カナ式ラテン生活。 スペインは江戸時代の長屋みたいさ、きっと。 |
【3月11日のマドリード無差別テロについて】 いま、スペインで午後10時をまわったところだ。 今朝、大規模な無差別テロがあった。 午前8時半頃、ふつうに起きて、テレビをつけて、 テロの発生を知った。 まだ映像は入ってきていなくて、 携帯電話による現場からの報告が中心だった。 アトーチャ駅、列車、爆破、死者30〜40人。 飛び込んできた言葉に、ゾッとした。 3月11日木曜日、午前7時40分前後、 マドリードのターミナル駅であるアトーチャ駅と マドリード州内の2つの駅で ほぼ同時に列車の車両が爆破され、 多数の死傷者が出た。 最初の頃は数十人と言われていた死亡者は ほぼ半日経った現在の段階で192人、 負傷者は1,430人と、刻々と増え続けている。 テロが実行された3つの駅は、同じ路線上にある。 グアダラハラという郊外の町を出発し、 500年の歴史ある大学町でセルバンテスの生地でもある アルカラ・デ・エナーレスという大きな町を通り、 それから労働者が多く住む住宅地を通って マドリードの中心へと向かう、ふつうの、路線だ。 3つの駅のうち、2つは労働者が多い住宅地にある。 そしてもうひとつのアトーチャ駅は、 新幹線も発着する、マドリード最大の鉄道駅だ。 被害者は、通勤通学のひとが中心で、 大学生など若いひとたちや、 外国人移民労働者の犠牲者も多かったという。 アナウンサーが「今朝、普通に家を出たまま 家に帰れないひとが、何百人もいるのです」 というのを聞いて、あらためてゾッとした。 そしてわりと早い段階で、 アトーチャ駅に到着する直前に 車両の2つが爆破された汽車には、あと2つ、 合計4つも爆弾が仕掛けてあったことがわかった。 このうち爆発しなかった先頭車両の爆弾が 破壊力としてはいちばん大きかったということで、 犯人は、アトーチャ駅の中でもっと大規模に 爆発させるつもりだったことが確実だという。 もしそうなっていたら、 いったいどれだけの被害になっていたのか、 ちょっと、想像もできない。 今回のテロについて、 現時点では犯行声明は出ていない。 テロの発生直後からたった今まで、 テレビや新聞、政府はETAの犯行だと断定していた。 ETAはバスクの独立を求める武装過激派で (歴史については過去の掲載分を参照してください)、 活動を始めてからこれまでの約30年の間に 暗殺や自動車爆弾テロなどで、817人を殺してきた。 現首相のアスナルも、標的になったことがある。 ただ、暗殺はともかく自動車爆弾テロの場合は ほとんど事前に予告があり、 警察が住民を無事に非難させてから爆破するという パフォーマンス的な要素が大きいものだった。 今回のテロがETAの犯行だったとしたら、 これまでのような、 「やるときは予告あるから」という安心は もう通用しなくなる、ということかもしれない。 ただ、つい5分ほど前、 ロンドンのアラビア語新聞にアルカイダが 犯行声明を送ったという第一報が入った。 まだ裏づけなどが取れていないが、 不審車からコーランが発見されたともいう。 政府は、ETAとイスラム教勢力の 両方の可能性を捨てていないと表明した。 いまのところ、 誰が犯人かはわからない。 夥しい遺体は、町外れの展示会場に収容されている。 列車の天井も壁も吹き飛ばしたような爆発なのだから 遺族による身元確認も難しい場合も多いという。 今日の昼休みには、州内の病院や大きな広場で 献血をしようとする市民の長蛇の列ができた。 一時間半待っている、というひともいた。 友人が見ていたニュースでは、列の女性が、 「今日は私は無事だったけど、 明日はそうとは限らない。 だから私は、できることをするの」 と言っていたという。 今回の報道や、友人との会話を通じて、 他人事じゃない、というのは、 多くの市民が感じているのだと伝わってくる。 たった4年間市民でしかない私でさえも、そうだ。 テレビでは朝からずっと、 大惨事の状況を伝えている。 スペインではボカシなどは一切入らないから、 本当に、もう、息を呑むような光景だ。 たまたまそこに運良くいなかった市民として、 自分のできることをそれぞれしていこう、と、 友人たちと言葉にして確認しあったところだ。 たったいまツレアイが帰ってきた。 顔を会わせて、それからお互い、 しばらく言葉が出なかった。 カナ |
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2004-03-12-FRI
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