カナ式ラテン生活。 スペインは江戸時代の長屋みたいさ、きっと。 |
【ものを乞うサンタクロース】 オラ、アミーゴ! 今日も家族と故郷を愛してやまないかんじ? 日本でも好きだったんだけど、 こちらでも変わらず大好きなことがある。 それは、タクシーに乗ること。 後ろのドアを自分で開けて乗り込み、 目的地を告げたらおしゃべりタイム。 そしてほぼ必ず、私は運転手さんの出身地を訊く。 彼らの多くは、マドリー北部方面の村の出身である。 美味しい美味しい仔豚の丸焼きや羊のはなし。 ワインも最高さね、有名じゃないけどもな。 そうそう、俺んちにも小さなブドウ畑があるでよ。 そんで村には古くて大きな教会があってな、 ガキのころはねーちゃんと毎週日曜に通ったもんさ。 そりゃもう、空気はスカーッと澄んでてな、 とにかく静かで美しい村なんよ。 おらが村自慢をする彼らの顔って、ほんとうにステキ。 いっしょうけんめい傾けている私の耳から、 幸せがすうすう流れ込んでくるかんじ。 彼らのほとんどが、 週末、車で1時間とか2時間とかかけて、 その愛する故郷に家族全員で帰っているという。 その時間を確保したいからタクシーの仕事を選んだ、 というひとも何人かいた。 みんな大好きなんだよなぁ、故郷。 ホゥとためいきをついていると、心配そうに 「お前さんにとっても、スペインはいいとこかね?」 と訊いてくる。 「うん!」と答えると途端に相好を崩し、 ポケットからベトベトのアメなんかを取り出して ウィンクといっしょにくれたりするのだ。 ところで タクシーに乗っているときにはないけれど、 自家用車に乗っていて信号で停止したときには、 いろんなひとがやってくる。 新聞やティッシュを売りにくるばあちゃん、 モロッコ産の安タバコを売りにくるにいちゃん、 無言で紙コップを差し出し小銭を要求するじいちゃん、 車のフロントガラスを拭きはじめる子どもたち、など。 最初は慣れない光景に戸惑って、 というよりも怖くて、 車の窓をキッチリ閉めたりしてしまった。 だって、日本人はお金持ちというイメージが強いから とにかく窃盗などの犯罪被害に遭いやすいんだもの。 たとえ私たちが乗っているのが 走行距離9万キロ超のオンボロプジョーでも、ね。 街を歩けば、 もっと多くの"ものを乞うひと"に遭遇する。 スーパーのドアのところに立って、 ひとが通るたびに開閉してチップをもらうひと。 ドアの開閉もしないでただ"恵み"を待っているひと。 地下鉄の構内で楽器を演奏するひと。 地下鉄の車両に乗り込んできて突然演奏と歌をはじめ、 終ったらお金をもらってまわるひと。 あるいはやおら哀れな身の上を切々と語りだすひと。 地面に伏して「おねがいします」とだけ繰り返すひと。 とにかく、あちらこちらでよく見かける。 はじめて遭遇したときには、とてもショックだった。 だって日本では、体験したことがなかったから。 一度だけ行った アフリカ大陸北端のスペイン領の町セウタでのこと。 マクドナルドのレジに並んでいると 「セニョーラ、ポルファボール(お願い)」と 6、7歳くらいの女の子に袖をひっぱられた。 その後、窓際の席でハンバーガーを食べているあいだ、 彼女や他の子どもたちからじいっと見られ続けた。 周囲のひとたちは慣れているようだったけど、 私は、もう味なんてぜんぜんわからなかった。 ダンナさんも、 「いやぁ、クリスマスの時期に サンタの格好してものを乞うひとを見たときは ほんまびっくりしたで。 だってやで、サンタクロースって、 俺らにものをくれるひとやん、ふつう、なぁ。 せやのに、サンタが俺に金をくれ、って言うねんで」 と、ものすごく驚いた顔して話してくれたことがある。 スペインでは、多くがヒターノ(ジプシー)らしい。 ヒターノについては、 はるか昔にインド北西部から西へ西へと流浪の旅をし、 その結果、現在はヨーロッパ西端のスペインに たくさんいるのだといわれたりする。 でも、よくわからないのだそうだ。 スペイン、といえばすぐに連想するフラメンコは 彼らの文化が深くかかわっている芸能だともいわれる。 有名なミュージシャンやダンサー、 たとえばホアキン・コルテスもヒターノで、 その情熱の血なくして彼のダンスはない、らしい。 (断言できるほど詳しくないので、ご勘弁) さらに最近では、 自国の政情不安からどっとスペインに流れ込んできた 北部アフリカのひとも増えている。 また、地下鉄で耳にする音楽はほとんど南米のものだ。 とにもかくにも、ものを乞うひとがたくさんいる。 他の国から来てこの光景に遭遇し、驚くひとも多い。 語学学校で、このことがテーマになったことがあった。 ドイツから来た19歳の女の子が、 「スペインの社会システムが悪い。 彼らにもちゃんと職を与えるべきだと思う。 ドイツでは、政府がちゃんと施策をしてるよ。 働きもしないでお金を恵んでもらって それで生きようなんて、間違ってる。 スペインは失業率も高いし 経済状況も悪いからたいへんだと思うけど、 住民のためにも観光客のためにも 町からああいうひとたちはいなくなった方がいいわ」 と意見を述べた。 偉い、と思う。 私だって少しは考えたことのあることだったのに そんなハッキリ言えなかったもの。 すると、スペイン人の先生はこう答えた。 「良い意見だと思う。 たしかにスペインは、数字の上では貧しいしね。 でも、高い率の失業者も、町角でお金を乞うひとも、 みんなが飢え死にしたりしてはいないって事実を どう思う? 政府はアホかもしれない、というか まぁだいたい役立たずなのが政府だけど、 それとは別のところで、 私たちは自分の財布に余裕があればお金を出して、 ほんのちょっとだけどそれがつもりつもって、 それにすがって生きていられるだけにはなるのよね。 それって、充分に豊かなんだと思うわ」 たしかに、彼らの出す紙コップにお金を入れるひとや 新聞を買ったりして貢献するひとの姿は、 日本での感覚からすると驚くほど多い。 テレビでアフリカの飢餓地帯への寄付を募ったときも、 たとえばあの"24時間テレビ"と比べても とんでもない速さでびっくりする額の寄付が集まった。 貧しいのか豊かなのかはは私にはわからないけど、 悪くないなぁ、と、いつも思う。 そんでもって私は、彼らとの関係に やっぱりいつまで経っても慣れることができない。 でも、慣れないけど、当たり前と思うことはしている。 人前で財布を出し入れするのは防犯上危険なので 小銭をちょっとだけあらかじめポケットに入れておき、 たとえば素敵な音楽を聞かせてくれたり、 フロントガラスをゴシゴシと洗ってくれたり、 荷物の多いときにドアを開けてくれたり、 たまたま気分よく歩いているときなんかには コーヒー1杯分には足りないくらいの額を出している。 本当に、これでいいのかなぁ。 どうも、まだまだ悩み続けそうな問題である。 |
2001-06-24-SUN
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