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第2回
自分の中の男と女 |
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糸井 |
ジョージさんは、
男とか女というものをどう見てるんですか。 |
ジョージ |
僕には、男の人の羨ましい部分と
イヤだなと思う部分が
ものすごくよく見えるんです。
男を見る時は
自分の男の部分を棚上げして女的に見るし、
女を見る時には
女の部分を棚上げして
男的に見るからかもしれない。 |
南 |
男のいやなところって? |
ジョージ |
かたくなで短絡的で単純で、
自分の意見を相手に伝えることが最優先で、
伝わったかどうかを確認しない傲慢なところ。
それから、ものすごくうぬぼれがあって、
自尊心が強くて……。 |
南 |
それ、ヤだよね、普通。(笑) |
糸井 |
でも全部、一般的には
男らしさと表現されてることだね。
「負けたら大変」っていう
恐怖の裏返しでもあるけど。 |
ジョージ |
そう、価値の基準が外にあって、
自分の中にはない。
それはいやなところだけど、
同時に男の羨ましい部分でもあってね。
僕にはないもの。
「まわりは大変だけど、幸せだろうな」
って思う。
じゃあ女はどうかって言うと、
責任という言葉を知らないで生きていて、
あなたまかせと言いながら、
最終的な決定権は
自分がもたないと気がすまない。
そして、物差しは自分の中にあって、
外にはない。 |
糸井 |
両方わかってると、便利でしょう。 |
ジョージ |
いやあ、それがプラスに働く時と
マイナスに働く時があって。
僕は自分をほめる時、
「うん、今のは男らしくてよかったぞ」、
あるいは
「あ、これは女っぽくってよかった」
って思うんですよ。
たとえば慰めるなんて行為は、
女にしかできないじゃないですか。
男は勇気づけるけど、慰めない。
で、上手に人を慰めた時は
「ああ、いい女だった」って自分をほめるし、
「行け!」ってみんなを奮い立たせた時は
「今日はいい男だった」と思うけど、
男ヒステリーと女ヒステリーが
一緒にやってきたような、
いやーな自分が出てしまうこともあります。 |
南 |
今、ものすごく自然に
「女っぽくってよかった」って言ったでしょ。
それ、一般の人には
ぜんぜんない言葉なんだよね。
女の人の、見かけの評価で
「あの人は女っぽい」
って言い方はあるけれど、
考え方の評価として、
「女っぽくってよかった」
って、なかったじゃない?
俺、それはとてもいいことだと思う。 |
糸井 |
取り入れたいくらいだね。
「俺、今日は女っぽいよさを出したぜ」。 |
南 |
そうそう。
ゲイの人でなくたって、
男の部分と女の部分、両方あるんだからさ。
そう思いたくない人は、
自分にもう一つの要素があるって
認めてないから、
受け入れる余地がないんだね。 |
ジョージ |
恋愛は別として、
僕は男よりも女とつき合うほうが
リラックスできるんです。
男とつき合うと、
何かと役割を押しつけられるけど、
女性の場合はすごく透明で、
役割で生きてないから、
僕も役割をもたなくてすむ。
だけど、
「ああ、今のこの彼女とはつき合えないな」
と思うことはあります。
それは、女が女っぽくなりすぎた時。 |
南 |
男が男っぽくなりすぎたのと同じね。 |
糸井 |
……俺、相当ゲイだわ。
今、ジョージさんが言ったこと、
僕もその通りだもの。
その点じゃ、うちのカミさんも同じで、
うちらゲイ夫婦。 |
ジョージ |
糸井さんの奥さん、ゲイにファン多いですよ。
オカマが惚れる女というのがあって、
萬田久子さんとか天海祐希さんとか。
恥ずかしげもなく自分の中のオジサンが
むきだしになる人は人気。(笑)
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(つづきます)