん、いま、自分のみのまわりに
起こったことをいっぱい書いていますよね。
あれで原稿料になったり
本になったりするものをぜんぶ足しても
そんなに大きな金額にならないと思うんですよ。 |
横尾 |
日記書いたって、あんまり売れないよね。 |
糸井 |
それを「タダでいいや」ってことで、
自分のページにいくらでも書いていくなら、
自分がすごく解放されますよ。
「毎回400字を2枚書くぞ」
ということならツラいけど、
ネットで書く日記なら、
時には膨大であってもいいし、
時には1行でもいい。
そういう自由さが、
「自分のメディア」ですから。 |
横尾 |
自分自身にしたがうというなら、
妙な取引がないから、
自分に忠実になっていくだろうね。
自分と取引をすればいいんだから。 |
糸井 |
たとえば、本にしたって、
ほんとうは、分量を決めるのは
自分たちでいいはずなんだよね。
本の厚さって、割と決まっているけど、
でもだいたい、いいところって、
3行くらいだと思うんですよ。 |
横尾 |
そんなもんだよね、正直に言うと(笑)。 |
糸井 |
(笑)ですよね?
だったら、3行の本を出しても
いいんじゃないかと思うんですよ。
買う人がいて、
売る人がいるんだったら、
たった3行の本でも
出しちゃっていいんだと思うんです。
どこかの枠にあわせるんじゃなくて、
価値を自分で決めて、わかってくれる人が
その価値を認めて買う、というか。 |
横尾 |
売れるか売れないかを度外視すれば、
それで、いいわけだからね。 |
糸井 |
今度、そういう考えで、
「ほぼ日ブックス」っていうのを
立ち上げようとしてるんです。
おもしろければいいという本のシリーズ。 |
横尾 |
そうなんだね。
ただ、売れなくなったらコワイよねぇ。
ネット発で売るつもりが、
売れないからって言って
どこかを駆けずりまわるようになったら、
何をしてるんだか、
わかんなくなっちゃうじゃない。
それって、コワイよ。 |
糸井 |
でも、ぼくはもう、
そういうこともやってしまっても
おもしろいと思うんです。
そこでまた、未知の世界と触れますから。 |
横尾 |
糸井くんみたいに、
切り換えて考えられる人は、幸せだよね。
大部分の人は、
「それもおもしろい」
というようには、考えられないもの。 |
糸井 |
失敗してから、
「・・・じゃあ、どうする?」
っていうのが、好きなんです。
いや、もちろん、失敗しないように
ちゃんと考えますけれども。 |
横尾 |
でも、失敗するときはするんでしょ? |
糸井 |
しますします、それは。
イチローだって、
スランプの時期があるぐらいですから。 |
横尾 |
そんなこと言うと、
絵なんて、1枚の絵のなかで、
いくどとない失敗に出会うんだよ。
・・・で、もう
「この絵を描くのやめようかなぁ」
とまで思う。
だけど書きつくすんです。
つまり、最初のプランを変えちゃうわけ。
最初は「極彩色の絵を描こう」って
決めて取りかかったんだけど、
やってくうちに色が混ざって
グチャグチャになっちゃって、その結果、
この絵はモノクロの絵に切りかえてしまおう、
とかって、なっちゃうの。
・・・それは、失敗なんだけどね。 |
糸井 |
へえー。 |
横尾 |
1枚の絵に、2、3回は
失敗が襲ってくるね。
失敗と「出会う」って感じかな。 |
糸井 |
その時、横尾さんは、めげないわけでしょう?
すごいわ。 |
横尾 |
そういう時は、その絵に対して
自分がどう距離が取れるかですよね。
その絵に対して「何が何でも」っていう
執着があると負けるけれども、そこで
スタンスを変えられるかどうかというのは、
非常にスリリングだね。
そのギアチェンジが
すごくうまくいった時には
「やった」って思えるし、
そういう風に切りかえられる失敗なら、
大歓迎だよ、という風になっちゃうんだよ。
そういうことをくりかえすうちに
覚悟ができるんです。
つまり、
いつも失敗に出会うのなら、最終的には
完成図が見えないってことになるでしょう?
そうわかると、ぼくなんかは、もう逆に、
「見えちゃってるものはおもしろくないな」
っていう感じになるんです。
見えているものを描いちゃうと、
どんどん職人的に描くだけになっちゃうから。 |
糸井 |
職人さんの手仕事に狂いがないみたいに、
「間違いがないように」
っていう姿勢で絵を描いちゃうんだ。
なるほど・・・。
「失敗に出会う」って、いいですねえ。
|