ノリスケ |
ヨーロッパはどうなの?
アメリカといっしょ?
たとえばゲイの状況って。 |
ジョージ |
ヨーロッパは、ものすごく先進的だよ。 |
ノリスケ |
あ、そう! |
ジョージ |
うん。ただ、ヨーロッパの中でも、
ラテン濃度が強くなればなるほど‥‥。 |
ノリスケ |
マチスモになってくの? |
ジョージ |
うん。ゲイが迫害される傾向はある。 |
ノリスケ |
はぁー。 |
つねさん |
へぇ。 |
ジョージ |
うん、だけど、あの、
ゲルマン系っていうのは基本的に、
自分と同じ部分は認めあって
高めあうっていう
芸術を持っているんで。 |
ノリスケ |
はぁー。そっか、
それのいちばん最たるものが
オランダだから、
清教徒が海を渡って作った国だから、
あそこは自由ですよね。 |
ジョージ |
そう。自由なんだよね。
逆に、たとえば、音楽にしても、
イタリアを代表する
プッチーニだとかのオペラっていうのは、
男は女を愛するものであって、
女は男のために死ぬものなんだよね。
異なるもの同士が、それぞれ役割分担を、
完璧にこなすということが芸術であって、
完璧にこなしている姿を、
神様に見てもらうんだよ。 |
ノリスケ |
ああ。 |
ジョージ |
だから、必ず第三者がどっかにいるの。
で、第三者に認めてもらうための
自分の役割を作り上げるのであって、
たとえば、僕の前に女性が
いるとするでしょ?
で、僕は、彼女を愛することを、
神様に見てもらって
褒めてもらうんだよ。 |
つねさん |
へぇー、面白いね。 |
ノリスケ |
はぁー。 |
ジョージ |
うん、これがラテンの感覚なんだよね。
だから彼らは、
必ずこういうふうにして
(手を組んで天を仰いで)
お祈りをするの。 |
つねさん |
うん。 |
ジョージ |
だけど、ゲルマンのほうになってくと、
どんどんどんどん目線が降りてきて。
愛したことを、愛した相手から
褒めてもらえれば
それで良いことになってくるんだよ。 |
つねさん |
ふーん。 |
ジョージ |
で、これがもっともっと
濃密になっていって、
あの、とってもストイックな
ワグネリアンとかの世界、
あの、ドイツの、ドドーン!
みたいなところになっていくと、
その人を愛し切った自分が
自分を褒めればいい世界になるの。 |
ノリスケ |
あぁ、それはまたそれで。 |
ジョージ |
自己愛の世界になって。
そうするとハイデルベルグ的な、
哲学の世界になっていって、
みんな死んでいくの‥‥。 |
ノリスケ |
哲学者、多いですね、
哲学者のゲイ、多いんですよね。 |
ジョージ |
だって自己愛がないと、
ぜったい哲学になんか生きないもん。
堂々めぐりでしょ?
でも、ヨーロッパはアメリカよりは
ずっと、多様であることを認めるよね。 |
つねさん |
はぁ‥‥。 |
ジョージ |
多様であることも認めるし、
異質であることに、
無防備に憧れをもったりとかするよね。
自分と異なっているものを持った人?
あの、それこそ19世紀の終わりの頃の
中国趣味であるとか
東洋趣味であるとかっていうの。 |
ノリスケ |
シノワズリーだよね。 |
ジョージ |
そう。で、ああいうのは、
永遠にアメリカにやってこないからね。 |
ノリスケ |
そうですね。あの、
マイセンなんかの古いのって、
見に行くと‥‥。 |
ジョージ |
伊万里だからね。 |
ノリスケ |
そうなんですよ。 |
つねさん |
へぇー、そうなんだ。 |
ノリスケ |
ジャパネスクとか、すごい濃厚に。
あと、当然、中国の模様とか、
藍とか、すごいですよね。 |
ジョージ |
うん、そう。面白いのが、
20世紀初頭のフランス人って、
野蛮であることに憧れたんだよ。 |
ノリスケ |
ふふふふ。 |
つねさん |
へぇー。それは自分たちにないから? |
ジョージ |
ないから。自分たちにないから。
ええとね、クリスチャン・ディオールの
オーデコロンで、男性用の、
オー・ソバージュっていうのがあるんだよ、
今でもあるの。
ソバージュって「野蛮」でしょ?
野蛮な水っていう名前で、
当時、ヨーロッパ人が
アフリカ大陸を再発見して、
黒人のね、なめし皮のような肌。
で、一晩中寝ないで踊って、
疲れないあの肉体。
それから、腰みのひとつで、
財産も何にも持たず、
家すらも持たないで、
幸せそうに生活をしているあの姿を見て、
感動したんだよ。
で、自分たちは文明を
これだけ作り上げて、
幸せになったつもりになっていたけれども、
そんなことはない。
野蛮であるということは
素晴らしいことだな、っていうんで、
自然に還れ運動?
