APPLE
新宿二丁目のほがらかな人々。
おねぇ言葉や裏声とかで語る別角度批評。

雑誌の話をしましょ。その1
「POPEYE」創刊のころ、あたしたちは。

ノリスケ 「Hot-Dog PRESS」が休刊ですって。
つねさん んー。「POPEYE」と区別つかないでちゅ。
ノリスケ ちがうのよ! ちがったのよ! ぜんぜん。
つねさん なんか、「女性自身」と
「女性セブン」みたいな感じ?
なんか、ま、名前ちがうけど、
中身いっしょかな、みたいな。
ノリスケ 「POPEYE」が創刊されたときね‥‥って、
こんなこというの年寄りくさいけど、
そう、あれは、特別な出来事だったのよ。
平凡出版から「POPEYE」っていう、
こころざしの高い雑誌が生まれたのは。
そしたら講談社が、
それをそのまま真似したのが
「Hot-Dog PRESS」だったの。
判型から何から。ぜんぶ同じだった。
子供心に、ほんとにオトナって嫌だなって
思ったよ、あれ(笑)。
なんてことするんだろうと思って。
ジョージ 「POPEYE」は田舎の子だった僕たちに
“初めて”をいっぱい教えてくれた雑誌よ。
ノリスケ ほんとにそうだった。
ジョージ IZODを教えてたし、
ラルフローレンを教えてくれたし、
並行輸入しかなかった時代に、
ブルックスブラザーズを教えてくれて。
ノリスケ 「POPEYE」の創刊はたしか77年だから
ブルックスブラザーズが日本上陸するより
前だものね。
そうそう、ダウンジャケットを
街で着ることを教えてくれたのも
「POPEYE」だわ。
ジョージ そう。で、しかも、
ネルシャツは、チノパンの外へ
出して着るのよ、っていう。
ノリスケ 「のよ」とは言ってないけどね(笑)。
ジョージ ありゃ? そうだわ。
つねさん 「街で着る!」
みたいな提案のしかただよね。
ジョージ そう、提案があったりして。
でね、あのね、どういうのかな、
そこはかとないゲイテイストなんだよね。
ノリスケ そうそうそう!!!
やっぱりそう思ってた?!?!
あのね、じつはね、創刊から何年かの
「POPEYE」って、今でもある
“ポップアイ”ってコラムのページに、
西海岸のゲイカルチャーのニュースが
ヒュッて出てくることがあったの。
ジョージ そう!
つねさん あった、あった!
ノリスケ マーロン・ブランドが男に×××××してる
写真が出てきたよ、とかね。
つねさん あ! 見た、見た。
ぼく、その記事読んで
ドキドキした憶えがある。
ノリスケ そうでしょう?
そういうニュースが何号かに1度、
必ずあって。そのことに対して
読者から抗議がきたのまで載せてたの。
つねさん あ、そうなんだ。
ノリスケ うん、「POPEYE」は
ホモ雑誌になったのか?
不愉快だ、って抗議がきましたっていう
読者の投書まで出してたの。
ジョージ でね、あれはね、
世の中の最先端をかじるためには、
ゲイカルチャーを避けて通れないっていう
居直りがあったんだよね。
ノリスケ 当時の編集長の木滑さんが、
それをよくわかってたんだと思う。
ジョージ じゃあ、ゲイカルチャーだけを
大切にしたかっていうと、
そうじゃなくって、
ありとあらゆるサブカルチャーを
大切にしたんでしょうね。
ノリスケ してた、してた。
ジョージ だから、ジャンキーの話も
あったりとかしたし、
レズビアンをいちばん最初に
まっとうに扱ったのも
そうだったし。なんかね、
フリークな雑誌だったよね。
ノリスケ だけど、バランスが良かったの。
でも、ジャズは僕たちには早いよね、
みたいな、境界線がね、
ハッキリしてたの。
ジョージ 「ここまではぼくら。ここからは別」
っていう、突き放し方があったよね。
ノリスケ うん。
つねさん 線引いて。
ノリスケ 当然、クラシックなんか聞かないし(笑)。
なんかね、「POPEYE」がマニュアル化を
引っ張ったみたいにいわれるのがね、
すごく不本意なのは、
ほんとに、いい雑誌だったんだから。
ジョージ 「Hot-Dog PRESS」のほうが
マニュアル雑誌だった。
