カナ式ラテン生活。 スペインは江戸時代の長屋みたいさ、きっと。 |
【ダンナの背中を流しましょう】 先日、スペイン生活丸3年の記念日を迎えた。 はじめはなにも知らなかった土地なのに、 いまではドキドキせずに街を歩けるし 風刺のきいた人形劇ニュースの登場人物もわかるし 通りいっぺん+ちょっとの会話もできる。 なんの縁もなかった土地なのに、 ひとも食べ物もここに自分がいることも、 なんだかすごおおおく、好き。 ってなことダンナに言ったところ、 「ふうん、良かったやん」 と、他人事のような反応。 そしてポツリと言った。 「俺、スペインのこと好きとか嫌いとか、 そういうのようわからんねん」 私より1年とちょっと先にスペインへ来た ダンナはいま、在住5年目。 やっぱり来た当初は スペインのことをなにも知らなくて、 現地企業で働きながら言葉や習慣を覚えた。 語学習得の面に限ってたとえるなら、 ジョン万次郎と同じである。 私や他の多くのひとのように 語学学校に通って学んだ経験はない。 仕事に必要な単語から順に、 同僚との小粋な会話に必要な単語までを 耳から入った丸のままで覚えてきた。 どうしても、 「もしも私に羽根があったならば まるで隼のように空を翔るだろうに」 なんて現実感のない入り組んだ表現には弱い。 でも、私よりもぜんぜん 本当の意味での語学力がある。 聞き取れるし、伝えられる。 すげぇなぁ、と、いつも感心する。 奴は、私より1年とちょっと前にスペインへ来た。 いちばんたいへんだったであろうその頃を、 私はよく知らない。 ダンナとそれぞれに頑張ろうと約束した1年間、 私は長崎でライターの仕事をはじめていた。 たくさんダンナにメールやハガキを書いた。 10回につき1回くらい、短い返事が来た。 よく考えると、その、私を気遣う短いメールと スペインに来てから少し話してくれたことでしか 奴の「スペイン生活1年目」を知らない。 しかも私がスペインに行ってすぐの頃は 私自身が「スペイン生活1年目」でアワアワしてたので 奴の昔話を聞く余裕なんてなかった気がする。 ダンナという支えがあってもアワアワした スペイン生活1年目。 彼は、いったい、どうだったのだろう? 『調理場という戦場』を読んだ。 フランス1店目での章に、 言葉がまったくできなかった斉須さんが なにを感じてきたのかが書いてある。 仕事場と下宿との往復だけの日々。 圧倒的な仕事量。 言葉がわからないから、 メニューに番号をふってもらった。 どう考えてもできなさそうなことでも、 やらないことには明日がない。 …… 読んでいて、ドキドキしてきた。 そして、こんな文章にぶつかった。 > 最初は言葉と料理がまったく合わないから >(自分用の番号と発音を合わせるために) > 小さい紙にメモをしてポケットに入れたり、 >(動作と言葉の一致などに気がついたら) > メモをしたりしていた。 > 全部丸のみして覚えた。 > そういうメモが一日に何枚もできました。 あ! 思い出した。 ダンナのポケットも、いつもメモの紙片でパンパンだ。 そうだったのか。 あのひとつひとつには、 彼の悔しさや努力や絶望や希望や、強い思いが たくさんたくさん沁みこんでいたんだ。 うわーっと涙がでてきた。 しばらくの間、本を手にわんわんわんわん泣いた。 私が日本の実家で親にぶーたれている間、 彼は無言で無数のメモを作り続けたのだ。 私がスペインに来てダンナに愚痴ってた頃も、 彼はもっと大きなものと全身で戦ってたんだ。 私がスペイン生活を楽しんでいる間、 奴は、必死で仕事をしていた! スペインが好きとか嫌いとか楽しいとかつまらんとか そういうところじゃないところで。 4年とちょっとの間、 アメリカや日本に出かける私を見送ってきたダンナは、 吉野家の牛丼も丸ごとバナナもみたらし団子も カールもメロンパンもカップヌードルも食べていない。 去年の夏、私が日本に行って ふかふかのシュークリーム食べたり まい泉のトンカツ弁当を銀シャリうめぇと頬張ったり 大江戸線にぐるぐる乗ってみたり 東スポとデイリーを久方ぶりに読んだりしてる間も、 ダンナは毎日毎日働いていたのだ。 「お前が楽しそうなのが、いちばんうれしい」 と笑いながら。 お父ちゃん、格好良い! 斉須さんくらい(私にはそれ以上)素敵っ! ダンナ、最高!! 来年の休暇は、一緒に日本へ行こう。 言葉も不自由なく、 東洋人だからとジロジロ見られることなく、 お茶を豪快な音を立ててすすってもいいところで、 のんびり温泉にでもつかろう。 背中ぐらいは、流すぜ。 いくら非道なヨメだってさ。 実は今月、 ダンナはスペインで5回目の誕生日を迎えたんだ。 おめでとう&ありがとう、心から。 カナ http://www.kanasol.jp
|
2002-09-23-MON
戻る |