カナ式ラテン生活。 スペインは江戸時代の長屋みたいさ、きっと。 |
【ラテン式語学上達法】 オラ、アミーゴ! 今日も、愛して愛されてるかい? いつもどおり、アホみたいに晴れあがったマドリー。 肌を焦がす日差しの中をポタポタ歩いてたら、 向こうからおじいちゃんがヨタヨタとやってきた。 赤いチョッキを着て手に杖をもち、 頭にはくたびれた茶色のハンチングをのせている。 そのおじいちゃん、 すれ違いざまにさりげなく 「いよっ、べっぴんさん!」 と囁いてよこしたかと思ったら、 振り向いた私にウィンクまで残して去っていった。 まるで凄腕の辻斬りに遭ったよう。 しばらくハテナ顔のまま立ち止まったあと、 急に楽しい気持ちが溢れ出してきた。 とろとろの笑顔で背中を見送り、小さく投げキッス。 グラシアス、セニョール! 何度も話したことだけど、 私は特別に美人なわけではない。 それどころか小さい頃には母親に 「あんたは可哀相に顔じゃ勝負できんとやけん 女としての幸せは9割方、諦めんしゃいね。 だけん努力して、自分で幸せばつかまんばとよ。 ほら、いろいろあるたい。 漫画家とか、漫才師とか……」 と 真剣な顔で言われたことがあるほどのブーちゃんだ。 兄は私をキックボクサーにしようとしたりもした。 でも そんな私に声をかけたからといって、 このセニョールが特別に助平なわけではない。 だって、こんなことは外出するたびにあるんだもの。 屋根葺き中のひとは屋根の上から、 道路工事のひとは穴の中から、 手持ち無沙汰なひとは建物の陰に身を寄せたまま、 「へぇ、こんな美人は見たことないや」だの 「なんてべっぴんなんだ、信じられないぜ」だの、 不遇な少女時代を忘れちゃうほどに ベタベタな誉め言葉を投げかけてくれる。 もちろんメルカド(市場)を一周すれば、 陽気な魚屋さんや八百屋さんから "ボニータ(カワイコちゃん)"や "グアパ!(べっぴんさん)"なんて言葉を 購入した品物の数よりたくさん受け取ることになる。 これは、女でありさえすれば ブーちゃんでもおばちゃんでもおばあちゃんでも、 たとえワンちゃんとても同じ。 ここは、お調子者がつむぐ愛の国。 女はみんなべっぴんさんで、 男はみんな、みのもんた、なの。 そんな"もんた男"のひとり、ご近所のイバン。 私がジャージ姿のすっぴん顔で階段掃除をしていても 「ワーオ。今日もカナさん、キレイねー」 と声をかけてくる。 でも我ながらドブスな日もある。たまりかねて 「なんでいつも誉めるの?」 と訊いたら、 「だって美人って言われた方が 女のひとは嬉しいでしょ。 ボクは女のひとを喜ばせるのが好きだから、 いつも誉めるねー」 と、ごく当たり前だって顔をして答えた。 あ、やっぱり"美人だから誉める"んじゃないんだ。 ふーん。 私がすっかり落胆しているのに気づくや、 「でも、カナさんは美人だから誉めるねー」 と、すかさずフォローが入ったねー。 そんな"尾形大作顔のみのもんた"イバンが 日本で最初に覚えた単語は、女性を誉める"キレイ"。 そのせいか今でも、 そりゃ政治経済なんかの難しい話は無理だけど、 相手を喜ばせる言葉を挟みながらの日常会話は 日本語でじゅうぶんにこなせる。 私も、スペイン語でそのくらい話せるようになりたい! だからこまめに単語集や表現集を作って勉強していた。 でも先日、 否定の接続詞をたくさん覚えようと さまざまな言い回しを質問してはメモする私を見て、 スペイン語と日本語のインテルカンビオ(相互指導)を しているミゲル(註:前回のミゲルとは別人)が 熱っぽく話し出した。 「たしかに、多くの表現方法を知ることは大切だよ。 でも実際に使うのは、 いちばんシンプルな表現でいいんだ。 難しい表現は、外国人がニュアンスを把握するのは とても難しいから、間違って使う可能性も高いし」 高い鼻に隠れて向こう半分は見えないけど、 とびっきり豊かな表情とジェスチャーを交えつつ ミゲルは続ける。 「それにね、僕らだって 日常的にはもっともシンプルな表現しか使わないよ。 たとえば美味しいものを食べたとするよね、 そのときいったい誰が難しい表現をするんだい? 美味しいものを口に入れた、 (口をモグモグさせて、 目を大きく見開いて、 大きな両手をパッと開くジェスチャーが入って) "ん、うまいっ!" ……ふつう、それだけだろう? とても美味しいものを食べたときも、 最高に幸せなときも、 "ビエン!"("良い"、英語の"good")でいいんだ。 大切なのは、 "いかに知っているか"じゃなくて、 "いかに表現するか"だよ。 これは外国語、 とくにスペイン語やイタリア語のように 情熱的な言語を習得しようというときには とても重要なポイントだと思うよ」 そうだった、 私は美味しいものを食べたとき 「なんですかな、この滋味豊かな味わいが」 なんて言えるようになりたいんじゃなくて、 ただ 「美味しいです。作ってくれて、ありがと!」 って伝えられるようになりたいんだ。 そう言われれば、 毎日出会う多くのスペインのひとたちが、 ごくごく単純な言葉で 私をとてつもなく楽しい気分にしてくれている。 そして彼らは 私がヘッポコなスペイン語で伝えようとするところを 全身から感じとってくれ、受けとめてくれる。 たまに言葉を交わす訛りのひどいおじいちゃんとも、 スペイン語じゃないお隣ポルトガルのひととも、 会話が成立しなくったって いちばんだいじなところは伝わっている、と思う。 ラテンのひとたちは コミュニケーションがとても上手。 人間が好きだからか、 とくに女性が大好きだからかは、わかんないけど。 ここには、学ぶことがまだまだたくさんあるみたい。 頑張るぞ! 調子にのって、 通りすがりの異性に愛を囁けるようになる日まで。 |
2001-05-30-WED
戻る |