ル・トゥルネ・ア・ラ・ナチュール
っていうんですか、が始まったんだよ。
んで、ゴーギャンはタヒチに行くし。 |
ノリスケ |
ピカソもアフリカ芸術よね。
あれ、マティスが
ピカソに見せたんだよね。
アフリカの彫刻を見せて、
凄いぞ! ピカソ、みたいな。 |
つねさん |
そうなんだ。ガチョーン! みたいな。 |
ノリスケ |
ガチョーン! なんだよ。
で、キュビズムが生まれたんですよ。 |
つねさん |
あー、そうなんだ。
言われてみれば似てるもんね。 |
ノリスケ |
そうなんですよ。
「アビニョンの娘たち」っていう
娼婦たちを描いた絵があって、
女の人たち裸で立ってるのあるでしょ?
あれ、アフリカのお面の顔なんです。
で、あれを取り入れたことで、
近代美術観が変わったのよ。
その前はフォビズムで
その前は印象派ですけど、
キリスト教を伝えることが
美術の第一義だったものが
感覚に行き、造形に進むの。
肉体的な造形のほうに
どんどんどんどんいって。
それからダダとかシュールレアリスムの
精神的なほうにいくんだけど(笑)。
近代美術を変えたのは「野蛮さ」なの。 |
ジョージ |
印象派っていうのは、
その、見るわけよね。
距離をおいて見ることによって、
見たまま全てを、
感覚的に描くことが印象派なんだけど、
まあ、アフリカに行くと、
そんな自然なんて、
見てらんないんだよ。
自然の中において、
生きるか死ぬかのときには、
たとえば目の前の葉っぱ1枚だけが
ものすごく大きく見えたり?
で、真っ暗な中に、
ライオンの目だけがものすごく
大きく輝いてたりとかして見えるのが、
もっとも人間の本能に近い部分で
自然を見ていることだから。
で、凄いね、
っていうことになったわけさ。 |
ノリスケ |
情報量に差があるわけですよね。 |
ジョージ |
そうそうそうそう。 |
ノリスケ |
その、訴えるものに。
動物の、夜中見るライオンの目のほうが、
いちばん情報量があるわけだから。
自分を食うかもしれないんだから(笑)。 |
ジョージ |
そうだよね。で、そういうときに、
ひとり取り残されたのが
イギリス人だったの。 |
ノリスケ |
島だから(笑)。 |
ジョージ |
それと、イギリス人って、
やっぱりどっかで偏屈なところがあって。
自分たちよりも文明的に遅れている人は、
遅れた人間って思うんだもん。
だから、彼らにスカートを着せて、
彼らにネクタイを締めさせて、
英語を喋らせれば、
彼らは豊かになるって思ったんだよね。
だけど、フランス人は、
ある意味、なんかすごい
嫌な部分もあるんだけど、
あるがままの人間がそれで幸せならば、
その状態をずっと保たせてあげたほうが
いいじゃないか、っていうふうに、
思ったりもしたの。
ま、これは、どっちがどっち、
って話だけどね。 |
ノリスケ |
そうなのよ。
中南米を旅行すると、
そこらへんにすごく
行き当たってしまってね(笑)。 |
ジョージ |
そうだね。 |
ノリスケ |
わっかんなくなるんだよね。
つまり、南米っていうのは
ポルトガルとスペインの移民ですよね。
それが、なんだろう?
家畜と性病と強い精力を持って(笑)、
交配を繰り返しながら、
男を殺し、金銀財宝をふんだくり、
王国を滅亡させながら
進んでいくっていうのを
繰り返して今があるんだよね。
で、カリブ海の島々も、
それぞれ、ここはオランダ、
ここはイギリス、
ここはフランスっていう、
当時のヨーロッパの列強の
支配下にあった島があって。
それの名残が今のカリブ海文化で。
それがまたね、僕らの目には
きれいなんだよね、実は(笑)。
コロニアル文化って、なんだか切なくて、
光があるぶん、影が濃くて。 |
ジョージ |
きれいなんだけどね、野蛮なままなの。 |
つねさん |
そうなんだ。 |
ジョージ |
うん、野蛮なままだよ。 |
ノリスケ |
15、16世紀の白人支配の
歴史の遺産なんだよね。
これはね、不思議な感じがするよ。
で、いまはアメリカの金持ちが
わが物顔でリゾートで
遊んでるのを見ると
日本人がここで遊ぶわけに
いかないぞ、って。 |
ジョージ |
いかないよ。 |
ノリスケ |
なんか、そう、肌で感じてしまうの。
楽しめない自分がいたわ。
インテリアとか、そういうところは
とっても綺麗だけどね‥‥。 |
ジョージ |
そうだね。でもね、そんなの
いろんなところにあるよ、
なんか。ハワイに行って、
ポリネシアンショーを見ると、
ハワイの王国の興亡を知ってるだけに
一抹の、なんか、悲しさを感じたりね。 |
ノリスケ |
「アロハオエ」が
そういう歌だものね。 |
つねさん |
へぇー。 |