カナ式ラテン生活。 スペインは江戸時代の長屋みたいさ、きっと。 |
『5年ぶりに日本へ帰ってみたら(3)』 5年も海外にいてから日本に戻ってみると、 感覚がすっかり外国人というか留学生のものに なってしまっていた。 つい数年前まで馴染んでいたはずの日本の習慣に、 私たちはいちいち戸惑った。 夜、寝る前に風呂に入ること。 ウォシュレット。 日曜も買い物できること。 車が左側通行なこと。 駅を出るときも自動改札に切符を通すこと。 食後にコーヒーを飲まないこと。 レストランや居酒屋でレジで会計すること。 年上の兄弟の名前を呼び捨てにしないこと。 畳や床に直接座ること。 エレベーターで乗り合わせたひとに挨拶しないこと。 タクシーのドアを自分で開け閉めしないこと。 さらには見慣れていたはずの 新宿の高層ビルを見上げても 「わぁ、見てぇ、でけーっ、すげーっ! なんか『未来都市』ってかんじするねぇ」と 時代錯誤な感想を抱き、 渋谷の人ごみを見ては「怖い」と後ずさりする。 これでアクーブラ・ハットでも被っていたら クロコダイル・ダンディーなのだけど、 こちとら見かけはふつうの日本人 (になってるつもり)で、 それなのにひとにぶつかっては 「ペルドォン!」と謎の言語を叫ぶのだから 始末が悪い、のだかなんだか。 だけど、人間の適応力はすごい、らしい。 スペインでも戸惑いながら生活に馴染んだように、 Mの時差ぼけが直るころには、 日本の習慣に、あらためて染まっていた。 ご飯も三食、もりもり食べられるようになった。 そのかわり、かどうか、 日本に帰国した翌日に着ていた私のパンツは ピチピチになって、ボタンが弾けて飛んだ。 日本での10日間で、 ふたりとも6kg、太っていた。 食欲の秋という言葉を、久々に思い出した。 それからスペインに戻ったら、 しばらくは夜にきっちりごはんを食べないと なんだか落ち着かないような気がしてしまって、 どうにも困った。 というか、いまだにMは夜に米を食べている。 そりゃそうだ、 スペインには5年いたけれど、 日本には29年いたのだものねぇ。 ところでどうして、 Mは5年間も日本へ帰らなかったのだろうか。 「一旗揚げて故郷に錦を飾るまで帰らない」とか そういうことではないような気がする。 (ちなみに、これは大学進学で東京へ行くときに 私が言ったかもしれない。なんてこった。 もちろん一旗もアヲハタも揚げることなく 成人式のときにいそいそと帰ったわさ) たぶんMは、 自分があまり強くないのを知っているから (私だってもちろんそうなのだけど)、 日本の温かさに心を揺さぶられることがなくなるまで スペインで踏ん張ったのじゃないかな、と思う。 私たち(とくにMは)、 バカバカしいほど真剣に海外で再出発しようとした。 ほぼ無一文からはじまるダメな自分たちの 身の丈に合った生活をしようと、 モップひとつ新調するにも喧嘩し、 ひとつ200円のチョコを買うにも躊躇した。 実家からは何でも送るよと言ってくれたけど いつでも帰れる場所があるというだけで 充分ありがたいから、と断らせてもらってきた。 4年目にエレベーターのあるアパートへ越して、 その年の暮れに泥棒に入られて 金目じゃないものまで一通り持っていかれて すっかり落ち込んで(「泥棒に入られた!」の回)、 それでも行き詰ることなく なんとか生活できるんだということがわかって、 なんか、はじめて一息つけたのじゃないかなぁ。 5年目の今年は日本へ行くということは、 自然に決まっていた。 日本では、 家族も友人も同級生も恩師も仕事上の知人も、 みんな私たちを、本当に温かく迎えてくれた。 (以前紹介した麻雀の渡辺洋香プロも、 相変わらず、いやそれ以上の、驚異のべっぴんぶり。 雀荘『ウェルカム』渋谷センター街店で会えますよ。 著書『ヨーコ会長の恋愛勝負』もよろしくね!) 小学生の姪っ子たちも、 たまにメールでやりとりするだけで 何年も見たことのないおじとおばを大歓迎してくれた。 Mも私もすっかり舞い上がって 「なんだかあれだな、 今度からはバナナ持って来んといかんね、 海外在住の叔父さんがやってくるっちゅうたら やっぱバナナがないと。バナナ」などと あることないこと無責任に言っては騒ぎまくった。 もしこれらの家族や友人との楽しい時間が 5年間頑張ってきたことへのご褒美だったとしたら、 充分にお釣りがくるくらいに 本当に幸せな時間を日本で過ごさせてもらった。 おかげで私たちは浦島太郎のように 玉手箱を開けるという禁じ手を使うのではなく、 フーテンの寅さんのように またいつでも帰ってこれる場所があると信じて 再び旅に出ることができた。 ありがたい、その一言に尽きる。 スペインへ帰る飛行機の中、Mが 「今度は5年もせんうちに日本へ行こう。 5年もブランクあったら、 また俺、最初っから今回と同じこと繰り返しそうや」 と言った。 それからしばし頭上の荷物棚に入っている 赤福もちの話をして、幸せな気分になった。 最後の機内食は、もちろんふたりとも 「和食」を選択した。 そして新聞をだいじにかばんにしまってから、 シャルル・ド・ゴール空港に降りた (なんせ直行便がないので)。 乗り換えの搭乗口に行くと、 スペイン語のアナウンスが聞こえてきた。 思わず顔を見合わせると ふたりしてなんだか力が抜けた顔をしていたので、 アハヘ、と笑ってしまった。 さぁ、もういっちょ頑張りますか。 帰る場所があるという幸せを、その温かさを、 胸いっぱいに感じながら。 カナ
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2004-02-17-TUE
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