ノリスケ そう。
ジョージ だって、「Hot-Dog PRESS」の特集は
たとえばファッションなら、
着こなし方っていうのが中心になっていて
本質を語ることはなかったの。
だけど「POPEYE」のほうは、
本物っていうのは危険なんだよ、って。
熱いんだよ、こわいんだよ、って。
で、本物を、一定の距離をおいて
眺めてるくらいが、
ふつうの人にはしあわせなんだろうけど、
でも、ほんとうに人生を楽しみたかったら、
飛び越えておいで、って。
飛び越えてくると、ちがうものがあるけど、
でも、いったん飛び越えたら、
絶対もとへ戻れないんだよ、
っていうメッセージがずーっとあったもん。
ノリスケ うん。あった。
ジョージ それを、たとえば、
ゲイの立場で飛び越えた人は、
ニューヨークに行ったりしたんだよ。
で、サブカルの世界でもって
飛び越えた人っていうのは‥‥。
ノリスケ 西海岸へ(笑)。
ジョージ そう、西海岸へ行ったんだよね。
ノリスケ そういうふうに引っ張る雑誌だったよ。
あの、先輩から後輩へ、みたいな気持ちが
すごく強くあった。ちゃんと教えようって。
その前は伊丹十三さんぐらいしか
いなかったから(笑)。
そういうふうに世界を
引っ張ろうとした人って。
あ、植草甚一さんもそうか。
ジョージ あー、そうだね。
ノリスケ 「Wonderland」のちの「宝島」。
うん。細かくはね、いるんだけどね。
片岡義男さんとか、コラムを書く人たちは、
点ではいたんだけど、そんなふうにして
巨大な面積で出した雑誌は、
「POPEYE」が最初だった。
ジョージ で、「POPEYE」はね、最初の1年くらい、
ものすごくゲリラだったんだけど、
これでいけるっていう確信を
持ったとたんに、
それまでの日本のいろんな現象、
トレンドで終わってしまいつつあった
現象を、ぜんぶ取り返して
再現したんだよね。
それもかっこよかった。
ノリスケ うん。
ジョージ あの中でいちばん好きだった特集が、
「VANが先生だった」。
ノリスケ あった! それ見て
ボタンダウンシャツ買った!
ジョージ そう、その特集、ちゃんとみゆき族から
再検証していくのよ。
ノリスケ だから、あなたが今、
好きかもしれないこれには、
こんな意味と歴史があるんだよってことを、
ちゃんと教えてくれたんだよ。
ジョージ そう。で、しかも、
みゆき族の歴史よりも、
じつはラルフローレンの歴史のほうが
短いんだよね。
ノリスケ ははははは。なるほどね。
ラルフローレンって、だって、
デザイナーさんだからね、現役の。
ジョージ そう。だから、なんか、ほんとうは、
あれは本物じゃないんだよ。
で、じつは本物っていうのは、
J・PRESSだったり、
ブルックスブラザーズであって、
ラコステがどうなって、
IZODがどうなって、っていう、
どんどんどんどん深みに、
なんか引きずり込んでいくようなね。
ノリスケ うん、うん、うん。
ジョージ で、知識は知識だけじゃなくって、
現象に繋がっていく。
で、知識を知らない現象だけを
見てる人っていうのは、
ほんとは、なんか、
しあわせじゃないんだよ、みたいなことを、
教えてくれたよね。
ノリスケ うん。
ジョージ で、それ考えると、
やっぱ今のほとんどの
ファッション雑誌っていうのは、
現象だけだもん。
ノリスケ そうなんだよね〜。
つねさん トピックスだけだよね。
ジョージ 新商品情報なんだよ。
つねさん わかる。
ノリスケ そう。カタログのまんま。
つねさん どこ向いても同じようなものが
載ってるしね。

この話、だんだんとんでもない方向に向かいます。
ふふふ。お楽しみに。
つづきます!

ジョージさん、つねさん、ノリスケさんへの激励や感想などは、
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2004-11-16-TUE

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