KANA
カナ式ラテン生活。
スペインは江戸時代の長屋みたいさ、きっと。

【私と平和憲法のクリスマス・イブ】


私は、日本国憲法の平和主義が大好きだ。
大学時代に学んで、素敵!と思った。


まず、前文が好き。(カナ式解釈)

1項:日本国民がこの憲法を作った動機のひとつ、
   それは平和への願いだぜ。
2項:日本国民は、心の底から平和を願っている。
   理想を信じる、そう強く心に決めたんだ。
3項:日本国民は、自分のことばかり考えたりしない。
   世界中の平和への願いは、日本国民の願いだ。
4項:これらの理想や目的はたしかに、すごく高い。
   でも、全力で取り組む。そう、誓ったんだ。


そして、ビシッと定めた第9条になる。(同上)

1項:日本国民は、本気で、国際平和を願っている。
   たとえ国際紛争の解決のためとはいえ、
   戦争とか武力で脅したりとかは、永久にしない。

(2項は、『軍備及び交戦権の否認』を定めているが、
解釈で大きな争いがあるので、今回は触れません。
前文と9条1項で、基本的な姿勢は充分わかるし)


「あー、平和がいちばんよねー」
と、茶をすすりながらぽけらーと思うだけじゃない。
平和というとんでもない理想(「崇高な理想」)、
この、どうもあまり人間が得意じゃなさそうなことを
本気で願い、その実現に積極的に取り組むというのだ。
「平和であれ」じゃなくて、「平和にする」。
思うに、そのくらい気概あふれる平和主義なんである。

ジョン・レノンの『イマジン』と同じくらい、
私は日本の憲法の平和主義が、大好きだ。



さて、先日私の家は泥棒に入られた。
はじめて、ひとが憎かった。
日ごろ「死刑反対」という立場をとっていたのに、
「こんなことする奴、殺してやりたい!」と思った。
窃盗罪は、日本の刑法では10年以下の懲役。
窃盗で死、というのは、当然重すぎる刑罰になる。
あぁ、被害者というのは
これほどまでに、悔しい思いをするのだなぁ、と
はじめて知った。

それからどうしたかというと。
鍵を、もうひとつ取り付けた。
警備会社とも契約した。
残念ながら私ひとりでは私を守れないので、
あとは警備会社と警察に委ねるほかはない。
それでも、絶対に安全ということはないだろう。
だから最後に、モノはすっぱり諦めることにした。

命は、諦めたくない。
でも、運、不運というのはどこにでもある。
最大限の対策を講じてそれでも死ぬのなら、
それが私の運命なのかもしれない。
まぁ、死ぬのは嫌なので、
最後までジタバタしてみるつもりだけど。

ここスペインが日本と同じく
ピストルなどが入手しにくいからかもしれないが、
自ら応戦する、という方法は考えなかった。
私がアメリカ(漠然としてるけど)に住んでいて
それで比較的容易に銃を手に入れられるとしたら、
いったいどうしただろう?
自分で自分の身を守る、というのが
選択肢のひとつとして目の前にあったなら?

現実には、どうやって銃を入手するか知らないし、
その他、空手や少林寺や合気道や超能力など
私には自分の身を守る術がほとんどない。

だから、たとえば外で強盗に遭ったとしたら、
いきなり背後から首を絞められて
意識を失ってしまった場合を除いて、
自ら財布などあらゆる貴重品を差し出そうと
決めている。
「見せ金」を別のポケットに入れておくこともある。
それと、人通りの少ないところを歩かないこと。
これらが、私のできる精いっぱいの「防衛」だ。

この場合、防犯ブザーやスプレーはかえって危ない。
向こうは、プロである。
慌てて、または口封じに、逆に殺されるかもしれない。
しかも不法入国なら指紋なんて照合されるはずもなく、
刑務所送りになったところで三食付きラッキー!だし、
強制送還になったところで無料で帰国ラッキー!だ。
残念だけど、体格の良い武道の有段者の男性を含め、
抵抗したがために怪我まで負ったケースが多いのだ。


気がついたら、
私は日本の憲法みたいなことをしている。
自宅で、外で、戦うことは放棄している。
その代償として、自分の財産を失う可能性について
だいたいちゃんと認識し、あらかじめ諦めている。
もちろん実際には慌てるし悔しいし
自分の財産を奪った奴を殺したいとまで思ったけれど、
最後には自分で選んだことだからと
スッパリ諦めたいと思っている。

(なお、今月から警備会社への支払いが生じる。
これ、第9条2項の話にもできそうだけど、しない。
私の場合はビジネスとして頼んだので、支払うだけ。
警察は無償だけど、ちゃんと税金を納めてるし)

日本人は、海外でよく狙われる。
平和ボケしてるから、などと言うひともいるが、
海外が非平和状態ボケしてるのかもしれない。
少なくとも、刑法では罪は犯罪者にあり、
被害者が罰せられることはない。
それに憲法によると、日本国民は平和を希求している。
もしいまの日本人が平和ボケしているならば、
この願いは、日本国内においては
かなり実現しているんじゃないだろうか。

日本国民は平和を希求し、武力を手放した。
だからいざという場合、財産が盗られたり、
権利侵害されるのは、覚悟しておかなければならない、
かもしれないというのが、私のいまの解釈だ。
武力以外にも、平和を願う意見を表明する方法は
たくさんあるのだし。


ジョン・レノンの『イマジン』が好きだ。
『ハッピー・クリスマス』も好きで、毎年聴いている。

このCDも、先週の泥棒に持っていかれてしまった。
街は浮かれ気分のクリスマスで、なおさらさみしい。
でも、こころの中で歌ってみた。
さみしくて泣けてきたけど、頑張って歌ってみた。
今日はジョン・レノンと一緒に、平和を願いたかった。
私の愛する母国、日本の、素敵な憲法みたいに。

いつか、世界中が平和ボケする日が来ますやうに。

2002年のクリスマス・イブ、
がらんとした部屋のなかで。


カナ






『カナ式ラテン生活』
湯川カナ著
朝日出版社刊
定価 \700
ISBN:4-255-00126-X



ほぼ日ブックスでも
お楽しみいただけます。

もれなく絵はがきが届きますよ。

2002-12-26-THU

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