KANA
カナ式ラテン生活。
スペインは江戸時代の長屋みたいさ、きっと。

『5年ぶりに日本へ帰ってみたら(1)』


昨秋、私とツレアイ『M』は日本に一時帰国した。
私にとっては、2年振りの日本。
Mにとっては、1998年にスペインへ渡ってから
はじめての帰国だった。5年振り。

Mが日本を離れた当時、
たしか総理大臣は小渕さんで、
携帯やPHSの電話番号は10桁だった。
その頃からずうっと
Mはスペインにいて、働いてきたということだ。
ツレアイながら、頭が下がる思い。


たうたう次の休暇は日本へ行くと決めたときから、
Mはソワソワと落ち着かない様子になった。

「わー、日本、なに着てこ?
 なに着て行ったら
 『やだ、ユウコ、ちょっと見て、なにアレ?
  いまどきあんな服、見ないよねー』
 って女子高生に笑われんで済むと思う?」

とか、

「俺、たぶんしゃべりもおかしなってるよなぁ。
 いや、あかんて、マジで。
 って、『マジ』っていうのもどうよ。どうなの?
 ……あのさ、俺さぁ、
 たぶん日本でひとことも喋らんけど、ええ?」

っていう具合。

半分は冗談なのだけど、
「まだ外国行く方が、ぜんぜん緊張せんわ。
 あー、日本に行くんがいちばん怖い」
と繰り返して言うのは、完全に本気だった。

なぜか。
たぶん私たちは、
「浦島太郎の悲しい結末を知っている」からだ。
(本当かよ、って気もするけど)

狂おしいほど恋しい故郷は
まだ僕らを受け入れてくれるのだろうか。
家族や友人は、温かく迎えてくれるだろうか。
世間は、かつて僕らが「だっせぇ」の一言で
斬り捨ててきたように、
流行遅れという理由で除け者にしないだろうか。
あるいは逆に、
僕らが変わってしまっていて
離れていれば恋しい故郷の姿を実際に見たら
がっかりしたりしてしまわないだろうか。
とかなんとか。

スペインで辛いことがあったり寂しいときは、
日本の温かい思い出を胸に頑張ってきた。
なんだかその分、再会が怖いような気がする。
初恋のひとに同窓会で会うような気分、と、
少し似ているかもしれない。


私は、仕事の関係でMより3日前に帰国した。

フランクフルトを発った飛行機
(スペイン−日本間に直行便はない)が
いよいよ日本上空に入ってしばらくすると、
眼下に広がる雲の上に
富士山がすらりと立ち上がっているのが見えた。
富士山なんて、18歳くらいまで見たこともないのに、
やっぱり『日本』というものを
ぎゅうっと濃縮したなにかがある、のだろう。
その美しい姿に、
あぁ日本に帰ってきたんだなぁ、と
思わず、涙ぐんでしもうた。
私の場合はたった2年、離れてただけだけど。

それから後は、
スペインで大事に保管していた
テレホンカードを持って公衆電話に入ったら
ICカード専用と書いてあって使えなかったりとか、
現金を下ろそうと取り出したキャッシュカードには
第一勧業銀行とあってまだ使えるか心配したりとか、
友人たちと待ち合わせた六本木ヒルズ行くのに
40分遅れたのだけどそれでも後で話を聞いたMは
「六本木ヒルズなんて、よう行ったなぁ」
と、やたら感心してくれたとか、
帰国翌日に獨協大学で講演をさせてもらったのだけど
知らずにスペイン語の単語を使ってたりしたらしく
あとで「おもしろかったです」と言われて
へへぇと他人事のように驚いたりとか、
そういう3日間を過ごしてから、
関西空港へ移動した。


Mはマドリードからパリ乗り継ぎで、
私は羽田からの便で、関空で待ち合わせ。
関空は国際線も国内線も同じ建物なので、
とても便利だ。

5年ぶりの帰国の瞬間を見届けてやるぞ、
と思って到着口を出ると、
もうそこにはMとMの両親が待っていた。

「わぁ、日本だねぇ、
いまふたりで日本におるっちゃねぇ!」
Mの感想を聞く前に、
すっかり興奮した私が喋りだしてしまった。
いつも、こうなんだよなぁ。

  カナ






『カナ式ラテン生活』
湯川カナ著
朝日出版社刊
定価 \700
ISBN:4-255-00126-X



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2004-02-15-SUN

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