KANA
カナ式ラテン生活。
スペインは江戸時代の長屋みたいさ、きっと。

【泥棒に入られた!(2)】


ドアをこじ開けられるという可能性は、考えていた。
だから2月にここへ引っ越してきたとき、
ドアを防犯性の高い鉄板入りのものに替えていた。
鍵は、ガチャリガチャリと4段階もまわるものだ。
こちらの若い子の月給くらいの金額がかかったが、
安全が買えるのならばと覚悟を決めて出費した。

それが、やられた。
もちろん鍵はちゃんと閉めていた。
ドアは、たしかにやぶられていなかった。
やられたのは、ドアの枠の方だ。
枠にだって鉄板は埋まっているし、
枠自体も鉄の棒で壁に深く固定されている。
でも、やられた。鉄はねじ切られていた。

翌日の朝、やってきたドア屋さんに
「このドアにしたとき、
これなら絶対安全だと言ってたじゃないですか!」
と訴えた。
「その気になったら、開かないドアはないさ」
さらりと、つまらなさそうに言い放たれた。


警察に、被害届けを出しに行く。
調べたところ、カメラ4台、デジカメ、
ノートブックパソコン2台、
貴金属類など換金しやすそうなものがひととおり、
それとダンナさんの買ったばかりのジャケットに
お気に入りの男物サングラス(犯人は若い男だ!)、
それにハードタイプのスーツケース、
そしてなぜかCDがすべて持っていかれていた。
ブルーハーツ、ブランキー、奥田民生、山崎まさよし、
宇多田ヒカル、椎名林檎、ミスチル、サザン……。
半分以上、日本のアーティストのものだ。
スペインで、誰が聴くねん!!
どこのマーケットに流すねん!!!
バカヤロウ、と、心底思った。
テレビや、デスクトップパソコンなど大物は無事。
彼らはスーツケースに入るものだけ詰め込んで、
この家を後にしたのだろう。
ダンナさんは
「盗んだもんを入れるのまで現地調達しようとは
なんて横着なんや!ふざけやがって!
それくらい自分で準備してきやがれ!!」
と呆れて、笑って、怒っていた。
そして、もうひとつ。
冷蔵庫から、ビール3本がなくなっていた。
ようやく掃除もひと段落したときに気がついた。
がっくりきた。

被害届け受け付け担当の警察官に、訊ねてみた。
「防犯ドアでも、よく入ってこられるもんですか?」
「まぁね。ちょっと時間がかかる分、安全なだけで」
と、これまた当たり前のような顔で答えられた。
「あの、アラームとか警備会社と契約したら、
まず大丈夫でしょうか?」
「それは、もちろん少しは有効だろうけど、
でも本気で狙ったらどこでも入れるからね」
警察官すら、こう言う。
後日、警備会社のスタッフと話したときにも
「絶対に入られない場所は、ないんです。
それは必ずクライアントに伝えています」
と言っていた。


日本でも、盗難に遭うことはある。
ましてスペイン、外出していて運が悪ければ
首絞め強盗に遭うかもしれないところである。
万が一の場合、のことを考えているうち、
「生命や身体以外は、失ってもすっぱり諦めよう」
という考えが沁みついていた。
だから、盗られたものを惜しむよりなにより、
とにかく犯人と鉢合わせしなくて良かった、と
本当に心の底から"幸運"に感謝した。
ダンナさんも、指紋を採取に来た警察の担当者も、
開口一番、そう言っていた。

モノは、どうにでもなる。

もちろん、盗られたものを考えるとすごーく悔しい。
友人の形見として持っていたものもある。
でも、思い出までが消えたわけではない。
モノなんて、どうにでもできる。
運良く、パスポート類や当座の生活資金が無事だった。
冷蔵庫の中やタンスの裏に及んだ徹底したチェックを
免れたのは、本当に奇跡だと思う。
だからこそ気楽に言えるのかもしれないが、
でもやっぱり、モノは、どうにでもなると思いたい。
スペインに来て、つくづくそう思うようになった。

ダンナさんの上司も、数回やられていると言った。
一週間に二度入られたこともあるという。
「そのうち慣れるから。最初はびっくりするけどね」
そう冗談めかして言って笑わせてくれた。
仲の良い友人も、やられたことがある。
「だから、ようわかるわ。大変やったね。
だいじょうぶ?食べるもん持って行こうか?」
電話でそう力づけてくれた。
ふたつ下の階に住むおばちゃんは
「うちもやられたのよ、もうずっと前のことだけど。
それから一度もないから、カナのとこも大丈夫よ」
と励ましてくれた。

なんだかみんな、やられていた。
知人の半分くらいは、やられている。
でもみんな、笑っていた。
モノなんてたいしたことない、
生きてさえいれば、笑える日がやってくるから、
だってほら、私、笑ってるでしょ?
そんなメッセージを、たくさん受け取った。


でも。
本当にはじめて、日本に帰りたくなった。
もちろん日本でだって、こんなことはあるだろう。
でもスペインではじめて経験してしまったので、
スペインのすべてが嫌になりそうになった。
いくら覚悟はしていても、実際に起こると、慌てた。

しっかり施錠した自宅でさえ安全ではない、
というのは、本当にショックだった。
その夜と次の夜、ぜんぜん眠れなかった。
麻雀で最後にニ徹(二日連続徹夜)してから10年ぶり、
寝たいのに眠れなかったのは、はじめてだった。

でも昨日の夜、やっとベッドで眠ることができた。
この調子でいくと、そう遠くないうちに、
泥棒に入られるということも
日常に起こりうる可能性のひとつと
過去の事実のひとつとして
冷静に受け入れられるときが、来るだろう。
そうしたら、友人たちのように、
被害に遭った友人を上手に元気付けられるように
なるかもしれない。悪いことじゃない、と思う。


事件の次の夜、
食欲ないところに無理やり豚キムチを詰め込んで、
『世界ウルルン滞在記スペシャル』を観た。
笑っているうち、ひどかった頭痛が治った。
気分が明るくなって、ごはんをおかわりした。

笑うこととごはんを食べることって、本当に大切だ。
その夜も結局ほとんど寝られなかったのだけど、
ぐんと元気になった。

いいんだー。
私はまだ生きていて、ダンナさんも無事でいる。
あらためて、その有難さをひしひしと感じた。
泥棒にやられるなんて、たいしたことない。
こうやってごはんを食べて、笑っている。
だから、いいんだー。

……良かった。
生きていて、本当に、良かった。


カナ






『カナ式ラテン生活』
湯川カナ著
朝日出版社刊
定価 \700
ISBN:4-255-00126-X



ほぼ日ブックスでも
お楽しみいただけます。

もれなく絵はがきが届きますよ。

カナさんへの、激励や感想などは、
メールの表題に「カナさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2003-01-07-TUE

BACK
戻る