三谷龍二さんのあたらしい場所。[10cm日記]
 

9月16日
手洗いの窓
手洗いには松葉のような意匠の、
丁寧な仕事の窓がはめられていました。
 
実は10センチの店側には手洗いがなかったため、
スペースを奥に広げて、
大家さんの母屋にある使っていない手洗いを
お借りすることになりました。
その母屋の方はたいへん作りが凝っていて、
ドアは杉の広い板材を使い、
窓の意匠もご覧のように手がかかっていました。
 
実ははじめ手洗いは、
現状のまま使わせていただくつもりだったのですが、
周りを直していくにつれ古いところが目立ってしまい、
特に水回りは清潔であって欲しいところですから、
どうしても気になってきて、
手を入れることになりました。
 
ただ、この窓だけは
松葉のデザインが実にきれいだったので、
窓の意匠だけ切り取るように残すようにしました。
 
今の家は、既製品をできるだけ使うような
考えになっています。
効率の悪いこと、手間暇のかかることは
できるだけしないように、となりましたから、
この窓のような丁寧な仕事は、
ほとんどみることができなくなりました。
昔はちょっと余裕があれば
こうしたところに贅沢をする、
ということが普通にあったようです。
それが、他にお金の使うところが
多くなったからでしょうか、
今はそれが無くなりました。
普請する側がそうゆう風に変わると、
当然請け負う側の職人も、
そうした手間のかかる仕事がこない訳ですから、
腕利きの人も自然になくなることになります。
もちろん、今の暮らしで
松葉とかの意匠が必要かと言われれば、
そうではないと思います。
このまま松葉の意匠が残るとは思いませんが、
技術は収まりやディテールなど、
別のかたちで残っていければ、と思いました。
 
戦後、家づくりが変化したのには、
客間を使用することが減ったことも
上げられるように思います。
手洗いなどに凝るというのは、
客間との繋がりで、
お客が利用することを考えてのことだろうと思います。
でも今は家にお客を迎えること自体が減りましたし、
人々の付き合い方が形式張らないで
どんどんフランクになってきたので、
あらたまったかたちで人をお迎えするということ自体が
減ったからだろうと思います。
 
でも、家を手直ししていると、
50〜60年ほどの時間がいつも目に入ってきて、
この時間の経過の中でも、
随分家も人のつきあい方も変わってきたのだな、
と思いました。
▲今日はこの辺りのお祭りの日です。
町内の方が来て、張り紙をして下さいました。
このあたりは「今町」という区域で、
しばらくしたら10センチも、
今町亘理神社の氏子になるのでしょう。

2010-10-27-WED

つぎへ
このコンテンツのトップへ
つぎへ