KANA
カナ式ラテン生活。
スペインは江戸時代の長屋みたいさ、きっと。

 
【気合いの、差?】

オラ!
シベリア寒気団、という
その響きだけでブルブルきちゃうやつが
はるばるスペインにもやってきたという。



12月23日の、マドリー市内。
積雪は、2年半ではじめての経験。
路駐の車も、まっしろけ。


先週から、北でもともと雪の多い地方はもちろん、
温暖な地中海性気候のバルセロナでも
大雪が降ったりしちゃったせいで、
いっちょまえの先進国みたいに電力消費量が激増して
大都市を中心に断続的な停電が発生している。

4日前、地下鉄に乗っていたときのこと。
突然バチンと音がして車内灯が一斉に消えたと思ったら
キキキキキー、ガクンと急停車。
駅と駅の間、真っ暗な中に閉じ込められてしまった。
しばらくして、電車はなんとかヨロヨロと動き出し
隣の駅までたどりついたのだけど、
車両の中はなんだか焦げ臭い匂いでいっぱい。

あぁ噂の全国的な電力不足のせいで停電したってわけね
と、みんながガヤガヤ話していたら、
隣のお兄ちゃんが首を振って
「この臭いはショートしたんだ。ただの整備不良さ」と。
ううん、ありえる。

電車を降りてバスに乗り換えることにして、
寒風吹きすさぶバス停で待つこと十数分。
やっと目的の路線のバスがやってきたと思ったら、
乗車ドアーを開けてくれない。
アレ? と首をひねっていると、降りてきた乗客が
「あぁあのね、
バスがおかしいから、次のバスに乗り換えろってさ。
乗客全員が降ろされたんだよ。まったくもう」
と、説明してくれた。
ううん、またか。

そしてこの夜、ダンナさんの車で帰宅中のこと。
家の近くまで来たら、道路の一部から水が噴き出して
どんどんどんどん滝のように流れている。
ダンナさん、軽くいちべつをくれると
「あ、またなんか工事しよって
水道管やりよったんや。ほんまにもう」
と、ふつうの顔をして通り過ぎた。
たしかによくあるもんね、
住宅地にいきなり大噴水が出現すること。ううん。



そんなヘロヘロなスペインに、
ロンドンに留学中の知人が遊びに来た。
ギリシャ、ローマ時代の文化を専攻している彼女と
トレドなどを観光してまわっているうち、
おもしろい話を聞いた。

ローマの街には、噴水がたくさんある。
さかのぼれば遥かローマ時代に、
すでに水道の設備が完璧に整えられていたのだという。
マドリーにも噴水はたくさんあるのだけれど、
すぐ背後に山があるから、水は豊富なのだ。
でもローマの場合は、
もともと水資源はちっとも豊かではないらしい。
それなのに、
2000年も前に遠くから水をひいてくる設備を作り、
いまでも噴水がさやさやと街を潤している。
かーなり気合い入ってたんだね、当時のローマ人てば。

さらに、こんな話もある。
当時、それだけの設備を整えても、
やはりローマは水不足の問題を抱えていた。
水不足になると、当然、取水制限をすることになる。
その場合、真っ先に取水制限されるのは
お金持ちや社会的地位の高いひとたちの住居であり、
逆に最後まで水を使えるように配慮されるのが
もっとも貧しいひとたちの住居だったそうだ。
民なくして政治なし、とかなんとか?
よくわからないけど、
とにかくかーなり気概があったんだね、
当時のローマ人のえらいひとたちってば。


ギリシャの話も、ひとつ。
ふつうにひとが集まると、
お金持ちや力持ちや悩殺フェロモン持ちや
いろいろなひとがいるから、
おのずと上下関係ができてしまう、はず。
それなのに、
「お金持ちも力持ちもボインちゃんも
みんな、一票ずつだよ!」
ということにしようというのが、民主主義。
お金持ちや力持ちにとっては、
ちっとも嬉しくないシステムのはずなのだ。

でも、ギリシャ人は、そんな民主主義を生み出した。
社会的に地位のあるひとたちが、
自分たちの損になるシステムを、
「ここでひと踏ん張り頑張っとかないと
あとでダメになる」
と考えて、実行したのだそうだ。
すごい、すごい。
気負ってたんだなぁ、当時のギリシャ人ってば。


きっと、新大陸を探しに旅立ったコロンブスや
信じるものを広めようと旅立ったザビエルなど
「黄金世紀』」のころのスペインのひとたちも
めちゃめちゃに気合いが入っていたに違いない。
(コロンブスは、正確にはイタリア生まれだけど)

そして、あまり故障しないバスや地下鉄を作ったり
さらにそれをちゃんと使ったりメンテナンスしたり、
あるいは道路工事するときに
水道管を破裂させることないような細やかな配慮を
きっちりできたりする近代の日本人は、
他の国のひとたちから見ると
やっぱりものすごく気合いが入っていたんだろう。
すごい、すごい、すごい。


最近、語学学校でたくさんの国のひとと学んでいると、
ドイツ人は環境問題などにとても気合い入っているし、
アメリカ人は平等ということに関しては
全力を賭して守るのだ、と、気合い十分なのに気づく。
この気合いで彼らの国はいま繁栄してるんだろうなぁ、
と、つくづく思う。

そしていま、
同級生や知人やたまたま生活の様子を目にするひとのうち
いちばん気合いを感じるのは、中国出身のひとたちだ。
留学生も、移住してきたひとも、
ほんとうに圧倒されるほどの「気合い」なのだ。
邱永漢さんではないけれど
「これからは中国」なのかなぁ、と思ったりしてしまう。
私の場合、根拠は「気合い」だけなんだけどね。


いや私だって、
それにクラスメートの日本人のひとたち
(経済や語学やサッカーの留学にきていたり、
国際結婚をしてこちらに住んでいたり)だって、
気合いは入っている。
ただ、その気合いの向かう先が
国家や同胞の繁栄のためというよりも
自分個人をどうしようか、というあたりに
いっているかもしれないけれど。

スペイン人だって、水道管はぶち破るけれど、
やっぱり気合いは入っている。
その先にあるのは、愛あふれる呑気で陽気な生活かな?

みんなが同じ方向目指してもおもしろくないから
こういう方向でもいっかー、とも思うし、
いやいやここでの気概がのちのちの日本を作ると思うと
気合いを入れなければなりませぬ、とも思うし、
わからないけれど
がーがー昼寝するにしろ
身の丈超えて天下国家を論ずるにしろ
気合いを入れようと思う2001年の暮れでありました。


それにしても、
ギリシャ人もローマ人もスペイン人も日本人も、
とにかく人間って、感動的に素晴らしいやね。

2001-12-26-WED

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